現代の人権(第02回)
藤原保信(ふじわら やすのぶ)『自由主義の再検討』(岩波新書・1993年)
第Ⅰ章 自由主義はどのようにして正当化されたか
1資本主義の正当化
現実に存在する政治および経済の制度としての資本主義
その成立の理由と正当性
資本主義の発展過程における正当性の希薄化と異質化
資本主義の生成、発展、そして消滅
異なる制度へと必然的に変化・発展する
1私有財産は悪であるか
自由主義の経済的側面としての資本主義経済・市場経済
自由主義の政治的側面としての議会制民主主義
資本主義経済・市場経済のメルクマールとしての私有財産制度と市場経済制度
ヨーロッパにおける私有財産と市場経済の成立
それ以前の時代としての封建主義
封建主義(非自由主義としての)から資本主義(自由主義としての)への発展
発展を促進した理由と正当性
ヨーロッパ史における私有財産と市場経済
プラトン『国家』 私利私欲の対象としての「家族」と「私有財産」の否定→ある種の「共産主義」を志向
弟子のアリストテレス プラトン批判→人間性の発揮は家族の繁栄と私有財産の増加へと無制限に向かう
家族制度や私有財産制度には目的がある
その目的のために家族の繁栄と私有財産の増加を追求
しかし、家族の繁栄と私有財産の増加が自己目的化してしまうおそれがある
そうならないために倫理的な歯止めが必要
私有財産の取得には
狩猟、牧畜、農耕のように外的世界や環境に働き掛けて自然的なもの
物と物との交換という人為的なもの(交換過程において媒体として貨幣が必然的に出現する)
貨幣の増加を自己目的化してはならない!
アリストテレス『政治学』
「それが生みだす利得は、自然的になされたものではなく、他の人々の犠牲においてなされたものである。高利貸の行為はもっとも憎悪すべきものであり、おおいなる理由(憎悪すべき理由)をもっている。けだしそれは貨幣が機能すべく意図されている過程からではなく、貨幣そのものから利潤を得るからである」。
彼の言葉を解説すると、
本来的には貨幣は、市場において、物と物を交換するための媒体でした。例えば、肉を持っている人Aと魚を持っている人Bがいるとします。Aは魚を食べたい、Bは肉を食べたいと考えています。AとBの2人の希望が実現するためには、2人が1つの市場で出会い、そこで肉と魚を効果することが必要ですが、AとBが常に出会えるとは限りません。そこで、AとBの間に肉と魚を流通させる業者Cが介在して、Aの肉をBに、Bの魚をAに届ける仕事をし始めます。このCは野菜とか果物などを持っているわけではないので、Aから肉を手に入れるために一定の交換手段を使います。これが「貨幣」です。貨幣は、本来的には市場において物と物を交換するための媒体であり、そういうものでしかなかったのです。しかし、肉や魚を買うためには「もとで」が必要なので、それをDから借りるしかありません。これが高利貸です。DはCに貨幣を貸し、その返済を受けるときに利息を請求します。高利貸は、肉と魚の交換の過程において貨幣が担う機能から利得を生み出すのではなく、貨幣そのものから利得を得ることができます。
アリストテレス 私有財産の増加に対する倫理的な歯止め(高利貸を念頭に置いていた)
2キリスト教世界と所有権
プラトン 私有財産を全面的な否定
アリストテレス 高利貸しなどを念頭に置きながら、私有財産の増加に対する倫理的に制限
古代の哲人 私有財産に対して消極的な立場に立っていたことの理由の正当性
中世の時代は?
