れら工房BLOG

2004年の夏に引っ越して、れら工房をオープンしました。
ブログを始めて10年以上が過ぎました。

カスピ海ヨーグルトに豆乳

2005-06-29 09:58:18 | エコロジー&スローライフ
涼しくなりました!雨が降っています。
暑い日々でした。昨日は猛烈に暑く風呂場を快適利用しました!
週末の4日間外出続きでしたので、今日は少しホッとする日。

ヨーグルトでも作ろうか?牛乳がないので、雨がやんだら買いに行こう!

カスピ海ヨーグルトを作り続けて何年目かな?去年の夏は冷蔵庫の引っ越しに当たり、数時間猛暑の中に、ヨーグルト瓶を置いておいたけれど、つなぎ続けることができたし・・・
つくり始めて2-3年ですが、なんだか私の日常にすっかり住み着いてしまいしまいました。
豆乳を混ぜてしばらくしてから、食べるのが好きです。混ぜるといってもあまりていねいに混ぜない。ヨーグルトのなかに、豆乳をバサッと入れて、ひとかき回しくらいで、しばらくすると、豆乳部分が酸っぱくなってるのです。やや固まってる。いつもはこれにプルーンエキスを混ぜていたのですが、昨日は寒天をさいころ型にきったものが売っていたので、混ぜてみました。暑い日に寒天入りヨーグルトもすばらしいですね!very good!

そのうちに、寒天を煮溶かして、ところてんでも、サイコロ切りでもつくってみようか!などと想像してみるだけでも楽しくなってしまう私です!

あなたにとって愛とは?

2005-06-27 20:37:41 | 心とからだ
24日のハコミワークショップで師匠が宿題を出しました。今日やったエクササイズの記録を明日提出するようにと。私は書いている暇がなかったので、もうどうせ遅れついでにここに書き、あとでプリントしようかと・・・・・

「あなたにとって愛とは何ですか?」

1 言葉でいえば・・・自分が小さかった時、可愛がっていると言いながら、親は子どもを自分の都合で振り回したので、それを学んでしまい、長いこと真似をして生きてしまった。
私は「愛」とは何かを新たに構築せねばならなくなっていて、今のところ、愛とは誰かの幸せを祈ること、誰かを支援すること、応援すること(人がその人らしく生きてゆけるように)という風に表現できるかな?まあ私のできる範囲で。

2「あなたにとって愛とは何ですか?」と言ってもらう。(マインドフルネスの状態で)
2人に2回づつ言ってもらいました。
最初、小さな赤ん坊がかすかに見えてきました。次第にその子が誰かに抱かれて、移動しているのがわかります。女の人のような腕に抱かれて、ゆっくりと移動しています。
上の方には薄いきれいな色とりどりの衣を着た天女たちがふわりふわりと浮いて共に動いてゆき、小さな私を安全で、安心できる場所へと連れて行く。
音曲がかすかに流れている。空から。
私が小さな私を抱いているのがはっきりする。
もう、怖い思いをしなくていい!安心していい!

   「私は大切にされてよいのです!」
   「私は自分を大切にしてよいのです!」

上のような言葉も同時に聞こえてきます。

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しばらくは、このイメージが私をたすけてくれる予感がします。
やはり、自分を大切にできなければ誰かを大切にはできないのでは?自分が幸せであってこそ、誰かを幸せにできるのではないでしょうか!
「自分は我慢するけれど、あなたは幸せであってほしい!」は成り立たないと思うのです。

それは哀しすぎます。
母の生き方が「自分は頑張って頑張って生きるけれどお前は幸せになって!」という感じでした。そばで暮らす子どもはそれを学ぶ。それ以外の方法を知らないから。
どうすれば幸せになるの?幸せとは何?
わからないまま大人になり子どもを産む。表面上は大人になり、中身は?
母が亡くなる頃になり、母のように悲しい人生は生きたくないと、つくづく思った。
そんなに我慢を重ねる人生は私には無理だ!
(無理をすると、すぐ体に出るのです。長いこと、膝が悪かったけれど、膝が痛くなる場所にいなければよいのです。そのような目安に使えます。皮膚のトラブルも長かったが自分を肯定する気分が強まるにつれ少なくなっていって、あとわずか。)

