小雪が舞肌寒さは変わりがありませんが、2年前の震災の嘘のような穏やかな海、避難者はまだ31万人、生活再建もつかず、日々のみ過ぎていくようです.ふるさとに戻りたくとも戻ることができぬ家族、まだ見つからない家族、子供を・・母を・父をと心晴れぬ1日でした。
震災9ヶ月後の仙台上空、あれから1年少しは復興したことでしょうか。今日は世界中の人々が黙とう、犠牲者を追悼する祈りの終日でした。
小雪が舞肌寒さは変わりがありませんが、2年前の震災の嘘のような穏やかな海、避難者はまだ31万人、生活再建もつかず、日々のみ過ぎていくようです.ふるさとに戻りたくとも戻ることができぬ家族、まだ見つからない家族、子供を・・母を・父をと心晴れぬ1日でした。
震災9ヶ月後の仙台上空、あれから1年少しは復興したことでしょうか。今日は世界中の人々が黙とう、犠牲者を追悼する祈りの終日でした。
東京から戻って10日ほど、毎日、何らかの行事があり、家に居ることがない日々、元気であるが故に皆様のお役に立つことができるのだと思いながら暮らしています。当然お酒を飲む機会も、でもこんな時だからこそ、話しやすい、話ができることが多く、この機会を使わせていただき、なるべく多くの方とお話するようにしています。今回も打ち解けた話をすることがない方とのお酒の席での会話、差しつ差されつ、普段言えないことも単刀直入にこんな時のお酒は有難いことです。
東京25度まで気温が上がりもう真夏並みの暑さとか、それに引き換え北国はマイナス6度、昨日から猛吹雪、すべての交通機関が止まっています。積雪は我が家の庭は3mはあるでしょうか。降ったり溶けたりと春が来るのは5月の連休明け、まだまだのようです。
孫の葉ちゃんも高校受験を無事終えて、卒業式を迎える年になりました。子どもの成長は早いもので孫の卒業式には出席できませんが地元の中学校、来賓として出席、感無量のことでしょう。こんな時年を感じるのでしょうか。
施設に入ったヨリさん、元気なのでデーサービス扱い、家に戻ってきました。早速電話があり、帰ったとの連絡、この真冬にと驚きながら友を誘って訪問、食事は施設から配達とのこと、呑気なことを言ってましたがこの吹雪、夜が心配・・やはり施設の方が連れ戻しに来ました。一安心。
アメリカ在住の娘クンちゃんメールや電話・・「おばさん頼むね」とまた19日に戻ってくるから、「おばさん沖縄に母さん連れて行こう思う一緒に」とお誘いが・・ヨりさんとの旅行の機会はもう余りないかなと心が動きましたが・・・。
先日NHK、山田洋介監督100本の映画、最終日の100本が「男わつらいよ」が放映山田監督が「懐かしい1本です」と話されていました。
昭和43年から44年にかけてのフジテレビドラマ、その後映画化されたそうですが、懐かしく先日行った葛飾柴又を思い出しました。スカイツリーのあとに京成線に乗り乗り換えて柴又、寒くてホカホカイロを薬局で買い求め、背中に貼り付けた記憶のみ、「矢切の渡し」の船にも乗ろうと思っていましたがそれもせず・・だんごも食べそこね、寅さん記念館もす通り帝釈天参道を急いで通り、柴又帝釈天題経寺も駆け足で・・もう一度ゆっくり暖かな日に立ち寄りたいと反省しています。
『男はつらいよ』渥美清主演、山田洋次原作・監督のテレビドラマおよび映画です。テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、何かの拍子に故郷の葛飾柴又に戻ってきては何かと大騒動を起こす人情喜劇シリーズ、このテレビ版はヒットしましたが、最終回で寅次郎がハブを取りに行こうとして、逆にハブに噛まれ、毒が回り死んだと言う結末に視聴者から多数の抗議が殺到して、映画化につながったとも言われています。
駅を降りると足の短い寅さんがお出迎え 帝釈天参道、普段は人々で賑わうのでしょうが、この寒さでは・・・。
柴又帝釈天題経寺、ここには寅さんが産湯を使ったという御神水があり、彫刻の寺でもあり、彫刻ギャラリーも見事でした。
上野のパンダさん、繁殖期に入り、当分会うことができないとの報道・・良かったと。今度は元気な赤ちゃんを産んでくださいな。
