【 2020・8・14 掲載 】
ああ・・・・・・・
ついに、・・・・・
わたり、てつやが・・・・・・・
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≪ 2019・4・16 掲載記事 ≫
先日、吉永小百合のことで、かつての恋人であった、渡哲也の事を書いた。
現在の、彼の病状の具合を聞くべく、石原プロモーションにも、もちろん、接触。
ところが、普段に無い、ピリピリした応対ぶり。
なんなんだろう?
いくら、個人情報の最たるものの、病状、健康状態の事の、確認と、あくまで、事務所側の言う現状を、聞いているとはいえ・・・・。
今日、その背景と、理由が判明。
その渡哲也が、かつて病んだガン以上に、細いチューブの先を、鼻の穴に、24時間、挿入し続けなければいけない、現状。
そのために、酸素吸入器を、大型、小型、サイズは問わず、24時間、365日、それこそ、死ぬまで携帯しなければいけない実情が、近年、先鋭的な取材と、裏取りと、直撃ぶりで、その名を、芸能界のスキャンダル抱えて、そのことを知られたくないタレントに、とどろかせている、週刊誌「女性自身」に、写真付きで、掲載されていた・・・・からかあ。
すでに、77歳。というより、まだ、たったの77歳というのに・・・・。
肺気腫に関しては、稀代の芸人であった、ケーシー高峰を記事化する際に、詳しく、何度も調べてきたので、コレは、渡哲也も、大変な毎日を送っているなあと、痛感させられた。
かつてに較べ、全身が、げっそりと、一段と、やせた姿にも、衝撃を受けた。
昨年、9月末に、コレを撮影、収録した際には、幾重にも、着込んで、やせてき始めたことを、さとられまいと、していたんだろうなあ・・・・・・。
実は、かつて、彼を、しばらく、密着取材させてもらい、その撮影現場や、休息の時、レコーディングの現場など、あちこちに出向いた。
テレビの、アクション、爆発シーン、連発の時には、東京郊外の、遥か、遠くで、撮影。
そのために、朝、5時、ロケバス隊出発なんて、日常茶飯事。
もう、若かったとはいえ、一睡もしないで、乗り込ませてもらって、同行した。
この方。ホントに気さくで、周囲の人を包み込む性格。
取材の最終日。
御礼を述べて、深々と挨拶と、礼を述べ、「あのう・・・・・お願いが、あるんですが」と、断わり、2人きりの、記念写真を撮ってもらった。
その時、彼が、笑顔で、言ってくれた一言は、今も、忘れられない。
「カメラマンさんよお。ええ男に、撮ってくれよお」
その後、原稿用紙に、書いている時に、どうしても、足りない、聞きたいことが出てきて・・・・・。
迷った挙句、教えてもらった自宅に、電話を入れた。
奥さんから、取りついでもらい、この時も、気さくに、「いいよ。何?」と。
刷られた記事を、石原プロモーションへと送ったら、数日後、担当マネージャーから、怒りの電話が。
勝手に、電話入れたんだって!、と。
電話、入れる前に、コチラに、事前に、連絡を入れるなりして、「キチンと、筋を通してくれなきゃ、困るんだよ!」と。
まさに、その通りで。。。。。。
指でも、詰めなきゃいけないかも?と、びびってたら、次第に、優しい言葉、掛けてくれて・・・・・。
2人の人柄。「キチンと、筋を通さなければいけない」という、鉄則を、身に染みて、若僧が叩き込まれた。
気さくさは、妻との日々にも、及び、何でも、筒も隠さず話してくれた。
青山学院大学時代からのこと、アレコレ。
だから、そう、ひとときとはいえ、信頼されると、何でもかんでも、書けなくなり、何でもかんでも、聞けなくなり。最期の最後まで・・・・吉永小百合の「よ」も、クチに出来ず・・・・・・。
記者って、たいがい、そんな種族でして・・・・・・
その前後。大河ドラマの脚本家になっていた、実は昭和10年生まれでは無く、9年生まれの倉本聰が、NHK番組制作労組の吊るし上げにあい、逃げるように北海道に渡り、継続脚本、投げ出し、降板。
その意気に感じ、殉じるかのように、この渡哲也も、病気もしていないのに、体調不良を表向きの理由にして、降板。
番組放送途中から、主役が、別人に変わるという、前代未聞のことになった。
その恩に報いるのが、普通の神経なのに、喰うために書いた脚本に、倉本聰とは書きづらく、なんと、勝手に、無承諾、無許可で、世話をかけたばかりの、渡哲也の妻の、旧姓、石川俊子・名義で書いたことから、その後、ひと騒動が巻き起こった。
人に殉じる感情も無い倉本は、その後も、渡哲也が、石原裕次郎に殉じてゆき続ける生き方に、異論を唱え、注意までしている。