私を大切に思ってくれる人々の近くにいたい!
気分が楽になれる人の近くにいよう!などと思うこの頃です。
私はこれでよいのです。私でない人にならなくてよいのです。私は私です。

大地沢にて

2005-06-27 16:43:07 | 心とからだ
週末4日間は充実してました。木・金は港区で1泊2日。土・日は大地沢で1泊2日。金曜日夜は家で寝ましたが、土曜日朝は大忙しで荷物を詰め替えて、出発!
相原駅まで電車で行き、そこから車に乗せてもらい、途中で買い物などしながら、大地沢青少年センターに着きました。

その青少年センターの本館は3階に食堂、調理室があり、宿泊者は自炊をするのです。今回参加者約70名の 食事当番を引き受けることになり、私は会計雑用係でした。約17名の方々が交代で(中にはほとんど調理室にこもりきりの方も含め)すごい熱気で、一生懸命料理してくれました。(冷房設備が故障というおまけもありました)太極拳の合宿なのに、ほとんど稽古をなさらない方が、複数名いまして、その熱意に感謝するばかりです。
ただ、ときどき私も稽古の中に入っても、冷房設備故障中につき、汗びっしょりになるので、食堂の配膳などお手伝いしたくなったり・・・・・または、麦茶作りなど冷蔵庫の近くに行きたがり(笑)・・・・・

今回の調理はなるべく男の方々にできるだけ、やっていただくということでしたので、エプロンがけ三角巾姿はとてもほほえましく、素敵でしたよ!

最後にアメイジング・グレイスにのせて、参加者のグループ別表演があり、先生方の模範演技もありました。すばらしいものでした。

この曲は知り合いの若い女性が2-3年前キャンプファイアーの時に歌った曲、今彼女はどうしているだろうか?夜空に響きわたる美しい声だった。

そしてまた、もう一つの思い出が、アメイジング・グレイスに加わる。大地沢できくこの曲もやっぱり、涙が出てくる・・・・・太極拳とは何かを先生は私たちに伝えたかったのではないだろうか?最後の師匠の表演からそんな感じを受けた!

ふだん会えない別のグループの方々にお会いして、おしゃべりをしたり、夜は蛍を見たり・・・
草むらのなかに蛍がチカチカ沢山光っていました。


母の思い出から

2005-06-22 21:44:52 | 母と娘、家族
私が子どもの頃、母は朝から晩まで働いていました。家業は和裁仕立業&和裁教室でしたので、和裁を習いに来る若い女性は夜9時までいました。時おり、誰も来ない日がありましたが・・・嬉しかった!
(ただし、戦後まもなくは和裁の仕事はなかったのでは・・と記憶しています。)弟が5才で亡くなったのは私が小6の時ですが、その頃にはすでに夜9時まで誰かが家に来ていました。何時に寝たのかはよく覚えていませんが、歩いて5分の小学校ですのによく遅刻していました。朝寝坊でした。テレビも無かった時代なので、私は何をしていたのでしょう?あまり良く覚えていません。たまの記憶ではせっかく眠ったばかりなのに親たちががたがたするので、目が覚めてしまったこともあります。中学のあたりでは少し住居スペースがひろがり、私の部屋ができました。(一時期、祖母が同室のこともありました。)

母は和裁の仕事をしながら、家事もするのですから、とてもおおざっぱな家事でした。というか小学生のころたいしたおかずなどなかった。私はコンロで薪で、ご飯炊いてた頃もあります。消し炭つくってました。しばらくすると都市ガスとなりましたが・・・その頃、ご飯たくのは私の役目でしたが、おかずはほんの少しでぬか味噌漬けを出すとか。

