Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

キャンプ旅行 モロッコ入国

2012-01-30 15:55:56 | モロッコキャンピング 2012年

モロッコへ渡る準備に英国でキャンパーの保険を再申請し1月10日から1ヶ月と決めていた。9日には又パルモネスのエージェント近くへ駐車して一夜を過ごした。



朝8時、強風に黒雲立ち込める悪天気のせいでもあって夜は明けず、10数キロを高速道路からセウタ(Seuta)行きのフェリー港へむかった。パルモネスのスーパーの駐車場では、キャンプ場と間違えるくらい駐車していたキャンパーが半数くらいのしか残っていなかった。
フェリーは6時、8時、9時、12時とあり9時のフェリーに乗るべく、30分以上も待ったがあんなにたくさん居たキャンパーが一台も見えない。

セウタはモロッコ北端にある小さなスペイン領で、他にモロッコのタンジア(Tangier)行きのフェリーが出ている。8時のセウタ行きは高速で35分、9時は50分で着く。暗い中を運転することを嫌う亭主の為9時のフェリーを選んだ。



悪天候で波が高く港を出て左にジブラルタルを見ながら気分が悪くなってきた。この数年毎回の旅で大型フェリーに乗っているが、船酔いしたのは今回が久しぶりだった。
波が高くフェリーも予定より遅れて1時間以上かかってしまった。

 



とにかくやっとスペイン領セウタに着き、パスポートチェックもなしに街中に押し出されてしまった。セウタの町は本土とほとんど変わらず、このカラフルな建築物の一角だけが珍しい。海岸通に出て1kmでモロッコの国境に着いた。

そこで目にした混雑振り、8時のフェリーで渡ったキャンパーがズラッと並んでいる。私たちのキャンパーが近くへ行くと白い長衣を着たモロッコ人がここへ来いと手招きする。国境管理の係官だと思って並んでいるキャンパーの横の車線へ行くと、長く待っていたであろうキャンパーの人たちが怒っているのがわかる。
そのモロッコ人は私にパスポートと書類を持って付いて来いという。壊れた窓にカーボードを貼り付けたお粗末な国境管理室の窓で、パスポートに入国許可印を押してもらい、キャンパーの登録をして早々に入国できた。白い長衣のモロッコ人はお礼に2ユーロくれというが、小銭を持っていなくてモロッコのお金で20DH(1.8ユーロ)をあげたら不服そうだった。

この粗末な国境管理室は4箇所あり、二人が一室でパスポート管理、他の一室は車の登録管理で、仕事が遅い。入国もひどいけど、反対の出国側などもっと大混雑、一ヶ月後のスペインへ帰るときが思いやられる。

入国したモロッコ側は一体何があるのか判らないが、100人ばかりの人たちが道の両側にびっしり集まってそのうるさいこと、女性はすべてスカーフをかぶり長い民族衣装姿。男性は洋服や民族衣装が混じりあっている。




 




そこを抜けると道路はきれいで両側に立ち並ぶ純白の建物はスペイン・ポルトガルと全然変わらない。海岸線に沿って南下したがこの辺りはヨーロッパからのホリディタウンでどんどん新しいホテルや町が作られている。








今夜のキャンプサイトはセウタから35kmくらい南のマーティル(Martil)に決めた。早く落ち着いてモロッコのお金を下ろしてこなければならない。
キャンプサイトは町の一角で設備はヨーロッパより劣るが、一応電気も水もお湯も出るから文句は言えない。海岸通は素晴らしいがシーズンオフのため店やレストランが全部しまっている。町のメインストリートも埃っぽいが、スペインの田舎の町みたい。銀行のATMで現金を下ろし、もうこれで安心。アラブのタイル模様や建築物に興味深深、写真を撮りながら歩いていたら若い男性二人、写真を撮ってくれと手まねきし、ピースなんてやっていた。愉快な人たち。やっと緊張が解けてきた。

 





お昼の12時、午後3時半、6時半9時と4回も近くの回教寺院のミナレットから大声のお祈りの歌声が流れ出し、”ウワーやっぱりここはモロッコだ”と感じいったしだい。
夕方までにキャンプサイトはフランスのキャンパーでいっぱいになってしまった。

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