れら工房BLOG

2004年の夏に引っ越して、れら工房をオープンしました。
ブログを始めて10年以上が過ぎました。

田植えの季節

2005-06-15 13:53:47 | 畑と庭、花
朝から雨です。
先日の日曜日の午前、青葉区の寺家ふるさと村にある田んぼへ田植えにいきました。天気が良くて、田んぼの水は温かく、裸足で入ってもOKでした。ザリガニ、カエルもいました。「しおからトンボが2匹!」とわめいている子どもの声も響きわたっていました。小さな子どもたちを連れた家族ずれも多く、遊んでいる子もいれば田植えをする子もいました。

私は5歳のときの田植えを思い出していました。疎開で親戚の家にいましたので、そこの家の田んぼの田植えを体験できたのです。母方の祖父の生家で、敷地内の一角に祖母と叔父も住んでいましたので、叔父が植え方を教えてくれました。太陽がふりそそぎ、田んぼの水が温かくて・・・私は誰にも怒られない・・・

その家には菊野さんというお姉さんがいて、遊んでくれました。絣のもんぺでした。ある日、私を桃の畑へ連れて行き、熟した桃をとって食べさせてくれました。その桃の美味しかったこと!私はまた木からもぎとって食べたいと思うけれど・・・まだ、その後、私の人生で機会がありません。

その家のおばあさんは私を鶏小屋へ連れて行き、鶏の餌をやるという仕事を手伝わせてくれました。菜っ葉をきざんだり、ふすまを水でといたり、5才の子でも充分にできることをやらせてくれましたので、私はお仕事をしてるという満足感に浸っておりました。かたわらを鶏が歩いていました。

蚕も飼っていました。きっと、大人は皆忙しかったのでしょう、私は一人で、蚕が餌をたべるのを見ていました。日がたつにつれ蚕が大きくなっていき、桑の葉の切り方が、大きくなっていく。この頃、繭になるまでを見ることができました。理由もなくその変化を見つめていました。そのうちにある日おばあさんが、繭から糸をつむいでいました。そこまでしか見ることができませんでした。終戦後、どのくらいかすると、私は少しばかりの荷物とともにリヤカーに乗せられて、街に戻り、疎開が終わりました。

桃が美味しかったことや、鶏と遊んだことなど、懐かしい!(母は寝るときだけそばにいました。きっと家賃と食費は農作業で支払っていたのでしょう!父はどこかの工場へ働きに行っていたのだそうですが、疎開から帰るときにリヤカーをひっぱっている姿しか覚えていません。父は記憶にないのだけれど母に訊ねたらあの時いたのだという???)