【 2017・10・29 掲載記事 】
Yahoo!の、検索おすすめ欄に「裕木奈江 国際派女優」と。
えっ! 我が日本の芸能界では、誰も相手にしない、女優陣からも共演したくないわ、と総スカンを食った、極め付きの嫌われ者の、あの!裕木奈江が、国際派?
記事を見ると、アメリカのテレビドラマ・シリーズ「ツインピークス」に、チョイ役で出演。ソレも、特殊メイクを、顔に貼られ塗り込められた、顔が誰だか、国籍すら分別つかない役で出たようだ。
しかし、この「ツイン・・・」。
もはや、少なくとも日本では、まったく人気無くなり、誰も記事化すらしなくなったドラマ。
そのほかに、アイスランドのホラー映画にも出たそうな。
いずれも、英会話、語学力は、さほど必要としない役柄。
でも、このすでに47歳にもなった元・女優。嫌われ、反発して去られた挙句、マネージャーもおらず、徒手空拳。
必死になって、売り込みを図り、アメリカの地で、オーディションも受けまくったんだろうなあ・・・・ということは、この元女優の性格を考えると、容易に想像が付く。
さも、国際派女優然として、「LAと日本を行ったり来たりし、日本には1年間に2回ほど来ているの」と、帰国してのインタビューで、お話しなさっている。
ん?
かつては、スイスで優雅に暮らしてるのよ、と言っていた女。まったく、裏付けが取れない、ホラー話しであった。
ならば、仕事欲しくて、日本に帰国なんかしなくても、良いはず・・・。
ところが、「日本でも、仕事がしたいんだけど、誰も声をかけてくれないんです」とも、お答え。
そりゃそうだろうさ。
そう想いつつも、彼女のツイッターを読むと、日本とロスアンゼルスを行ったり来たり、ではなく、日本に来たり、来たり、居続けたりの毎日。
そのうえ、この中年に差し掛かった年齢にも関わらず、かつてと、あの悪しき性格が、まったく変わっていないことを、痛感させられた。
例えば、10月24日のもの。
カネに細かく、ギャラ交渉に強気な性格。自分の宣材物が、他人に使用掲載されていて、自分に1円も入って来ないことに、御腹立ちの御様子。
人の3倍くらい、プライドだけは高い、高慢ちきな性格は、何一つ、変わっていなかった。そして、気の強さも。
1年弱前に掲載した、下記の記事を読んだあと、10月24日以外のツイッターも合わせて読むと、さらに深く、その性格が分かるはず。
今、「私、こう見えてもさ、国際派女優なんだから」と叫んで、以前と同様、高額のギャラを提起して出演交渉しても、ノーギャラに近い額ならともかく、どのプロデューサーも演出家も、テレビ局も、映画製作会社も、出演はさせにくいであろう。
ノーギャラの、自主映画が、せいぜいか。
さらに・・・・
9月30日の、掃除しながら、歌ったという、全歌詞。
これ、オバサン世代なら記憶に残っている、橋幸夫が歌って昔ヒットした、♬「雨の中の二人」なんだけど、全歌詞掲載は、著作権者に打診しなければいけませんよ!
