人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2001年 ホセ・クーラ パリでオテロ / Jose Cura Otello in Paris

2016-09-07 | オペラの舞台―オテロ



1997年にアバド指揮のベルリンフィルでオテロにロール・デビューしたホセ・クーラ。その後の数年間で、マドリード、ロンドン、ブエノスアイレス、ミュンヘン、チューリッヒ、ウィーンと、世界の主要劇場に、オテロでの出演を果たしました。
そうしたなかでの1つ、2001年にパリのシャトレ座で、コンサート形式で上演されたオテロを紹介したいと思います。

Otello (Giuseppe Verdi) in concert
José Cura , Karita Mattila , Anthony Michaels-Moore
Conductor=Myung-Whun Chung

March 26, 29, April 1, 2001
Théâtre du Châtelet paris

現在の円熟したクーラのオテロの魅力とはまた違って、声も若々しくのびやかで、同時に、一定の経験を重ねた安定感もある歌唱です。
残念ながら、動画はなく、録音のみですが、音質はまずまずです。
あわせて、その年のクーラのインタビューも紹介したいと思います。パリのオテロのこと、オテロデビューの経過や、オテロの音楽、解釈などについても語っています。

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<イギリスでの対談より――BBC Forum 18 April 2001>
Q、パリのオテロを聞き、歌による感情表現と強さに驚いたが、この「感情的な進化」の源泉は?


A、ありがとう。この言葉は心を癒してくれる。パリのオテロの公演の後、「オテロとして歓迎できないオテロを見るのは残念だった」というコメントがあったので、あなたのような言葉に感謝する。
より多くの経験を得ようとすることによって、感情を伝える方法を学ぶ。それは人生におけるあらゆることと同じ。若い時には、叫ぶことによって、強烈で力強くなると思うが、その後、強さは、つくりだすノイズの量ではなく、あなたがまわりに伝えるエネルギーの量によることを学ぶ。おそらくこれが「感情的な進化」の秘密だ。


パリのオテロより、第1幕、オテロの登場場面
Jose Cura 2001 "Esultate" Otello



Q、観客の対応は国によって異なる?

A、観客への敬意を込めて言うのだが、通常の状況では、観客は、彼らが受けるに値するパフォーマンスを、アーティストから得る。判断されるのは、アーティストがその夜、何ができるかということだけではない。その方程式の反対側は観客だ。
あなたがステージ上にいる場合、観客があなたに愛を与えてくれなければ、あなたは観客に愛を返すことはできない。これは私が、観客が彼らにふさわしいパフォーマンスを得るということの理由。もしアーティストが、エネルギーと愛と観客との結びつきを感じているならば、アーティストは聴衆のために、彼の血を捧げる用意ができている。


第1幕、オテロとデズデモーナの二重唱「もう夜も更けた」
Jose Cura 2001 "Già nella notte densa" Otello



Q、あなたが選ぶドリームキャストは?

A、私が彼らに求めるのは、私が彼、彼女におくるエネルギーと愛に、同等に応えてくれる人たちであることだ。
それができるなら、名前や有名かどうかは重要ではない。私たちが話し合っている重要な点、感情的な側面、それは私が芸術を見る観点におけるキーポイントだ。


オテロの第2幕、デズデモーナとオテロの二重唱、そしてイアーゴの言葉で疑念をつよめていくオテロ。
Jose Cura 2001 Otello "D'un uom che geme sotto il tuo..Tu, indietro, fuggi!"



<2001年ロンドンでのインタビュー About the House>
●スティッフェリオでのロンドンデビューが最初のオテロにつながった


1995年にロンドンのロイヤルオペラにデビュー、ヴェルディのスティッフェリオでタイトルロールを歌った。それが最初のオテロにつながった。
デビューした後、複数のレビューアが書いた。「ここに潜在的なオテロがいる」と。その後、私はオテロのオファーをもらうようになった。しかしそれは、自己分析と準備なしにやるべきことではない。私はスコアを買い、学び始めた。
そして最終的に私は、1999年にバービカンで、サー・コリン・デイヴィスとともに、オテロを歌う申し出を受け入れた。それが私の最初のオテロになるはずだった。


第2幕、オテロとイアーゴの二重唱「大理石のような空にかけて誓う」
José Cura "Si, pel ciel marmoreo giuro!" Otello



●ドミンゴのキャンセルを受けて、トリノでのオテロデビューへ

しかし運命は、1997年に一歩、踏み出した。プラシド・ドミンゴがトリノで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とクラウディオ・アバドによるオテロに取り組んでいた時のこと。
理由は知らないが、プラシドは、キャンセルしなければならなかった。しかし、これは非常に大きなイベントであり、ベルリンフィルが初めてトリノに来ることになっていた。
彼らは私に「もしできるならば」と尋ねてきた。おそらく彼らは、私のデビューが、話題性を追加すると考えたのだろう。
私は、自分が準備ができていたとは思わなかった。34歳だった。どうすればいいか、自問自答した。
リスクを取る。ご存知のように、それは報われた。そして再びファックスは、オテロのパートを歌うようにオファーを送り届け始めた。


