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テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

1997年 ホセ・クーラ、アバド指揮、ベルリンフィルとオテロにデビュー / Jose Cura / Otello in Torino

2016-06-01 | 1997年、アバド、ベルリンフィルでオテロデビュー



ホセ・クーラがヴェルディのオテロにロール・デビューしたのは、1997年のトリノ・レージョ劇場でした。以来、20年近くの間、解釈を深め、演技と歌唱を成熟させてきました。

この時はもともとプラシド・ドミンゴが予定されていましたが、キャンセル。急きょ、クーラに白羽の矢がたったようです。
それにしても、この公演は、たいへんな豪華布陣でした。指揮はクラウディオ・アバド、オーケストラはベルリン・フィルハーモニー、演出は著名な映画監督であるエルマンノ・オルミです。
キャストは、デズデモナがバルバラ・フリットリ、イヤーゴはライモンディでした。
しかも、イタリアのテレビ局RAIがテレビ生中継とは、若いオテロのデビューにとって、とてつもないプレッシャーだったと思います。

後にクーラは、「危険だった・・非常に。わずかなリハーサル、オーケストラと2日間、ステージングのために1週間だけ。それまでのキャリアで最大のメディア露出――アバドの指揮、ベルリン・フィル、エルマンノ・オルミ、RAIテレビ中継・・。本当に大胆なステップだった。歴史は私についていろいろ言うことができる。しかし誰にも、私に根性がなかったと言うことはできないだろう」と回想しています。

クーラのインタビューなどから、当時の思いを抜粋してみました。
またいくつか動画を紹介したいと思います。

 

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――2006年インタビューより
●34歳でオテロデビューのチャンス
私がオテロにデビューした時、私は34歳だった。そしてそれは、非常に大胆なことだった。マエストロ・クラウディオ・アバドと一緒で、世界に生中継された。私は「このチャンスを失うことはできない」と考えた。

そして私がしなければならないことは、オテロを34歳の男のように歌うことだった。しかし、この役柄で私とは比べものにならない素晴らしい経験をもつ45から50歳、そして60歳のテノールの解釈と比較すると、私は、自分の解釈に夢中になることはできなかった。もし私が彼らのようにやっていたら、私は第1幕の終りで、使いものにならなくなっていただろう。

 

●その年齢でのオテロ解釈を
だから私は、非常に抒情的なオテロを創った。声のボリュームよりも、より舞台上の存在感と演技にもとづいて。

多くの人はこう言った、「これはオテロではない、抒情的すぎる」と。確かに抒情的だった。
しかし34歳の時に、他に何ができるだろうか。これは私が永遠に続ける解釈ではない。これは、非常に危険で非常に困難であるこの役柄、45歳の成熟にふさわしい、テノールにとって象徴的な役柄であるオテロデビューのリスクを取ろうとする、34歳の男のための解釈だった。これは、リスクを計算し、生き抜くことを教えてくれた。

 

●史上初、生放送でのオテロデビュー
オペラの歴史のなかで、34歳でオテロに生放送でデビューした初めてのテノールだ。これは絶対に大胆かつ無責任だった。多くのテノールは、多かれ少なかれ、こっそりとオテロにデビューし、役柄に対処できることを確認する。そして、それができることを知って、次のオテロをよりオープンにする。

私はそれを34歳でやり、その時に可能な私のやり方でやった。批評家にとっては驚きだったが、そうやることで、その後も生き延び、いまこうやって話すことができている。  

 

――2015年インタビューより
●時には作品があなたを選ぶ
あなたが作品を選択するのではなく、作品があなたを選択する時がある。私は、34歳で初めて、オテロのタイトルロールを歌った。私はこれ以前に、この可能性を夢見たことさえなかった。
しかし、ある日、私は電話を受けた。「私たちはあなたのためにこのチャンスを持っている。あなたはそれを取るだろうか?それとも、このユニークな機会を失うことになる?」――電話線の末端から聞こえた。

私はすでに知っていた。これは、私の人生の大ヒットになるかもしない。このプロダクションは、1997年に100カ国以上でテレビで生中継されたのだから。アバドとベルリンフィルによって、このパフォーマンスは大成功した。

  

●作品との20年間の恋愛関係
これが私とこの作品との、20年間の「恋愛」の始まり方だった。

私は、このオテロの私のパートだけではなく、オペラ全体を熟知している。全てのキャストの音符、全ての歌詞と楽器のパートをほとんど暗譜している。少し努力すればデズデモーナのパートも歌うことができる...それは、毎回毎回、より詳細な多くのことを発見しつづけるための作業工程の一部だ。
ネバーエンディング・ストーリーだ。



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この時のクーラは、ベテランのライモンディと共演。老獪なイアーゴに手玉にとられる、まだ若い一途な青年オテロという印象でした。
リハーサルの動画をみると、映画の巨匠のオルミ監督が、クーラやフリットリに非常にきめ細かく演技を指導している様子がわかります。
アバドとベルリン・フィルの音楽、クーラの瑞々しい声、可憐なフリットリとの美しい舞台姿、オルミ監督によるきめ細かな演技・・成熟したオテロと違う、フレッシュな魅力の舞台です。

YouTubeには、keyakixxさんという方が、舞台リハーサルの様子やインタビューを紹介したTV映像と、舞台の主な場面をアップされています。
リンクを紹介させていただきます。

リハーサル動画(1)
Otello-Abbado-Cura-Frittoli-Raimondi-Rehearsal(1)


リハーサル動画(2) 後半にインタビューあり
Otello-Abbado-Cura-Frittoli-Rehearsal(2)-interview


舞台第1幕 オテロの登場"Esultate!"
Otello-Abbado-Cura-Frittoli-Raimondi-Atto1-1"Esultate!"


第1幕 オテロとデズデモナの二重唱
Già nella notte densa...


第2幕 オテロとイアーゴ 二重唱 "Si, pel ciel・・"
José Cura "Si, pel ciel marmoreo giuro!"


第3幕
Otello-Abbado-Cura-Frittoli-Raimondi-Atto3-1


第3幕
Otello-Abbado-Cura-Frittoli-Raimondi-Atto3-2


第4幕
Otello-Abbado-Cura-Frittoli-Raimondi-Atto4


1997年の衝撃的なオテロデビュー以来、20年近くオテロを歌い続けてきたホセ・クーラ。
世界中でオテロを歌い続け、解釈を掘り下げ、2013年には故郷アルゼンチンのテアトロコロンでオテロを演出、今年2016年にはオテロの指揮も成功させてきました。

「ヴェルディの音楽と手紙を土台においた役柄の解釈、ヴェルディのスコアに対する革命的読解の旅はまだ終わっていない。――ホセ・クーラ」




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