人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2016年 ホセ・クーラ、プラハ交響楽団とユニセフのためのコンサート / Jose Cura & Prague Symphony Orchestra for UNICEF

2016-12-30 | プラハ交響楽団と指揮・作曲・歌 ~2017



2016年12月7、8日、ホセ・クーラは、今シーズン2回目のプラハ交響楽団とのコンサートを行いました。今回は指揮者として、ラヴェルのボレロや、母国アルゼンチンを中心に南米の作曲家の曲を演奏しました。 *今季1回目 → 2016年10月のオペラアリア・コンサート

プラハ交響楽団のHPに多くの写真が掲載されましたので、それでコンサートの様子を振り返りつつ、このコンサートにむけてプラハで公表されたインタビューから、クーラの発言を抜粋して紹介したいと思います。

プラハ交響楽団のシーズン・プログラムから。


≪プログラム≫

●アストル・ピアソラ(アルゼンチン) タンガーソ「ブエノス・アイレス変奏曲」
●アルベルト・ヒナステラ(アルゼンチン) バレエ組曲「エスタンシア」
●モーリス・ラヴェル(フランス) 「ボレロ」
●カルロス・グアスタビーノ(アルゼンチン) 「3つのアルゼンチンのロマンス - 第1番 少女たち」
●シルベストレ・レブエルタス(メキシコ) 「マヤ族の夜」

指揮=ホセ・クーラ  
プラハ交響楽団

2016年12月7、8日 スメタナホール プラハ

ASTOR PIAZZOLLA Tangazo, Variations on Buenos Aires
ALBERTO GINASTERA Dances from Estancia Op. 8a (Czech premiere)
MAURICE RAVEL Bolero
CARLOS GUASTAVINO Las niñas (The Girls), No. 1 from Tres Romances Argentinos
SILVESTRE REVUELTAS The Night of the Mayas, music from the film (Czech premiere)

SYMFONICKÝ ORCHESTR HL. M. PRAHY FOK / PRAGUE SYMPHONY ORCHESTRA
José CURA | conductor

≪コンサートの様子を、クーラのFBに掲載されたニュース動画から≫

クーラが指揮する様子やインタビューが収められた2分ほどのニュースクリップです。
  → リンク クーラのFBの動画にとびます。




≪ユニセフのパートナー≫

今回のコンサートは、ユニセフのためのチャリティーコンサートでもありました。収益の一部が、世界の子どもの命と健康を守るために活動している国際機関ユニセフ(UNICEF:国連児童基金)に寄付されたそうです。

今回のコンサートの際に、クーラはユニセフ・パートナーの認定証(?)のようなものを受けました。








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プラハ響のコンサートマスターと。



――2016年11月にプラハのプレスが公表したインタビュー(「Opera Plus」)より

●私と仕事をするのは指揮者にとって楽なこと

Q、あなたは指揮と作曲を勉強した後、歌い始めた。同僚の指揮者から恐れられたことは?

A、プロフェッショナルとして必要な準備をしている人は、誰も私を恐れることはない。
私は時折、それぞれの反対の側に立つので、求められるものを正確に知っているため、私と一緒に働くのはとても楽だ。
しかし、彼らが、自分が望むものを知っていることが重要だ。あなたが欲しいものを知っていて、そして私が必要なものを知っている時、私たちの優れた協力を妨げるものはない。しかし、その人間が望むものが分からない場合もある。この場合、協力は複雑になる。

●曲の世界初演は子どもの誕生のようなもの

Q、逆に、作曲家としてのあなたは、自作の世界初演の際に、あなた自身が歌う場合は、指揮が他の人に委ねられるが、心配は? それとも友人の指揮者マリオ・ローズだけを受け入れる?