母は元気な人でした。風邪をひいて、寝てたことはなかった。年老いてから(70代になってから)風邪ひいたと電話で言ってるのをききました。丈夫だったのか、何なのか!
父は頭痛、めまいなどで横になってることがありました。

母は小学校高学年で親戚(母方の叔母)の家から学校に通うことになり、子守をしながら通学したのだそうです。女学校に行きたかったのでしたが、親戚の居候ではままならず、 女工となり妹弟に仕送りしていたのだそうです。(この時、実父が行方不明で母が家族の父親がわりをせざるを得ない状況にあったので。)
母の父(私の祖父)七郎さんは借金に借金を重ね、何処かへ消えていました。小さな妹と弟は母親とともに七郎さんの生家のすみで暮らしていました。母は長女で、その下の妹と二人は親戚に預けられました。

母は女工時代、必死に働いて、送金していたそうですが、弟妹のために使われず、借金の埋め合わせに使われてしまったと残念そうな口ぶりでした。若いころはそのように働き、嫁いでからは「嫁は労働力」だと思っている父と暮らすのですから、口数少なく、働きまくっていました。

母のしゃべり声が大きくなっていったのは私が20代になってから夏休み冬休みに帰省する頃。
こんな大きな声でしゃべる人だったのかとビックリしました。和裁教室に来る人の数が増え始めてからです。(1960年代、世の中が絹の着物を作るようになったので)母が和裁教室を切りまわしていました。

蛍の季節

2005-06-22 08:59:30 | 畑と庭、花
昨夜からの雨に緑が嬉しそうです。
天気予報が雨だったので、数日前に5個300円につられて、買ってしまったマリーゴールドの苗を昨夕植えました。予報が当たり恵みの雨です。
きっと、蛙たちも大喜びでしょう!

先日の土曜日の夜、ひさしぶりに蛙の大合唱を聞きました。田植えをした田んぼの草取り&ほたる観賞会があったのです、草取りは1時間半ほどで終わり、夕食の後、蛍を探して暗い夜道を散歩しました。土曜の夜でしたので、あちこちに車が駐車してました。ぞろぞろ人が歩いてるので、蛍は用心して、隠れているのだと、田んぼの主人が説明してくれました。たまに、木の上のほうにちらりと見えましたが、やはり、人影が少なくなったあたりまで歩いていき、木や草に囲まれて、蛍が群れ飛んでいる場所までたどり着きました。

そのあたりの田んぼでは蛙がゲロ!ゲロ!ガア!ガア!鳴いていました。無農薬で田んぼを作るところが少なくなってしまって、蛍が飛んだり、蛙が鳴いたりしてる場所が限られてきているのでしょうが、「花田んぼ」というグループに今年より参加させていただきましたので、このような機会にめぐり会い感謝しております。
来る7月23日(土)には田んぼのあたりの特設舞台で手作り楽器や和太鼓も含むコンサートがあります。また、蛍が見れるかも!

今週の土曜日にも、大地沢で蛍観賞のチャンスが訪れるはず!楽しみです。

田植えの季節

2005-06-15 13:53:47 | 畑と庭、花
朝から雨です。
先日の日曜日の午前、青葉区の寺家ふるさと村にある田んぼへ田植えにいきました。天気が良くて、田んぼの水は温かく、裸足で入ってもOKでした。ザリガニ、カエルもいました。「しおからトンボが2匹!」とわめいている子どもの声も響きわたっていました。小さな子どもたちを連れた家族ずれも多く、遊んでいる子もいれば田植えをする子もいました。

私は5歳のときの田植えを思い出していました。疎開で親戚の家にいましたので、そこの家の田んぼの田植えを体験できたのです。母方の祖父の生家で、敷地内の一角に祖母と叔父も住んでいましたので、叔父が植え方を教えてくれました。太陽がふりそそぎ、田んぼの水が温かくて・・・私は誰にも怒られない・・・