キリスト教の世界としての中世
国家・社会の中心にあるキリスト教
新約聖書マタイ伝 「富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方がもっとやさしい」
教父アウグスティヌス 私有財産は人間の罪の所産。その罪を償うための救済手段であった。
「所有欲そのものが罪を犯しエデンの薗を追われた人間の結果であり、かつそれゆえに私有財産は、この地上に一定の秩序と平和をもたらすための必要悪であった」。
中世最大の神学者トマス・アクィナス
1人々は、多くの人々と共同的なことがらとりも、自分自身にのみかかわるものを獲得することに、より多くの関心を示す。
2人々は、配慮すべき自分の仕事をもったとき、人間に関わる事柄は、より秩序だった仕方で処理されるが、人々が配慮することを忘れ、あらゆることをなそうとしたとき、完全な混乱に陥る。
3各人が自分自身のもので満足しているかぎり、その方が人々をより平和な状態へと導く。
私有財産の取得に関して、自然的なものと人為的な交換によるものに区別
後者の交換による私有財産の増加について
1自分の生活を満たすためのものと、2利潤獲得のためのものに区別し、
2の利潤獲得を自己目的化した交換と私有財産の獲得を批判
「けだしそれは、それ自身獲得欲にのみ奉仕するものであり、つねにそれ以上に拡大していく以外に限界を知らないからである。それゆえ交易は、それ自体として考えられたばあい、つねに一定の卑劣さを含み、それ自体としてはいかなる公正で必要な目的をも含まない(『神学大全』)。
アウグスティヌスとアクィナス
アリストテレスと同様、私有財産を肯定的に受け止め、一定の倫理的な歯止めをかけることを求め。
ただし、利潤の獲得だけを目的とした交換、とりわけ高利貸しによる利子の取得には容赦なく批判
3マックス・ウェーバーのテーゼ
私有財産や富の蓄積に対する倫理的な歯止め、宗教の教えによる消極化
経済活動はどうなるか。
中世の経済的な関係は倫理や宗教の枠内に押しとどめられ、それ以上に発達しないくなる危険性
経済活動の自由を主張し、来るべき資本主義社会を準備する人は出現することの困難化
私有財産と富の蓄積に対する倫理的・宗教的な制約の解除の必要性
私有財産の増加と富の獲得の促進と正当化
資本主義への道の倫理面・宗教面における開花
マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
ヨーロッパにおける宗教改革とプロテスタンティズムの倫理が資本主義や私有財産を肯定化
ウェーバーによると、
前近代の封建主義的な経済関係を否定して、近代の資本主義を準備したのは何か?
ルネサンス的な快楽主義か?
救済という宗教的目的にしたがって利益を正当化し、むしろ営利を要求したプロテスタントィズムか?
14世紀から16世紀におけるイタリアにおいてギリシア、ローマ時代の文芸復興
中世から近代へと歴史を進める精神的・哲学的なきっかけ
しかし、封建主義の経済関係から資本主義の経済関係へと発展したきっかけは、
営利、富の蓄積、快楽、私有財産を否定しながら、
しかも「救済」という宗教的目的に従って利益を正当化した宗教、すなわちプロテスタンティズム
その典型としてのカルヴィニズムの二重予定説
神の召命(しょうめい)としての職業に専念し、勤勉に働き、快楽を慎み、禁欲的な生活を送り、
その結果として富が蓄積されるならば、それは神の召命に忠実に従った結果、証しであり、
それが救済への確証を得る根拠として受け止められた。
4ジョン・ロックと私的所有権の正当化
イギリスの思想家ジョン・ロック(1632-1704年)
トーマス・ホッブス『リヴァイアサン』
自然権→自然状態(万人に対する万人の闘争)→自然法→闘争の制限と自由(所有権と私有財産)の保障
ロック 自然状態→労働→所有権と私有財産の獲得→自然法→自由と権利の保障
大地と全ての下等動物とは、すべての共有物であるけれども、各人は自分自身の身体に対する所有権を持っている。本人を除いては、何人にもかかる権利は属さない。彼の身体の労働と彼の手の動きはとは、まさに彼のものということができる。そこでどのようなものであれ、彼がそれを、自然が準備し放置したままの状態から取り出せば、彼はそれに自分の労働を混ぜ合わせ、それに自分自身のものたる何ものかを付け加えたことになり、そのことよってそれを彼の所有物とするのである。それは自然が置いた共有の状態から彼によって取り出されたのであり、かかる労働によってそれに何ものかがつけ加えられ、それが他人の共有権を排除していくのである。というのは、かかる労働は労働する物の疑いもなき所有物であるから、彼以外の何人も一度加えられたものにたいしては権利を持つことはできないからである(『市民政府論』)。
イギリスにおける資本主義経済の正当化
では、制限は? 自然法による外在的な制限?
私有財産の増大と富の増加を内在的に制限することは可能か?