A、私は自分の仕事を、友人のマリオ・デ・ローズだけに結び付けているわけではないが、もちろん、私の曲の初演を行う時には、指揮台に信頼できる指揮者にいてもらいたい。
曲の初演、それは、常に微妙なプロセスであるため、我々は直接的に、難しい問題を話し合う。
また、偉大な作曲家でさえ、テストの過程で、修正や訂正のためもっと多くのことが必要になることがよくある。その瞬間まで、すべてがまだあなたの頭の中にあるために。それからそれが現実のものになった時、あなたは作者として聞き、さらに微調整する必要がある。
あなたは、あなたの心の中にあるものを転送しなければならない。実は、それは、困難ではあるが、非常に美しいことだ。子どもの誕生のように。

偉大な天才のマーラーやプッチーニでさえ、常に何かを修正している。ましてや、私のような普通の人にとっては?
私は指揮者が神経質になることを知る必要がある。私が彼を止めて何らかの要求をしたとしても、それは彼の権威を尊重していないということを意味するわけではない。したがって、私はいつも、私にとって気心の知れた指揮者と仕事をするようにしている。





●いま、オペラの台本を執筆中

Q、現在、新しい曲を作っている?

A、私は悲劇的なオペラの台本を書いているが、それが何であるかを明らかする段階にはまだない。自分自身で台本を書くことやあらすじを編集することは、私が表現したいものに最も適している。もちろんそれは、しかるべき人によるチェックや言語的な訂正を受けなければならない。

Q、台本を書いている?あなたは歌手、指揮者、ディレクター、セットデザイナー...あなたはすべてをやることができると感じている?

A、そうではない。
もちろん私にできることはたくさんある。しかし、実際は、3つか4つのこと、私はそれをうまくやり遂げることができると思う。
しかし、私のまわりにこのような人たちはたくさんいる。ただ私は、他の人と違い、それを公然と示して実行するだけの勇気をもっている。私はいくつかの分野で手足を動かすことを恐れない。

●木工は大好き、しかし車の修理は・・

Q、あなたな非常に多彩なアーティストだが?

A、私は自分の手で作業することが大好き。小さな手工芸品は上手くやれると思うし、木材を扱うのが大好きだ。
しかし、私には完全に欠落している1つの領域があることを認めている――私の車が動かないと、私はその上に立って泣くしかない・・(笑)。





●プラハ響との出会いは運命的

Q、プラハ交響楽団との協力関係はどのようにして?


A、それは運命だった!
しばらく前、オーケストラと同じ航空機に乗り、その時にマネージャーのテレサ・クランプロヴァが私に気づいて話かけてきた。2日後、私は会議に招待された。
契約は非常に簡単で迅速だった。なぜなら両方の当事者に利益があったからだ。私は主にオペラの世界で外国に行っているが、ここで私はシンフォニック・ミュージックの分野ですばらしい機会を開くことができた。

Q、プラハ響のレジデントアーティストとして2期目だが、コンサートはどのようにして?

A、私たちの仕事は、プラハ響のリーダーシップに常に新鮮で新しいものを発案しようとしていることだ。「ただのコンサート」だけではなく。
コラボレーションはラフマニノフの交響曲から始め、したがって私たちは、高いバーを置いた。プラハ響の代表者とともに、常に、あたらしいピークを一緒に登ってきたので、退屈はなく、それは一種のクレッシェンドに成長した。
私は、聴衆に、私が間違いなくユニークな何かを行うだろうことを保証したい。





●単純で退屈なのは、私のやり方ではない

Q、ラテン音楽を、あなたは他の国では歌手として歌っているが、プラハでは指揮者としてだ。他でやったプログラムを少し変えて持ってくることも可能では?

A、この年齢で、長年のキャリアを経た私にとって、大事なのは、最も簡単な解決策を見つけることではなく、美しさを創造すること。
私は、人々が好む音楽にアクセスすることを望む。私にとっては個人的には難しくなっても、私は気にしない。

単純で退屈なのは、私のやり方ではない。より軽くより簡単な生き方をするのは、私が死ぬまでの間にまだ時間がある。(笑い)
私の人生はこれまでのところ容易ではなかったし、私はそれに満足している。私は15歳でステージにデビューし、それから29年間の国際的キャリアを開始した。音楽活動は約40年間になる。

私とプラハ響は、まだ協力の第2シーズンだ。ラテンアメリカの歌を歌うことなどは、いつか将来的にプログラムに含まれるよう、我々が、まだこの先に多くを持っていることを願っている。





Q、12月5日のあなたの誕生日と今回のコンサートは近いが、あなたが作曲したオラトリオの初演がないのはなぜ?