その家には菊野さんというお姉さんがいて、遊んでくれました。絣のもんぺでした。ある日、私を桃の畑へ連れて行き、熟した桃をとって食べさせてくれました。その桃の美味しかったこと!私はまた木からもぎとって食べたいと思うけれど・・・まだ、その後、私の人生で機会がありません。

その家のおばあさんは私を鶏小屋へ連れて行き、鶏の餌をやるという仕事を手伝わせてくれました。菜っ葉をきざんだり、ふすまを水でといたり、5才の子でも充分にできることをやらせてくれましたので、私はお仕事をしてるという満足感に浸っておりました。かたわらを鶏が歩いていました。

蚕も飼っていました。きっと、大人は皆忙しかったのでしょう、私は一人で、蚕が餌をたべるのを見ていました。日がたつにつれ蚕が大きくなっていき、桑の葉の切り方が、大きくなっていく。この頃、繭になるまでを見ることができました。理由もなくその変化を見つめていました。そのうちにある日おばあさんが、繭から糸をつむいでいました。そこまでしか見ることができませんでした。終戦後、どのくらいかすると、私は少しばかりの荷物とともにリヤカーに乗せられて、街に戻り、疎開が終わりました。

桃が美味しかったことや、鶏と遊んだことなど、懐かしい!(母は寝るときだけそばにいました。きっと家賃と食費は農作業で支払っていたのでしょう!父はどこかの工場へ働きに行っていたのだそうですが、疎開から帰るときにリヤカーをひっぱっている姿しか覚えていません。父は記憶にないのだけれど母に訊ねたらあの時いたのだという???)



梅雨の庭

2005-06-10 20:38:27 | 畑と庭、花
雨がしとしと降ってます。
先日移植した山椒、エニシダ、チェリーセージなど元気です。
27-8年前に植えた山椒が今年枯れてしまい、ガッカリしてたら近くに小さな山椒の木が生えていたので、持ってきて、植えときました。この雨できっと育ってくれるでしょう!まだほかにも、移植するものがあるので、晴れたら忙しいのです。(いえ、そんな、忙しいと言っても、昼寝つきで、シャワーつきですが・・・)この庭の他に、管理する庭がもう一つあるので、そちらがこみあっているので、少し風通し良くするだけなのですが・・・挿し木した月桂樹とか実生のびわとか、こみすぎた南天を株分けするとか、そんなことです。(^-^)(^-^)
20年前に植えた梅の木に実がなっていたので、一昨日梅酒をつくりました。(何年ぶりだろう?)少しだけつくって、くたびれてしまい、あとはジャムにでもしようか?(ビンを探すことから始めたので)それから、けっこう、傷が多いので、切りとったりするので、すぐに飽きてしまった。25度の焼酎だけと、焼酎と蜂蜜を混ぜたもの2本の3種類つくってみました。(小さなビンです。)

挿し木した連翹が何本か根付いています。雪柳は1本だけなので、もう少し、挑戦してみたいな!
クコはあまりにも簡単に挿し木できてしまう。手入れ次第で食用にもなるのだけれど・・・・・葉も実も・・・・・

昨年の秋ローズマリーの苗を植えてみました。今のところ、無事です。今度こそ大きく育ってね!と祈る気持ちです。今まで、何回か挿し木したり、苗を植えたけれど、育たなかったのです。どうしてでしょうね?
ラベンダーはどんどん大きくなってます。丈の小さな早咲きは花をつけています。これから咲く種類は蕾が少しづつ目立つようにのびていきます。(名前があるはずなのですが、不明です。)楽しみです
ミントはこの雨でのびてます。ハーブティーに入れても大丈夫な量になりました。雨の少なかった5月はどうなることかと心配でしたが、やっと胸をなでおろしています。ウィキョウは7本植えてあるのですが、まだまだなかなかですね!もう少し待ちます!(ちょっと、最近ミニ畑へ行く暇なくて、ウイキョウが足りない!)庭のレモンバームはのびない。今年は無理かも。来年を待つしかないです。

芝も育ってはいますが、来年になればこれは芝生だとわかるようになるでしょう!移植した分量が少なかったのです。

菊とコスモスはきっと秋にはかなりの花を咲かせるでしょう!