両国ホテルから徒歩3分、コンサート会場の国技館の隣にあります。江戸、東京の歴史と文化に関わる資料を収集、保存展示している江戸博物館、毎回慌ただしく帰札、今回はじっくりと見ることができました。
お江戸日本橋 七ツ立ち 初のぼり行列そろえて あれわいさのさ コチャ高輪 夜明けて 提灯消す (コチャエー コチャエー)
こんな歌があったように思います。復元されている日本橋を渡って会場に 江戸の様子がミニチア版で復元、江戸の賑やかさが伝わってきます。
殿のお駕籠、昔の人は短身小柄な方が多かったのでしょうか。現代人には至難の技。
東京コンサートも3回目、羽田から大門、大江戸線に乗り両国までその間いつも泉岳寺を通ります、一度は訪ねたいと、今回やっと実現しました。1612年慶長17年に徳川家康が創建され、1641年に焼失されたとは言え、徳川家康の命で、毛利、浅野等の大名で再建されたとのこと、さぞや大きなお寺と思いながら泉岳寺駅に降り立ちました。目印どころか何の案内版もなく、地図を広げてウロウロと・・必ずお世話好きの方はいるものです。通りすがりの方が近づきすぐそこだと教えていただきました。東京もんはつれない、冷たい・・などと言いますが、この方は泉岳寺のお隣さん道理で、東京人は地方の方が仕事に、道を聞いてもわからない、今回も多くの方に道案内を・・サーとの返事が返ってくるのが多かったように思います。地下鉄、JRと乗り方乗り継ぎ、乗っていればいずれは目的地に到着とは思いますが、大勢の方に道案内お世話になりました。
泉岳寺は浅野長矩墓および赤穂義士墓、元禄14年(1701年)3月14日、江戸城中で吉良義央に対し刃傷沙汰に及び、即日切腹した赤穂藩主浅野長矩の墓、及び、元禄15年(1702年)12月14日、江戸本所の吉良邸に押し入って義央を討ち、元禄16年(1703年)2月4日に切腹したいわゆる赤穂浪士の墓です。ここには大石内蔵助良雄以下の四十七士が眠っています。線香が絶えないこじんまりとした静かな場所でした。
さまざまな美術館が点在、昔懐かし西郷ドン、上野のお山に堂々と立っていたように思いましたが、小粒に、周りの景色が様変わりしたせいでしょうか。東京スカイツリーも望める高台、1200本の桜、東京一の桜の名所、あと半月もすれば見事な桜街道大勢の人で賑わうことでしょうに、残念でした。
明治の初めに開かれた上野動物園日本初の公的動物園だそうです。敷地が広く今回はジャイアントパンダがお目当て、約500種の動物がいるそうですが今回はパンダ、ホッキョウクマ、アザラシ、アジアゾウ、ニホンザルと・・。
食っや寝、食っちゃ寝の生活でしょうか。竹を器用に両手で掴み・・お食事中
暴風の中老人ホームのボランティア「みなさんと一緒に歌いましょう」とお誘いが有り出かけていきました。我が家からはバスで10分ほどの老人ホーム、バスを降りてびっくりしました。あたり真っ白、大きな建物の老人ホームが見当たりません。目も開けられないほどの風と雪、足元は深い雪で道路がどこなのか、視界不良、ふきだまりと人こ一人通らない道を歩いてやっとのことで時間に間に合いました。
北海道8人もの人が、車に閉じ込められて亡くなったとのこと、朝起きてまたびっくりしました。昨夜の雪とふきだまりでできた雪山、玄関フード開かず、家はすっぽりと雪の中、3月1日、除排雪、道路の雪は全てなくなったのに一晩にしてこの有様、朝から雪かきに追われクッタクタ・・・・。周りの家の様子もこの通り。今年のような大雪も珍しいことです。
上野動物園パンダの報告と思いましたが、3月3日、ひな祭りの大雪も珍しいことかと思って。パンダちゃんは明日。
両国のホテル25階、部屋から朝日とスカイツリー、スカイツリーとお月様と、寒かった、東京の2月こんなに寒いとは知りませんでした。
遠くを見れば富士山が、真下には国技館と最高の場所でした。
朝、ホテルからバスにてスカイツリー駅に、混雑を予想して早めに出ましたが、待ち時間もなくスムーズに
展望デッキまで分速600m、約50秒。耳がキューンと・・・。
展望デッキ(350m)からの360度です。東京湾、新宿、東京ドーム
隅田川 上野・浅草
東京タワー 富士山
展望回廊(450m)・・カラスの床