ようやく、今日は曇りとなりました。
よく降りました。降ると寒いですね!
あの数日前の猛暑の次が雨降りの寒さとなって、私はダウンしました。
鼻水タラタラの風邪ひきとなり、寝たり起きたりしてました。
熱も出たのでしょうが最近、体温計がどこにあるかわからないので計りません。
どこかにあるはずなのだけれど・・・
ようやくブログを書ける体力が戻ってきました。
先週末のハコミワークショップは相当な揺れを体験しました。
月曜の夜、帰宅した後、ありあわせのものを食べて寝るだけでしたが、火曜日はフラフラしていて疲れが激しかったので、太極拳にも行かず寝たり起きたり、どうしてもしなければいけない用事のみやって、後は寝てました。
でももっと、休んでもよかったのでしょう!きっと!
水曜日も出かけなければ良かったかなと反省するような体調でした。
ハコミで私は30才後半の出来事を思い出しました。
あるエクササイズで私は「実のなる木を植えたい!栗、梅、胡桃など・・そして花なども」と言っていました。「その辺にはチャボや鶏も歩いていて・・・」
というくだりになると涙が浮かんでくるのです。
え?どうして?
何回かしゃべっているうちにわかってきました。
30才後半頃に私は田舎暮らしがしたいと思い、少し現地調査をしたことがあります。
でも、そんなに簡単なことではなく、当時の子どもを含めた家族4人で引越しはかないませんでした。
その無念さを私はその頃、嘆くことができずにずっと記憶のかなたにしずめてきました。
ようやく私は泣くことができました。
昨日は思う存分?泣けたかな?
ハコミの最終日では「まだ遅くないから、今からでも遅くない」という意味のことを何人かの方々に言ってもらいました。
その日は泣けなかったのですが。帰宅後、私はやっとそのことを嘆けばよいのだと気がついたのです。
鶏がその辺にうろうろしている情景はとても懐かしく思い出されるのです。
ひとつは終戦の直前に数ヶ月母方の親戚に、疎開しました。
そこの腰の曲がったおばあさんが私を鶏小屋に連れて行って、菜っ葉をきざんだり、フスマを水で溶いたりして、鶏の餌を作る仕事を私に教えました。
私はもの珍しくて、面白くて、楽しくて・・・
5歳の私にも何か役にたつことができて、素晴らしい時間でした。
そこのお姉さんも私においしい桃を木からもいで食べさせてくれました。
わずか数ヶ月のそこの暮らしがとても気にいって、いつも私は懐かしく思い出していました。
もうひとつ、子どもの頃、母は私を連れて祖母の家に行きました。
それは毎年お盆の頃だったに違いありません。夏でした。
祖母の家から、母の叔母の家に行きました。
そこの広い庭にはとことこと鶏が地面をつついて、歩いていました。
私より1才年下の女の子と遊びました。近くのトマト畑へ行って食べたトマトの美味しかったこと!
鶏が歩いている風景は暖かくてのんびりしていて、素敵な思い出です。
30才後半頃に私は鶏が飼えるようなところに住みたいと、田舎暮らしがしたいと口に出して言ってみました。
そして、少しだけ探してみたのですが、どうにもならなかった。
私はもしかして鶏に象徴される、のどかな、のんびりした暮らしを望んでいたのかもしれない。
そんなことに気づき、私は涙にくれた。
その頃の暮らしがのどかで、のんびりしていたのかというと、きっと私はそうでない何かに心の奥底で、気づいていたのかもしれない・・・と今思える。
とにかく、私は田舎暮らしが無理なのだ、もう探しに行くということをしなくなった時、大騒ぎをしてもよかったんだ!
悲しいとわめいてもよかったのに!
