れら工房BLOG

2004年の夏に引っ越して、れら工房をオープンしました。
ブログを始めて10年以上が過ぎました。

ひだまり荘の「つるし雛」

2009-02-27 11:30:52 | エコロジー&スローライフ
今朝は雪が降っています。(あ!もうそろそろ正午ですけど・・)
大粒の雪が少しだけ斜めに落ちています。
庭は白い部分がありますが、道路の雪は消えていきます。

このところ、小雨が降ったりして、天気がいまいちです。

25日水曜日に芹が谷公園の北にある「ひだまり荘」へ「つるし雛」を見に行きました。
3月3日まで展示しています。夕方5時まで。

数年前に見た時よりずっと「つるし雛」が増えていました。ひだまり荘で雛を作るサークルがあって、その方々が作っているので、増えたのだそうです。

「つるし雛」の後ろに写っているのは近所の人から寄贈された雛飾りです。

↓の写真はまた別の「つるし雛」を撮ったものです。
        

「つるし雛」のパーツには食べ物(苺、海老)、花、鳥、動物、てまりなどいろいろあり、いくつか展示されています。↓の写真は花です。着物地(ちりめん)などの残り布で、手縫いでつくられています。こちらの「つるし雛」は伊豆稲取に伝わる作り方だそうです。
        

2月のなかば

2009-02-16 21:36:22 | 畑と庭、花
久しぶりに市民農園へ行きました。
大根のとうがたち始めていたので、ああここも春だな!です。
3本とりました。あと小さいのが3本ありますが、次回は2~3日後位にとってしまわないと・・という予想です。

隣の畑で花が咲いてましたので撮りました。茎が紫色の菜っ葉です。

少し離れた畑にも菜の花が咲いていました。↓

        

ブロッコリーの花を心配しましたが、蕾がやや黄色になってるのもありましたが、ほとんどはまだ↓のように蕾でしたので採ってきました。

        

かなり、いくつも蕾がついているのですが、葉の陰に隠れていたりして、採るのに手間がかかります。

がその手間隙が私の癒しの時間なのかもと感じます。
曇り空のもとで、少し風に吹かれて、大地から食べ物をいただく。
太陽と大気と大地のエネルギーを私の中に取り込み、私は生かされていく・・
すごいなあ!

沈丁花の蕾

2009-02-13 21:47:15 | 畑と庭、花
先程、ラジオを聞いていたら今日、春一番が吹いたのだそうです。明日は4月の陽気とのこと!
私はハコミワークショップに出ていたため春一番は気がつきませんでした。

何となく暖かくなってきてました!
梅の花も咲いているし・・・

写真は2月10日に隣町で撮った沈丁花の蕾です。

明日は公民館のイベントに出るため、ハコミはパスで、明後日はまたハコミです。

あたりは春に向かってます。

来週末はハコミ合宿につき、清里に行きます。
このあたりは春なのに、多分清里は冬でしょう!温泉が楽しみです。
最近は温泉から遠かったな!

シェアハウス

2009-02-08 22:13:44 | Weblog
2月も8日になると、いくらか暖かさを感じます。
今日はよい天気でしたので、なおさら。

もう少しの辛抱で春がやってきます。

さて2月6日の東京新聞に「シェアハウス」の記事がありました。
同紙のネット版には記事の最初の部分が載っていましたので転載します。↓

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心もシェアハウス 新下宿事情 若者の寂しい懐と暮らしに潤い
2009年2月6日

 一軒家などで、他人同士が暮らす「シェアハウス」と呼ばれる共同生活が首都圏で急速に広まっている。敷金や礼金がなく、家賃も安い上、人との交流が盛ん。仕送り額が減っている大学生にも浸透しつつあるという。

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空き家になった民家や会社の寮などを「シェアハウス」として貸す管理会社が増えているそうです。

私が東京に出てきて、一人暮らしを始めた頃、シェアハウスのミニ版のようなところで暮らしていました。
あの頃は共同炊事場、共同トイレが当たり前でした。そして公衆浴場利用でしたよ。
たまに、週末に、何人かでご飯を一緒に食べるということをやってたことあります。
ちょっと広い家が間貸しをしていた時代です。

しかも、1室の広さが3畳が多くて、1回は2畳の時もありました。
2畳の場合は1畳分がベッドでその下に物いれがあるのです。
もちろん棚とかも適当についていて、何とか暮らせるわけです。

その後、学校の寮に入れましたので、楽になりました。(最初は寮も満員ではじかれました。)


いつのまにか一人暮らしというと、バス、トイレ、ミニ・キッチンつきが当たり前になってしまっていたのかもしれませんが、シェアハウスタイプ復活大歓迎!

若者だけじゃなくても、年齢関係なくいいかも。


写真は一昨日撮りました勝楽寺の梅の花です。
お寺の引越しとともに梅の木も植えかえられたはずですが無事に花が咲いてよかったです。


ソマリアの海と放射性廃棄物

2009-02-04 13:23:55 | 環境汚染・公害
最近ソマリアが話題になっていますが、放射性廃棄物をどこに捨てているのかについて、気になる記事がありましたので、転載します。
くわしくはこちら(12月5日の記事)をどうぞ! 

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海賊の物語には、西欧のマスコミには現れていない興味深い隠れたテーマがある。ソシャリスト・ワーカーのサイモン・アッサフによれば、こうだ。


「多くのヨーロッパ、アメリカ、そしてアジアの海運会社、とりわけスイスのAchairパートナーズとイタリアのプログレッソが、1990年代初期にソマリアの政治家や軍指導者達と投棄協定に署名した。

これはつまり、彼等は沿岸を毒物の廃棄場として使えるというものだ。ソマリアが内戦へと落ち込むにつれ、この慣行が広まった。

国連環境プログラムのニック・ナトールは、

「ヨーロッパの企業は、これが廃棄物を処理するのに、極めて安価であることに気がついたのです」

と言う。

2005年のクリスマスに、アジアの津波がアフリカ東海岸を襲った際、大スキャンダルが明らかになった。

巨大な波がそうしたゴミをソマリア沖の海底から取り除いた後、何トンもの放射性廃棄物と有害な化学物質が、海岸に流れ寄せた。

何万人ものソマリア人が、このカクテルに接触した後で病気になった。彼等は国連に苦情を申し立て、国連は調査を始めた。


「村人たちからの、口からの出血、腹部の出血、異常な皮膚疾患や呼吸困難等いった多様な健康障害の報告がある」

と国連は言っている。

およそ300人の人々が、有害な化学物質のせいで死亡したと信じられている。


2006年に、ソマリアの漁師達は、外国の漁業船団が、ソマリア国家の崩壊を、ソマリアの魚種資源を略奪するのに利用していると、国連に苦情を申し立てた。

こうした外国船団は、往々にして、ソマリア人民兵を雇って、地元の漁師を恫喝していた。再三の要求にもかかわらず、国連は対応することを拒んだ。

一方、戦略的に重要なアデン湾をパトロールする世界の大国の戦艦も、有毒化学物質を沖で投棄する船を沈没させたり、だ捕したりしてはくれなかった。

そこで、海域を汚染され、生計手段が脅かされて怒ったソマリア人は、自ら解決をすることにした。漁師たちは武装して、非公式な沿岸警備隊として活動しはじめた。」(ソシャリスト・ワーカー紙)