はるかな旅から

2005-06-06 22:48:22 | 心とからだ
2泊3日の時空を越えたはるかな旅から戻りました。遠い過去の私と出会い、いつも無視していた私の中の私に出会い、よくここまでがんばったものよと私を褒めてあげ、怖がっている小さな子どもの私にはもう安全な所にいるのだから、大丈夫!と言ってやり、怒りまくっている少年には怒るのももっともだと言ってやり・・・

怒るのは無理もない、辛かったねというと、少年は泣き出してとても辛かったと、辛いと言いたかったと泣き崩れる・・・・・
ごめん!気がつかなくて、ごめん!よくわかったから・・・
泣きたいだけ泣いていいから・・・

~~~~~~~~~~~~~~
旅から帰ってくると、このところ、雨がよく降ったので、庭は矢車草も春菊も花盛り。ハーブも大きくなってる。ミントとウイキョウをたっぷり入れて、ハーブティーが美味しい!

ハーブ入りほうじ茶

2005-06-02 12:58:15 | Weblog
ほっと一息、やすらぐ飲み物はハーブ入りほうじ茶です。ハーブはミント、レモンバームが多いです。たまにウイキョウも。
今日はバラ入り紅茶があったのを思い出し、それにほうじ茶、プーアール茶、ミント、レモンバームをまぜて六色茶にして見ました。なかなかいいです。今度はウイキョウも混ぜたら、七色和茶です。きっと、おいしいでしょう

そうだ今度はジャスミン茶も使えば、いいかも

ノーネクタイと女性のひざ掛け

2005-06-02 10:42:10 | エコロジー&スローライフ
昨日(6月1日)の新聞、全面広告で

「夏、男性がネクタイをはずせば、女性のひざ掛けがいらないオフィスになります。」
と大きな字で書かれていて、環境大臣小池百合子さんの写真・全身像。え!これって何!思わず、何か書きたくなる!

男が「ノーネクタイ」ならば、女はどうすれば涼しい夏になるだろう!などと思っていた私にガーンと一撃!会社勤めをやったことの無い私にそうだそうだ!と思い出させてくれた。このコピー何かのグランプリですよ!女性のための財団はこのコピーつくった人に賞を上げてください!(ただ、冷房を28℃にしただけでは本当にひざ掛けいらないんだろうか?ミニスカートはいてたら、薄いひざ掛けはいるんだろうな?)

OLが冷房病で苦しんでいると言うことを知ってはいました。何かで読んでいる。ひざ掛けは必需品なのだと言うことも。
たまにしか、電車に乗らない私なので、冷房の恐ろしさを時々忘れてしまう。が、夏、電車やバスに乗るとき私は重ね着できそうなものを持って出かける。着なくても、膝にかけたり、首に巻いたり・・・私は温度差に敏感なのです。暑さ寒さが気にならない人もいます。多少の外気温の変化があったとしても、同じ服で汗もかかずに、平然としておられる方々がいる反面、外気温が体調を崩してしまうように影響を受けてしまう人々も存在するのです。

毎日冷房の中で、暮らすのを余儀なくされている女性が体調のバランスを崩しているのをこのコピーは指摘して、すばらしいのに写真が残念です。
小池さんはミニスカートがはけるのです。けれど、冷房は部屋の下部が冷えるのです。(暖かい空気が上に昇るから)七分丈、八分丈またはロングパンツは無理なんでしょうか?

でも、もし全国の平均冷房温度がたとえ1℃でも下がったら、何かがかわるかもしれない予感はします。