できなかった私は近くの畑で野菜をつくっていた。
夏になると、私は山梨県白州のサマースクールに子どもたちを連れて行くようになった。
そのうちに息子と私だけが行くようになっていった。
白州でも鶏を飼っていたが、あの懐かしい鶏小屋とは違っていた。どこかが違っていた。
息子が中学生になり、もう親と一緒に行く年頃ではなくなり、私も白州行きをやめた。
その後数年間、田舎暮らしへの道は絶望的なものとなり、私はあせり、もがくことになる・・・
*~*~~*~~~*~~~*~~~*~~~*~~~*~~*~*
30才後半頃に私は自分の気持ちを表現することができなかった。
(その後もずっとそう・・・)
今、私はどのくらい変わって、気持ちを表現できるようになったのだろうか!
まあ、ぼちぼちですよね!
いくらかは言えるようになったでしょうか!
言語で表現できないときにはオーバーに手を動かしてみたりする技を最近身につけました。
目を真ん丸くしてみるとか、オーとかアーとか言ってみたり・・・
ブログに書くという表現方法も気に入ってます。
後で修正したり、追加できるからです。
*~*~~*~~~*~~~*~~~*~~~*~~~*~~*~*
7月5日の「久しぶりの雨」を読み返してみました。
「私は花にとりかこまれている時間、空間が好きで、この庭より、もっと広い庭を
好きなように沢山の花を植えたいものだと夢のようなことを夢見ています。」
などと書いているのですが、その続きを先日のハコミワークでしゃべってみましたら、様々なことが浮上してしまいました。
ま!
でも、まだ遅くはない!
ということで、これからも夢を追いかけて、花を追いかけて暮らしましょ!
*~*~~*~~~*~~~*~~~*~~~*~~~*~~*~*
明日から3日間のハコミワークがあるのだけれど、私は3日目はパスすることにした。
2日目の夜もサークルがあるし・・
3日目は午後が映画「六ヶ所村ラプソディー」を見、夜は公民館で「カフェスロー」の代表吉岡さんの話をききにいきます。
ただし、体力がもったならば・・・
どうなるかな?
だいたい予定は1/3位、実現すればよい方です。
よく降りました。降ると寒いですね!
あの数日前の猛暑の次が雨降りの寒さとなって、私はダウンしました。
鼻水タラタラの風邪ひきとなり、寝たり起きたりしてました。
熱も出たのでしょうが最近、体温計がどこにあるかわからないので計りません。
どこかにあるはずなのだけれど・・・
ようやくブログを書ける体力が戻ってきました。
先週末のハコミワークショップは相当な揺れを体験しました。
月曜の夜、帰宅した後、ありあわせのものを食べて寝るだけでしたが、火曜日はフラフラしていて疲れが激しかったので、太極拳にも行かず寝たり起きたり、どうしてもしなければいけない用事のみやって、後は寝てました。
でももっと、休んでもよかったのでしょう!きっと!
水曜日も出かけなければ良かったかなと反省するような体調でした。
ハコミで私は30才後半の出来事を思い出しました。
あるエクササイズで私は「実のなる木を植えたい!栗、梅、胡桃など・・そして花なども」と言っていました。「その辺にはチャボや鶏も歩いていて・・・」
というくだりになると涙が浮かんでくるのです。
え?どうして?
何回かしゃべっているうちにわかってきました。
30才後半頃に私は田舎暮らしがしたいと思い、少し現地調査をしたことがあります。
でも、そんなに簡単なことではなく、当時の子どもを含めた家族4人で引越しはかないませんでした。
その無念さを私はその頃、嘆くことができずにずっと記憶のかなたにしずめてきました。
ようやく私は泣くことができました。
昨日は思う存分?泣けたかな?