藤原保信(ふじわら やすのぶ)『自由主義の再検討』(岩波新書・1993年)
第Ⅰ章 自由主義はどのようにして正当化されたか
1資本主義の正当化
現実に存在する政治および経済の制度としての資本主義
その成立の理由と正当性
資本主義の発展過程における正当性の希薄化と異質化
資本主義の生成、発展、そして消滅
異なる制度へと必然的に変化・発展する
1私有財産は悪であるか
自由主義の経済的側面としての資本主義経済・市場経済
自由主義の政治的側面としての議会制民主主義
資本主義経済・市場経済のメルクマールとしての私有財産制度と市場経済制度
ヨーロッパにおける私有財産と市場経済の成立
それ以前の時代としての封建主義
封建主義(非自由主義としての)から資本主義(自由主義としての)への発展
発展を促進した理由と正当性
ヨーロッパ史における私有財産と市場経済
プラトン『国家』 私利私欲の対象としての「家族」と「私有財産」の否定→ある種の「共産主義」を志向
弟子のアリストテレス プラトン批判→人間性の発揮は家族の繁栄と私有財産の増加へと無制限に向かう
家族制度や私有財産制度には目的がある
その目的のために家族の繁栄と私有財産の増加を追求
しかし、家族の繁栄と私有財産の増加が自己目的化してしまうおそれがある
そうならないために倫理的な歯止めが必要
私有財産の取得には
狩猟、牧畜、農耕のように外的世界や環境に働き掛けて自然的なもの
物と物との交換という人為的なもの(交換過程において媒体として貨幣が必然的に出現する)
貨幣の増加を自己目的化してはならない!
アリストテレス『政治学』
「それが生みだす利得は、自然的になされたものではなく、他の人々の犠牲においてなされたものである。高利貸の行為はもっとも憎悪すべきものであり、おおいなる理由(憎悪すべき理由)をもっている。けだしそれは貨幣が機能すべく意図されている過程からではなく、貨幣そのものから利潤を得るからである」。
彼の言葉を解説すると、
本来的には貨幣は、市場において、物と物を交換するための媒体でした。例えば、肉を持っている人Aと魚を持っている人Bがいるとします。Aは魚を食べたい、Bは肉を食べたいと考えています。AとBの2人の希望が実現するためには、2人が1つの市場で出会い、そこで肉と魚を効果することが必要ですが、AとBが常に出会えるとは限りません。そこで、AとBの間に肉と魚を流通させる業者Cが介在して、Aの肉をBに、Bの魚をAに届ける仕事をし始めます。このCは野菜とか果物などを持っているわけではないので、Aから肉を手に入れるために一定の交換手段を使います。これが「貨幣」です。貨幣は、本来的には市場において物と物を交換するための媒体であり、そういうものでしかなかったのです。しかし、肉や魚を買うためには「もとで」が必要なので、それをDから借りるしかありません。これが高利貸です。DはCに貨幣を貸し、その返済を受けるときに利息を請求します。高利貸は、肉と魚の交換の過程において貨幣が担う機能から利得を生み出すのではなく、貨幣そのものから利得を得ることができます。
アリストテレス 私有財産の増加に対する倫理的な歯止め(高利貸を念頭に置いていた)
2キリスト教世界と所有権
プラトン 私有財産を全面的な否定
アリストテレス 高利貸しなどを念頭に置きながら、私有財産の増加に対する倫理的に制限
古代の哲人 私有財産に対して消極的な立場に立っていたことの理由の正当性
中世の時代は?