第3章、オテロとデズデモーナの二重唱~オテロの独白
一方的に疑念を確信し、苦悩し、運命を呪い、復讐を誓うオテロ。
Jose Cura 2001 "Dio ti giocondi, o sposo... Dio! mi potevi scaglia" Otello



●自分のオテロ、過去の歌手の真似はしたくない

私は自分のオテロを持ちつつある。私は特に、過去の歌手がおこなった、あれこれのやり方を真似したくなかった。
私が、オテロのパートで、大きな声をたくさん出さないことに関して、失望する人々がいる。しかしそれは、オテロがあるべきものではない。
スコアを見るべきだ。ヴェルディの指示は非常に正確だ。叫ぶことは正しくない。あなたも知っているように、私は、必要であるなら大きな音をつくることができるが、しかしそれは、ここではない。
第2幕の「そして永遠にさらば,神聖な思い出よ」を、ヴェルディは1か所、ピアノ・ピアニッシモを指示している。この時点では、オテロは、人々にむけて歌っているのではない。これは強烈な、内面的な瞬間だ。
私は、その場面と、サムソンとデリラの最後の幕の冒頭、石臼に結び付けられたサムソンのアリアと比較する。ここでサムソンは、誰のためでもなく、ただ自分自身と神のために歌う。第2幕のオテロも同じだ。
そして歌手は、自分自身を焼きつくしてしまいたくないなら、そのシーンにおいて慎重でなければならない。

第1幕の終り、チェロのソロ、その後、愛のデュエットの前にチェロのカルテットがある。
ヴェルディは歌手に、この一瞬の休息を与える。オテロが、その前の怒りから、デズデモーナへの優しさに移行するために。
しかし理解する必要がある。オテロは、まわりの人々をコントロールするために、怒った表情を用いている。あたかも、子どもをしかる父親のように。しかし、その後、すぐに、彼の妻に笑顔をむける。彼は、戦士であり、自然な司令官だ。


第4幕、 ラストシーン オテロとデズデモーナの最後、オテロの死
Jose Cura 2001 "Chi è la... Niun mi tema" Otello



●オテロとワーグナー

第2幕の冒頭、イアーゴーの「クレド」のオーケストラの導入部分で、ヴェルディがワーグナーから引用していることが指摘されている。
おそ​​らく、そうなのだろう。しかし私は、オテロが、ドン・カルロ以上にワーグナー的だとは思わない。ヴェルディが、すべての偉大な芸術家のように、当然、音楽だけなく、彼の周りに起こっていたことを強く認識していたということを除いては。





●オテロはハンカチーフの物語ではない


オテロを失われたハンカチーフに関する愛の物語とするならば、それは死ぬ。シェイクスピア、それからヴェルディとボーイトは、はるかに大きな問題を扱っており、物語は彼らの媒体にすぎない。それは愛、名誉、人種、政治、階級についてだ。
もちろん、シェイクスピアがストーリーを創ったわけでなく、イタリアの原作に基づいていることは知っている。そこではオテロも黒人ではなかった。シェイクスピアがそうした。それは彼の天才だ。当時のヴェネツィアでは、一般には黒人は考えられなかっただろう。

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クーラが質問に答えて語っていますが、この時点でもやはり、クーラのオテロが、「自分のたちの期待するオテロではない」ということで、失望し批判する人がいたようです。これに対してクーラ自身は、「過去の歌手の真似はしない」「自分のオテロをつくる」というつよい意志をいっかんして持ちつづけてきました。

「どの役割においても、クーラは、深くキャラクターを見つめ、オペラを超えていこうとする」--この記事のなかで、インタビュアーがクーラを評価して言った言葉です。クーラのこうした姿勢は、現在に至るまで、一貫しているように思います。これまでこのブログで、つたない和訳ですが、クーラのインタビュー、とりわけオペラとキャラクターの解釈についての発言をまとめてきて、私自身が実感していることです。

今現在、クーラは、ベルギーのワロニー王立歌劇場で、プッチーニのトゥーランドットの演出とカラフの出演に取り組んでいます。この演出に際しても、こうしたキャラクターと物語の解釈の深い掘り下げが試みられていることと思います。いずれインタビューなどが公表されたら、ぜひ、演出意図や構想などを紹介したいと思っています。








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