れら工房BLOG

2004年の夏に引っ越して、れら工房をオープンしました。
ブログを始めて10年以上が過ぎました。

獅子舞

2007-01-02 21:02:02 | Weblog
天気は曇りで、雨が降りそうでしたがなんとかもちました。

昨日からお囃子の音が聞こえていて気になっておりました。
今日は近くの神社へお参りに行き、囃子の音はどこから聞こえるのかと、きょろきょろ見回しました。
そのうちに音の聞こえる場所がわかり私は近づきました。
リヤカーに太鼓などを乗せて「○○はやし連」というのぼり旗をたてて移動している一行に出会いました。
獅子舞をする人がいて、「はやし連」があとを追いかけて歩いていく情景でした。
私が子どもの頃、近所でみた光景でした。

ああ、このあたりに以前から住んでいる方々がその伝統を今も伝えているのです。
写真を撮らせてもらいました。
背景の家並みは現代になっているけれど、獅子舞はこうやって伝えられている。
けれど皆様の平均年齢はかなり高そう!
このままだと、これからどうなるのかしら?

この写真に写っている方々以外に囃子1名、獅子舞担当者2?名、お礼を受け取る人1名となっていました。

もし私にお礼を払うゆとりができたら、そしたら私の家にも来て欲しいと思ってしまった!
私が子どものころ、獅子舞はどこかの家に行くもので、私の家は素通りして行ったような気がします。
誰かの家に行って見たような?気がする。多分私の実家はあの頃、そういうところへ支払うゆとりはなかったから。

子どもの頃、お金がなくて、辛かったことを思いだしてしまった!
私は仕方がないことと諦めて、親に文句を言わなかった!
言ってもどうしようもないことがあまりにも明らかだったから。
戦後の時代はどこの家も貧しかった!
運動靴がないから、小学校最終学年の1泊旅行に行くことができなかった。それは学校行事ではなくて、クラスの自由参加行事だったので、親たちはバスで山道は危ないからという理由もつけ加えた。
私は悲しいとも辛いとも言わず、黙っていた。
今になって思い出すと・・いつまでも私はあの時行けなかったのだと何かにつけ、思い出していることに気づく。
いつまでも忘れられない出来事だ。

もしかして、今その時の凍り付いてしまった悲しみをゆっくりと溶かしているのかもしれない。

戦後の貧しさの記憶が豊かさへの憧れとなり、今私たちは洗濯機、冷蔵庫、エアコン、テレビあたりまえの生活となった。
私が小さかった頃、上に書いた4つとも無かった。電話も隣の家にはあったけれど・・
そんな時代から、今まで、ものすごい文化・価値観の変化を生きた。

もう、ゆっくりしよう!
私だって、物質的豊かな生活にあこがれ、あのバブル時代を支えてしまったのだけれど、心の豊かさが大切だと遅ればせながら気がついた!
気がついてしまった!

獅子舞はどうしたら継承できるのだろう!
獅子の顔は芸術だし、あの囃子はこれからも残していきたいし・・・
私に何ができるのだろう?

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