キリスト教の世界としての中世
国家・社会の中心にあるキリスト教
新約聖書マタイ伝 「富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方がもっとやさしい」
教父アウグスティヌス 私有財産は人間の罪の所産。その罪を償うための救済手段であった。
「所有欲そのものが罪を犯しエデンの薗を追われた人間の結果であり、かつそれゆえに私有財産は、この地上に一定の秩序と平和をもたらすための必要悪であった」。
中世最大の神学者トマス・アクィナス
1人々は、多くの人々と共同的なことがらとりも、自分自身にのみかかわるものを獲得することに、より多くの関心を示す。
2人々は、配慮すべき自分の仕事をもったとき、人間に関わる事柄は、より秩序だった仕方で処理されるが、人々が配慮することを忘れ、あらゆることをなそうとしたとき、完全な混乱に陥る。
3各人が自分自身のもので満足しているかぎり、その方が人々をより平和な状態へと導く。
私有財産の取得に関して、自然的なものと人為的な交換によるものに区別
後者の交換による私有財産の増加について
1自分の生活を満たすためのものと、2利潤獲得のためのものに区別し、
2の利潤獲得を自己目的化した交換と私有財産の獲得を批判
「けだしそれは、それ自身獲得欲にのみ奉仕するものであり、つねにそれ以上に拡大していく以外に限界を知らないからである。それゆえ交易は、それ自体として考えられたばあい、つねに一定の卑劣さを含み、それ自体としてはいかなる公正で必要な目的をも含まない(『神学大全』)。
アウグスティヌスとアクィナス
アリストテレスと同様、私有財産を肯定的に受け止め、一定の倫理的な歯止めをかけることを求め。
ただし、利潤の獲得だけを目的とした交換、とりわけ高利貸しによる利子の取得には容赦なく批判
3マックス・ウェーバーのテーゼ
私有財産や富の蓄積に対する倫理的な歯止め、宗教の教えによる消極化
経済活動はどうなるか。
中世の経済的な関係は倫理や宗教の枠内に押しとどめられ、それ以上に発達しないくなる危険性
経済活動の自由を主張し、来るべき資本主義社会を準備する人は出現することの困難化
私有財産と富の蓄積に対する倫理的・宗教的な制約の解除の必要性
私有財産の増加と富の獲得の促進と正当化
資本主義への道の倫理面・宗教面における開花
マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
ヨーロッパにおける宗教改革とプロテスタンティズムの倫理が資本主義や私有財産を肯定化
ウェーバーによると、
前近代の封建主義的な経済関係を否定して、近代の資本主義を準備したのは何か?
ルネサンス的な快楽主義か?
救済という宗教的目的にしたがって利益を正当化し、むしろ営利を要求したプロテスタントィズムか?
14世紀から16世紀におけるイタリアにおいてギリシア、ローマ時代の文芸復興
中世から近代へと歴史を進める精神的・哲学的なきっかけ
しかし、封建主義の経済関係から資本主義の経済関係へと発展したきっかけは、
営利、富の蓄積、快楽、私有財産を否定しながら、
しかも「救済」という宗教的目的に従って利益を正当化した宗教、すなわちプロテスタンティズム
その典型としてのカルヴィニズムの二重予定説
神の召命(しょうめい)としての職業に専念し、勤勉に働き、快楽を慎み、禁欲的な生活を送り、
その結果として富が蓄積されるならば、それは神の召命に忠実に従った結果、証しであり、
それが救済への確証を得る根拠として受け止められた。
4ジョン・ロックと私的所有権の正当化
イギリスの思想家ジョン・ロック(1632-1704年)
トーマス・ホッブス『リヴァイアサン』
自然権→自然状態(万人に対する万人の闘争)→自然法→闘争の制限と自由(所有権と私有財産)の保障
ロック 自然状態→労働→所有権と私有財産の獲得→自然法→自由と権利の保障
大地と全ての下等動物とは、すべての共有物であるけれども、各人は自分自身の身体に対する所有権を持っている。本人を除いては、何人にもかかる権利は属さない。彼の身体の労働と彼の手の動きはとは、まさに彼のものということができる。そこでどのようなものであれ、彼がそれを、自然が準備し放置したままの状態から取り出せば、彼はそれに自分の労働を混ぜ合わせ、それに自分自身のものたる何ものかを付け加えたことになり、そのことよってそれを彼の所有物とするのである。それは自然が置いた共有の状態から彼によって取り出されたのであり、かかる労働によってそれに何ものかがつけ加えられ、それが他人の共有権を排除していくのである。というのは、かかる労働は労働する物の疑いもなき所有物であるから、彼以外の何人も一度加えられたものにたいしては権利を持つことはできないからである(『市民政府論』)。
イギリスにおける資本主義経済の正当化
では、制限は? 自然法による外在的な制限?
私有財産の増大と富の増加を内在的に制限することは可能か?