ハコミの最終日では「まだ遅くないから、今からでも遅くない」という意味のことを何人かの方々に言ってもらいました。
その日は泣けなかったのですが。帰宅後、私はやっとそのことを嘆けばよいのだと気がついたのです。
鶏がその辺にうろうろしている情景はとても懐かしく思い出されるのです。
ひとつは終戦の直前に数ヶ月母方の親戚に、疎開しました。
そこの腰の曲がったおばあさんが私を鶏小屋に連れて行って、菜っ葉をきざんだり、フスマを水で溶いたりして、鶏の餌を作る仕事を私に教えました。
私はもの珍しくて、面白くて、楽しくて・・・
5歳の私にも何か役にたつことができて、素晴らしい時間でした。
そこのお姉さんも私においしい桃を木からもいで食べさせてくれました。
わずか数ヶ月のそこの暮らしがとても気にいって、いつも私は懐かしく思い出していました。
もうひとつ、子どもの頃、母は私を連れて祖母の家に行きました。
それは毎年お盆の頃だったに違いありません。夏でした。
祖母の家から、母の叔母の家に行きました。
そこの広い庭にはとことこと鶏が地面をつついて、歩いていました。
私より1才年下の女の子と遊びました。近くのトマト畑へ行って食べたトマトの美味しかったこと!
鶏が歩いている風景は暖かくてのんびりしていて、素敵な思い出です。
30才後半頃に私は鶏が飼えるようなところに住みたいと、田舎暮らしがしたいと口に出して言ってみました。
そして、少しだけ探してみたのですが、どうにもならなかった。
私はもしかして鶏に象徴される、のどかな、のんびりした暮らしを望んでいたのかもしれない。
そんなことに気づき、私は涙にくれた。
その頃の暮らしがのどかで、のんびりしていたのかというと、きっと私はそうでない何かに心の奥底で、気づいていたのかもしれない・・・と今思える。
とにかく、私は田舎暮らしが無理なのだ、もう探しに行くということをしなくなった時、大騒ぎをしてもよかったんだ!
悲しいとわめいてもよかったのに!
できなかった私は近くの畑で野菜をつくっていた。
夏になると、私は山梨県白州のサマースクールに子どもたちを連れて行くようになった。
そのうちに息子と私だけが行くようになっていった。
白州でも鶏を飼っていたが、あの懐かしい鶏小屋とは違っていた。どこかが違っていた。
息子が中学生になり、もう親と一緒に行く年頃ではなくなり、私も白州行きをやめた。
その後数年間、田舎暮らしへの道は絶望的なものとなり、私はあせり、もがくことになる・・・
*~*~~*~~~*~~~*~~~*~~~*~~~*~~*~*
30才後半頃に私は自分の気持ちを表現することができなかった。
(その後もずっとそう・・・)
今、私はどのくらい変わって、気持ちを表現できるようになったのだろうか!
まあ、ぼちぼちですよね!
いくらかは言えるようになったでしょうか!
言語で表現できないときにはオーバーに手を動かしてみたりする技を最近身につけました。
目を真ん丸くしてみるとか、オーとかアーとか言ってみたり・・・
ブログに書くという表現方法も気に入ってます。
後で修正したり、追加できるからです。
*~*~~*~~~*~~~*~~~*~~~*~~~*~~*~*
7月5日の「久しぶりの雨」を読み返してみました。
「私は花にとりかこまれている時間、空間が好きで、この庭より、もっと広い庭を
好きなように沢山の花を植えたいものだと夢のようなことを夢見ています。」
などと書いているのですが、その続きを先日のハコミワークでしゃべってみましたら、様々なことが浮上してしまいました。
ま!
でも、まだ遅くはない!
ということで、これからも夢を追いかけて、花を追いかけて暮らしましょ!
*~*~~*~~~*~~~*~~~*~~~*~~~*~~*~*
明日から3日間のハコミワークがあるのだけれど、私は3日目はパスすることにした。
2日目の夜もサークルがあるし・・
3日目は午後が映画「六ヶ所村ラプソディー」を見、夜は公民館で「カフェスロー」の代表吉岡さんの話をききにいきます。
ただし、体力がもったならば・・・
どうなるかな?
だいたい予定は1/3位、実現すればよい方です。