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2019年 ホセ・クーラ "私は移民と移民の過去を知っている"――ハンガリーでのインタビュー

2019-03-09 | 芸術・人生・社会について②




今回は、直近のハンガリーでのホセ・クーラのインタビューを紹介したいと思います。

近年、ハンガリーとの文化的関係が非常に親密になっているクーラ。前回の記事で紹介した通り、来季(2019年秋~)からは、ハンガリー放送文化協会の客員アーティストとして3年間の契約を結びました。

そういう一連の交流の流れのひとつでもあると思いますが、今年2月24日には、ハンガリーでリストの再来と言われたピアニスト、ジョルジュ・シフラの名を冠したシフラ・フェスティバルに出演、最終日のガラコンサートで、このフェスティバルの創設者であるハンガリーの若手ピアニストのヤーノシュ・ボラージュと共演しています。

このコンサートの様子はいずれ紹介したいと思っていますが、今回は、そのフェスティバルにむけて掲載された、クーラのインタビューを抜粋して紹介します。

ハンガリー語のため、いつものように、誤訳直訳、ご容赦ください。ぜひ元のページをごらんください。



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Q、シフラ・フェスティバルに名を冠しているジョルジュ・シフラと、フェスティバルの創設者であるヤーノシュ・ボラージュ(ピアニスト)の名前は?

A(クーラ)、シフラ・フェスティバルでヤーノシュと知り合った。私は、彼がシフラの芸術的遺産の精神でフェスティバルを創設したことは素晴らしいイニシアチブだと思う。
シフラの比類のない美徳を超えて、さらに彼は、精神、信仰、そして力で、困難を克服できることを示した模範的な人格だった。彼は苦痛と恐怖に満ちた人生を過ごしが、それでも彼は、彼自身の苦しみを克服することができた。ジョルジュ・シフラは人類の好例だ。


Q、あなたが30年前に作曲したオラトリオ「この人を見よ」は、昨年プラハ交響楽団と世界初演された。なぜ作曲家としてのデビューまで、それほど長くかかった?

A、過去20年間、私は歌のキャリアにほとんど専念してきた。毎年、100を超える公演、コンサート、オペラ公演が私のエネルギーを奪った。ステージに出続けることに飽きることもある。

現在、かつてほどは歌っていないので、ようやく最初の決意、つまり私が実際にプロの音楽家になるために学んだ職業に戻ることができた。それが作曲と指揮に他ならない。私は指揮者、合唱指揮者、そして作曲家として大学を卒業しているのだから。






Q、かつて故郷のロサリオでビートルズの歌を歌っていた男は、依然としてお金のために歌っていた?

A、その通り。
当初私にとって歌は、慣習的な結婚のようだった。それからゆっくりと歌を好きになり、そして新鮮な愛のように感じるようになった。


Q、あなたは現在、よく知られている指揮者、パフォーマー、写真家に加えて、演出、セットデザイン、衣装デザインなどのすべてをやっている。ある人はルネッサンスの精神を持っていて、また、ある人はそういうやり方は難しいと信じている。これについての真実は?

A、1つのことを失った時、自分自身も多様性のなかにいることに気付くだろう。
確かに、それは創造性の問題。私がしていることは、実際には、同じ活動の異なる分岐、または別の側面だ。

私は基本的に、自分自身のことを、空想力を働かせることができる創造的な人間だと考えている。
歌手としてと同様に、演出家、指揮者として認められる日を密かに待っている。


Q、あなたのかつての教師で、アルゼンチンの歌手だったカルロス・カストロは、あなたのことを巨大な才能をもつ野生生物だと言った。年をとってそれは変わった?

A、むしろ、私は、いつ爪を立て、情熱を発揮すべきかを学び、そして一緒に働こうとするとき、自分自身を抑制することを学んだと言えるだろう。






Q、ヨーロッパ諸国の移民問題にどのように取り組むべき?