無断では・・・・・
ま、彼女の本当の素顔を知りたい方。
どうぞ、読み進めてください。
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《 2016・11・2 掲載記事 》
先日のこと。
テレビ長編ドラマ、「北の国から 1992 巣立ち(前・後篇)」を見ていて、ああ、あんな女優いたなあ・・・・・と、想い出したのが、「裕木奈江」。
出て、放送されたのが、24年も前のコト。
すでに現在、46歳のおばさんになっており、いくぶん童顔であったとはいえ、ネット上で見ることが出来る、左の、この写真は、かなり前のモノと想われる。
というのも、日本で仕事をしていない、というより、日本で仕事をしたくても、出来ない。ハッキリと、時にはやんわりと拒否されているからだ。
私は、その現場と、悪しき彼女の素顔の性格を見てしまった。
彼女が視聴者、とりわけ女性に嫌われた原因となったのが、「北の国から」の余勢をかって、翌年に出演した「ポケベルが鳴らなくて」。
役柄が、小悪魔や悪女だったから? いえいえ。
実は、共演者だけでなく、スタッフ達からも嫌われていたことは、殆んど知られていない。なにしろ、心打ち解けて話し合える親しい俳優は、1人もいなかったのだから。
裕木奈江。しゃべらず、黙っておとなしくしていれば、さらに、見た目だけ言えば、素朴、純情さ漂う印象。本名は、田澤奈江。
当時、所属していた事務所の代表が、そのテの顔立ち大好きな人。かつては、音楽事務所をやっており、シンガー&ソングライターの山崎ハコを抱えていたといえば、イメージ、お分かりになるだろう。
その後に出た、映画「光の雨」も、「硫黄島からの手紙」にしても、オーディションだ。
おまけに、ハリウッド映画だとか言われているが、「硫黄島からの手紙」は、ほとんどすべて、日本の製作資本が入っている。
ハリウッドのオーディションは、実は主役までも選びますみたいなことを吹聴しておいて、端役選びが、その、本当の実態。
主役と、メインの脇役は、とっくの昔に内定済みなのが、ハリウッド。
永遠に、良い主役に抜擢されることは、まず、無い。
彼女、おまけに、とんでもなくわがまま。協調性が、無い性格。
むこうで、結婚しただの、離婚しただの、スイスにいて生活してるだのということの信ぴょう性は、かなり疑わしい。
文化庁の肝いりで、1年間、在外研修生として、ギリシャに税金で行けたし、生活出来た。
しかし、「私、女優よ」と名乗っていても、仕事が無ければ、単なる無職。演じなければ、食っちゃいけない。1円も手元に無く、ひもじいだけ。
どうしてるんだろう?と、想っていた、その数年後の夏の夜の新宿。
わたしは、その日。とある演劇、それも群像劇を観ていた。世間の誰もが知る、有名な劇団ではない。
芝居が終って、灯りがともり、ふと周りを見渡すと、なんとそこに、裕木奈江がいた。
近づき、近況を聞いた。そっけない返答ぶりながらも、日本に帰ってきて生活しているらしいことは、分かった。
彼女、劇団の主宰者に面会を求めていた。
ははあ、「仕事」を探しているんだ。だが、ここでの役は、彼女程度の演技力では、次回作ではもらえないだろう。
ましてや、手に出来るギャラは、とても低い。チケットは、手売りが、宿命、枚数、押し付けられる。
それも、ロクに知らずに来て、自ら売り込んでいるのか・・・・・。
わたしも、知り合いの者たちと立ち話をし、新宿駅へと足を向けた。
!?
横を歩いているのは、さっきまで話しを聞いた、その裕木奈江ではないか!
「結果」は、どうだったのだろうか?
声を掛けた。
「裕木さん」「裕木奈江さん」
チラッとこちらに視線を投げかけたものの、えっ!? 全く知らんぷりして、スタスタと早足で去って行った。
なるほど。コレが彼女の性格か!
得か損かで、人と常に接する。これでは、友人さえ出来ないし、男とも長続きしないよなあ。
数日後、主宰者に聞いた。
「ん? その場で、断ったよ。ギャラは、とんでもないことを言って来るし、仕事を欲しいくせに、礼儀知らないし、控え目さがまったくない。自分に自信があるのは、それは結構だけれど、すべて勘違いしてるんだもんなあ・・・・。彼女を、使いたいって言う、芸能界の人間は少ないと思うよ」
検索したところ、彼女の所属事務所は、演劇の単行本を出している個人のところだったが、そこはすでにつぶれて無い。アマゾンですら、もはや扱っていない。
その性格ゆえ、マネージャーどころか、どこのプロダクションも、引き受け手が無い。
自分で自分を売り込んで歩く道。
日本でなければ、喰ってはいけない。もう、46歳。
行く手は、厳しい。