れら工房BLOG

2004年の夏に引っ越して、れら工房をオープンしました。
ブログを始めて10年以上が過ぎました。

八月十五日

2019-08-16 12:25:46 | 
1945年8月15日に私は何をしていたのか?全く覚えていない!

親戚の家に疎開していたはずだが・・・親も親戚の人々も「終戦」ということを話題にしなかった。


私が覚えているのはある日、私をリヤカーに乗せて、父母が移動していた。

着いたところは、もと住んでいたところではなく、知らない家の2階だった。もとの家の
近くだったが・・・

階下には大勢の人々が暮らしていた。トイレは階下にしかなく、「こんばんわ!」とか「おはよう!」と言いながら暮らしていた。

階下の家族は八百屋だったことを覚えている。そのうちに八百屋一家は引っ越していった。ようやく私は父がその家を購入したのだという説明に納得した。

疎開前に住んでいた2階建ての家は借りていたのだと理解した。

その後、私は保育園にしばらく通い、冬が過ぎ、春になった!

「山茶花、山茶花、咲いた道・・たき火だ、たき火だ、落ち葉焚き・・・」をうたった記憶がある。

小学校にいく準備が始まった。

鞄は絹の着物地をほどいて手縫いで母が縫ってくれた肩掛け鞄だったが・・・

しばらくすると厚めのバッグ用布地でつくられたランドセルの形のものが配られた。

教科書は大きな紙に文字を印刷してあるのをもらい、親が紙を切って糸でとじてくれたものを持って通学した。