A、私は移民と移民の過去の両方を知っている。
私の祖父母は、戦前に、イタリアとスペインからアルゼンチンに渡った。90年代の前半、私は自分の運を試すためにヨーロッパに来て、逆方向に移住をした。

難民危機は、誰もが、見て見ぬふりをすることができない問題だ。何よりもまず、人々は好きで故郷を去っているわけではないことを知るべきだ。差別、迫害を受け、その出身や宗教、その他の理由で苦しんでいる人々の尊厳が尊重されなければならない。難民も欧州市民と同じ権利と義務を持つべきだ。統合を解決するために、主に、善意、社会的意志、組織、そして法的枠組みをつくることだ。


Q、あなたのオペラ演出の多くには、逃避と他者性による社会的剥奪というモチーフが繰り返し出てくる。テアトロコロンで、またボンとモンテカルロのブリテンのオペラ、ピーターグライムズなど。

A、何であろうとすべての仕事は、実際の人間の生活の状況についての個人的または集団的なドラマに関するものだ。それが今日において、社会的反映が避けられない理由だ。
例えば、非難されたピーターグライムズは、コミュニティによる排除とヘイトスピーチの犠牲者だ。


Q、今後オペラは?

A、私は最近、喜劇「モンテズマと赤毛の司祭」を完成させた。これはヴィヴァルディの音楽を題材にした面白い話だ。私はその脚本も書いた。現時点では、世界初演を受け入れるオペラハウスを見つけることに全力を注いでいる。


(*2020年1月29日、ハンガリーのリスト音楽院で、コンサート形式ですが初演されることが決まりました。)
 → それについての記事 


Q、この問題を抱えた世界で、あなたが楽観的な理由は?

A、気に入っている例え話の1つで答えたい。
フラワーショップの素晴らしい香りのよい花の間に糞を混ぜ入れた場合、入ったばかり人は、そこにどんな臭いがあるか気づく。私の楽観主義は、糞より花が多いという信念から来ている。

(「hvg.hu」)


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クーラが出演したシフラ・フェスティバルのジョルジュ・シフラは、リストの再来、天才といわれたピアニストでしたが、たいへんな苦難の人生を歩んだ人のようです。かつてジプシーといわれたロマの家系に生まれ、戦後、ソ連の軍事的な支配が続いた祖国から脱出しようとして投獄、その後、世界的な活動を許されましたが、火事による息子の死で大きなショックを受けるなど、時代に翻弄され、そして個人的な不幸にもみまわれた人生だったようです。

クーラがシフラを、困難に立ち向かい克服したという面から高く評価していることは、とても印象的です。
シフラの人生の背景には、旧ソ連の圧政とその支配を受け、抑圧社会となっていた東欧の国々の苦難の歴史、そのもとで自由とくらしの向上、社会進歩を求めた人々の苦闘と歩みがありました。

そしてクーラ自身も、軍政時代のアルゼンチンで少年から青年への多感な時期を過ごし、イギリスとのフォークランド戦争では徴兵で予備役となり、出兵の寸前に戦争が終結するという体験をしています。その後、母国の民主主義の再建と経済的混乱のなか、音楽家として生計をたてることができず、やむなく祖国を離れ、渡欧し、多くの困難を乗り越えて、現在にいたるキャリアをひらいてきました。

そういうクーラの人生をふまえての発言であり、今回のインタビューはとても説得力と重みがあります。
ハンガリーは、この間、欧州をめざす難民、移民の問題をめぐって、政治的にも社会的にも大きく揺れ動いています。そのハンガリーにおけるインタビューで、移民問題での見解を明確に発言し、差別と迫害を受けている人々の尊厳を尊重すること、難民に欧州市民と同じ権利と義務を与えるべきであり、そのための市民的社会的な条件整備、法的枠組みの必要性を主張しているのは、とても大事な点だと思います。

最後の花屋の例えばなしは、インタビューのまとめ方のためか、また訳の不十分さのためもあって、ちょっと分かりにくいですが、これまでのクーラの発言から推測すると、若い人たちへの期待と、人間と社会の進歩に対する大局的な信頼を語っているように思います。

アーティストの社会的責任として、平和と自由、社会的公正のための発言をいとわず、弱者の権利擁護の立場にたつクーラ、そして芸術は現代の社会と人間の生活を反映するものであり、そうでなければならないことを主張し、実践してきました。世界は多くの問題を抱え、困難は大きいですが、根本的には、前向きに、楽観的に、積極的に生きていくクーラの姿勢は、いつものことですが、今回はとりわけ印象的でした。



*写真は記事からお借りしました。



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