A、確かに残念だが、私たちは考えていなかった...しかし、それはよかっただろう。

Q、あなたの公式カレンダーでは、2017/2018シーズンも、プラハ響に引き続き協力することがわかるが、あなたのコラボレーションの期間は?

A、契約は3年間を含んで締結されている。
しかし私は、3年後も、私たちの協力が終わらないことを願っている。私は、その先も、少なくとも1年に1回、プラハ響と一緒にコンサートができるよう望んでいる。
今私たちがやっていることが、将来も継続していく、その始まりにすぎないなら、私はうれしいと思う。





Q、2017年6月16~29日に、あなたはベルギーのリエージュで、あなたの最も有名な役、ヴェルディのオテロを演じる。長年オテロをやってきて、まだ改善する点がある?それとも完全にルーティン?

A、それは一般の人には信じられないかもしれないが、このオテロの役柄では、私は、まだ毎回、演じるたびに新しいものを取り入れようとしている。オテロは、常に何かを見つけることができる優れた役柄だ。

それはまた、結局のところ、時がたつにつれて、私の人生経験は異なっていき、私は別の観点からこの役柄を見ている。かつて私は、35歳の時に、50歳の男であるオテロの役に初挑戦し、髪とひげを灰色に染めなければならなかった。
今私は、彼と同じ50代の1人となり、何も染める必要はなく、50代の彼が感じることについて、自分自身が感じるので、熟考する必要はなくなった。例えば、立ち上がる時、膝の痛みを感じ、朝起きて、何か急いで「動き」をしようとすると全身が痛くなり、体は別の言葉を話す。

ちょうど1年前、ある批評家がブダペストで、私のオテロについて、歌だけでなく興味深いボディーランゲージが完全に賞賛されるべきと書いた。私は、彼のこの体の痛みを感じることができる――オテロはマンリーコやカラフのような、若いヒーローのロビンフッドのタイプではなく、ある問題を抱えた男だ。この役柄の進化は複雑であり、勇敢で、価値のある指揮官であるが、人間的には貧しく、嫉妬深い夫、臆病な殺人者であり、自殺に至る。

Q、2015年1月、プラハ国立オペラの舞台でオテロを歌うのを見た。どうやって体を横たえて歌うのか?

A、堅実な技術を持っていれば、ステージ上で違ったことを試みることができる。それは技術的には難しいことだが、不可能ではない。
私の名前は幸いにも、リスクを取り、珍しい作品を見せてくれるものとして言われている。
無名の若いアーティストが挑戦するには勇気が必要なことだろう。あなたが初心者でパフォーマンスで失敗したら、批評家はあなたを踏みつけ、キャリアを破壊する。
尊敬されるアーティストとして、私はさらに進んでいくことができる。観客は、私が可能なことの境界を押し広げようとし、それを観客のためにやっているということを理解してくれるだろう。もし私が何かを完全に歌うのに失敗しても、それは私が歌うことができないという意味ではない。私はリスクをとり、何らかのミスがあっても、許されるだろう。





Q、最もあなたを驚かせたオテロのプロダクションは?

A、私はいくつかのプロダクションについて長く話すこともできるが、プロフェッショナルな倫理綱領は、記録のうえで、その質問に答えるのを妨げている!(笑い) しかし、私のキャリアの上では、非常に良くない、いくつかのプロダクションでオテロを演奏したことを認めなければならない。

Q、あなたのキャリアで最高のオテロのプロダクションは?

A、明らかに私自身のもの!(笑い)

Q、あなたはブエノスアイレスのテアトロコロンでオテロを演出した。これは2013年のオペラ作品の投票で最高のものとして国際的に認められた。インタビューで「誰もが自分の国の預言者ではない」と述べたが、それは今も同じ?

A、部分的にはまだ変わっていないと言える。アルゼンチンの聴衆は私を愛してくれている。批評と行政については常にそうはいえない。
その多くは政治。しかしそれは、地球全体で動いている。
今、私がいる、ここチェコ共和国でも、興奮している人々は一部であり、そして、他の部分は、人々は楽しんでいない。それはゲームの自然な一部。
コロン劇場でのオテロのプロダクションの6公演はすべて完売し、スタンディング・オベーションを受けた。しかし批評は賞賛しなかった...。

Q、批評を読む?役に立つ以上に落胆することは?

A、それは私の仕事の重要なフィードバックなので、私はすべてを読んでいる。
しかし批判的な視点で見るので、私は、悲しみや落ち込んで失うものは何もない。兵士は自分がどこにいるのか知らずに戦争に行くことはできない。
あなたがレビューを本当によく読んでいれば、誰が二次的な目的を追求し、指示され、支払われた人物なのかわかる。それは悪いことだ。そのようなことをよく知り、名前を覚えて、それらから自分自身を守る。
しかし、著者がある作品や公演が好きではない場合、そうしたレビューを積極的に受け入れることは問題はない。これらは私の敵ではない。
そこには私の芸術作品の真実で正直な評価がある。





Q、この間、どんなオペラのプロダクションがあり、今後、何をしようとしている?

A、2015年の9月から10月初めにかけて、ベルギー・リエージュのオペラ劇場で、プッチーニのトゥーランドがあった。ここで私は演出と舞台デザインをし、カラフを歌った。
来年2017年、ドイツのボンで5月と7月に、ブリテンのオペラ「ピーター・グライムス」を準備している。そこでは、舞台デザインと演出をし、タイトル・ロールでも私のデビューになる。

Q、演出、セットデザイナーとして、あなたはオペラの現代的なコンセプトを好む?それとも伝統的なもの?

A、私は特にこの部門について、古典的か現代的かで、好みがあるわけではない。私は知性的なコンセプトを好んでいる。
生産が知的であれば、伝統的でありながら、新しく、現代的で、前衛的であることができる。重要なのは知性だ。
プロダクションが伝統的でかつ愚かな場合は、確かに気がつく。 現代的で愚かな場合はそれも登録される。
逆に、観客が知的なショーと見なしている場合、あなたは懸念することなく、穏やかに受け入れる。
問題は、今日において、オペラの台本を全面的に保持するインテリジェントなコンセプトを作り出すことだ。
時には、コンセプトがショーの最初の10分のためだけが良いオペラを見ることがある。ステージの3時間を、同じ強度で保つことができるコンセプトを作成することが非常に重要だ。これが私が知性と呼ぶものだ。





Q、プラハ国立歌劇場との協力について交渉は?

A、このオペラハウスは現在閉鎖されているため、状況はより複雑だが、プラハ国立オペラ座のリーダーシップで、私たちは、少しずつ、協力について話し合っている。多分、12月にインタビューをしたなら、もっと言えることがあっただろう。
プラハ国立歌劇場が、私の複数の能力を使い、複数の仕事をやることができたら嬉しい。
個人的には、チェコ共和国とプラハは、現在のウィーンのように、注目に値すると思うし、これまで同様に手伝いたいと思う。この小さな国には、作曲家、歌手、指揮者など、数多くの偉大な音楽がある。今日でも、プラハ交響楽団やチェコ交響楽団など、多くの偉大な指揮者とオーケストラがある。プラハには2つのオペラハウスがあり、地域内には他に3、4つの有名なオペラハウスがある。あなたたちは非常に豊かな国だ。特にアートとクラシック音楽において。

Q、チェコの聴衆は他の国と比べて違いがある?私たちは南部のあなたと比べて、クールすぎる?

A、私はクールな、またはぬるま湯の聴衆から、舞台のエネルギーによって強い反応を呼び起こすことができる。
私が1998年に初めて日本に行った時、私は、聴衆は静かだと警告されていた。しかし、それどころか、驚いたことに、日本人はフットボールのフーリガンのように座席に跳ね上がったことを覚えている。 → 初来日の新国立劇場開場記念のアイーダについて 
また、チェコの観客は情熱的であり、それは間違いなく、この国のクラシック音楽の伝統と関連している。あなたたち聴衆は、他国と比較しても非常に教育を受け、訓練を受けていて、関心をもってコンサートやオペラに行く。そして、メトロポリタンオペラやスカラ座でしばしば起こるようなことはない。チェコの聴衆は、オーストリア、ドイツ、スイスと同水準で、イタリア、スペイン、ギリシャとは全く違っている。
北部の観客はシンフォニック・ミュージックに焦点を当てており、南部は主にオペラを志向している。
私はまた、南部の聴衆の拍手が驚くほど自発的ではないことを観察している。隣の人が立ち上がって「ブラボー」と叫ぶか、それとも批判をするかどうか、人々は慎重に周りを見回す。そして、それがまさに主要なオペラハウスだ。
たとえば、スカラ座では、パフォーマーのアーティストに向かって、一部の聴衆の側がいじめをすることさえある――マリア・カラスやルチアーノ・パヴァロッティなどの名前を含め、それぞれのアーティストに、それに関する経験がある。





Q、チェコ語は?

A、チェコ語は学んでいない。あなたたちの言語は重すぎる。
かつてドヴォルザークのラヴ・ソングを歌った。言葉のコンサルタントをもっていたが、発音が完璧だとは思っていない。
実際のところ、英語の歌を歌うことは、大きなチャレンジだ。

Q、若い時に反逆者だったが、あなたは今はより控えめ?年をとったことに反感を感じる?

A、私はまだ反逆者だ。
違いは、私が若かった時は "ロマンチックな反逆者"だったが、今私は、"ストイックかつ実用的な反逆者 "だ。
私は、物事のいくつかは一笑に付すことを学び、エネルギーを不必要に無駄にしないようになった。

(終)





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実は、ラヴェルのボレロの演奏の際に、ユニークな演出があったようです。
指揮者であるクーラは、なぜか観客席に?



ボレロと言えば主役である小太鼓。ドラムの奏者を指揮台に座らせ、そのリズムによってオーケストラをリードさせたということでした。
現地で観賞したファンの方によると、曲の間、クーラは客席に座って、いっさい指揮はしていなかったとのこと。リハーサルでしっかり指示を伝え、本番では、この曲とドラムに敬意を表して、ドラム奏者を主役にするという、いかにもクーラらしい、やり方だと思いました。



ドラムが設置された指揮台の前で、何やら話しているクーラ。






こちらはプラハ交響楽団がアップした、クーラのインタビュー動画です。コンサートのプログラムについて語っています。
José Cura about the programme of his concerts



プラハでは、雑誌のインタビューも受けたようです。






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クーラは12月5日の54歳の誕生日、プラハでオーケストラのメンバーに祝ってもらったみたいですね。(↑上の写真)

実は、12月7、8日のプラハ響のコンサート、その前日の6日まで、クーラはウィーン国立歌劇場で西部の娘に出演していました。海外のファンの情報によると、クーラは11月末からウィーンのオペラ出演をこなしながら、公演の合間をぬって4回もウィーンとプラハを往復して、リハーサルを行っていたとのことです。

体力的にはかなり負担が大きいことと思われますが、何と言ってもクーラ自身が、音楽を楽しみ、オケと観客とともに楽しんだコンサートとなったようです。そのことは、クーラがフェイスブックに紹介した、ある観客からのメッセージにも表れています。


  

「私はほぼ55年間、交響曲を聴いてきた。マエストロ・クーラがプラハ交響楽団を指揮するのを見ることは、私に、ニューヨーク・フィルを指揮するレナード・バーンスタインを思い起こさせた。彼(クーラ)は常にオーケストラを楽しんでいるように見え、さらに重要なことに、オーケストラは本当に彼のために演奏することを楽しんでいるように見える。 昨夜のコンサート(2016年12月8日)は、シーズンのハイライトの1つであり、その後、約15分の喝采が続いた。ブラボー!」

多くの実りをもたらしているクーラとプラハ響とのコラボレーション、次回は、2017年の3月8、9日、クーラ作曲のオラトリオ「Ecce homo」の世界初演のほか、サティやレスピーギの曲をプログラムに、クーラは歌と指揮を行います。これもまた楽しみです。 → 今シーズンのプラハ響とのコンサートについて

また今回のインタビューでは、初来日の際の日本の聴衆の熱狂ぶりについて語っていたのが印象的です。クーラの記憶にも残る出来事だったのですね。





*画像はプラハ響のHPやクーラのFBよりお借りしました。

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