なんともはや、この、センセは、血も涙も・・・・・・・。
で、本日。
すでに、記事化した、小林正彦、通称、コマサ。彼の死について書いたものまで、今朝から検索絶えず。
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そんななか、ず~ッと気に掛かっているのが、故・石原裕次郎の妻、石原まき子のこと、。
昨年、2018年の、7月17日。夫の裕次郎の命日にあたる日。
夫との馴染みが深い、横浜の菩提寺(ぼだいじ)である、総持寺(そうじじ)で、「全国縦断 石原裕次郎の軌跡展」の、マスコミ向け記者会見に、出席した。
自身が、85歳を迎える、数日前のこと。
髪が・・・・老いてきている症状をみせているようで、ま深く、帽子をかぶって、覆って、御登場。
これまでも、帽子はかぶって出て来たことはあったが、ン?と。
それ以上に驚かされたのが、入場して、席に座る前。
先導する神田正輝の腕に、しっかりつかまり、ゆっくり、ゆっくりと、歩を進める、石原まき子、当人。
そして。その時に、倒れたり、転んだり、何かあってはいけない、起こってはいけないと、気遣い、腕を伸ばして、カラダを支えて、ゆっくりと、一歩づつ、歩みを進める、舘ひろし。
いやあ・・・・プライド高い彼女が、ココまで、老いを、否応なく、さらさざるを得なくなっているとは!
というのも・・・・・・。
実は、石原夫婦の、ナマの姿に、居合わせたことが、あるのだ。
むろん、映画スター、石原裕次郎、健在の時。
とはいえ、すでに、何度かの、腹部切開などの大手術を経て、奇跡的復帰などと、報道されていた頃。
私も、別の仕事で、現場近くに来ており、偶然にも、大型マイクロバスの席に座り、傷口をさらしながらも、傷口の手当てをしたうえで、幾重にも、大型の包帯や、サポーターを、患部に、やさしく押し当てて、巻いていた姿を、目の当たりにして、思わず、足が止まり、しばし、見詰めていた。
ソレが、終わりかけた頃。
思い切って、声を、大スターに向けて掛けた。
お元気そうですね。我々のような者が、心配する以上に。
笑顔で、答える、スター。
「いやあ、心配してくれて。この有り様で。でも、元気ですよ」というような、驚くほど、気さくに、言葉を返してくれた、天下の、石原裕次郎。
こういう、飾らない、カッコ付けない性格ゆえに、コマサを始め、多くの人が集まり、トップに飾り、押し立てて、支えていったんだろうなあ、と、その後も、想った。
無言で、手当てをしていたのは、賢婦人と評された、元・女優の、北原三枝こと、石原まき子。
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その数日後。 会社幹部に呼び出され、とある注意と、叱責を受けた。
「お前、裕次郎さんの、傷口見たり、ソコで、声掛けたりしたんだって?」
「ア、ハイ、この前・・・ですね」
「そうかあ。やっぱりかあ・・・・・。実はなあ、石原まき子さんが、ナニ、あの子!?と、その場では、何も、おっしゃらなかったというんだが、内心、怒っていらしてなあ・・・」
「あの子、どこの、誰なの?と。探し出して、叱って置いてちょうだい!と、関係各社に、お触れと言うか、突きとめて、きつく、注意しておいて、くださいな!と。まあ、そうゆうわけだ」
「な。分かるだろ? 2度と、そんな、軽はずみなこと、するんじゃないぞ!」
「はい・・・・・・・・」
一息ついて、その会社幹部。ニャッと、笑みを浮かべながら、こう言ってくれた。
「でもなあ・・・・・偶然とはいえ、目の前に、大スターさんの、普段、観ること、絶対に観ること出来ない状態があったら・・・・見てしまうよなあ。声、この際にと、掛けてしまうよなあ・・・・・・・」
その後。記者に転じたが、石原まき子の、ある種の気位の高さと、怖さ。
今も、意識、消え去ることはない。。。。。。。
御身体、御自愛なさってください
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【 2022・2・5 追記 】
義理の兄にあたる、石原慎太郎が、この2月1日に、89歳で死去。
世間に姿を現して以降、石原まき子は、上記写真から、丸3年半、マスコミとは音信不通
残された、故・石原裕次郎の遺産など、蓄えた財産を,自身の親戚の甥と、養子縁組までしていることが報じられたものの、そのことについて、コメントも出さず。
慎太郎とは生前から、決して仲が良かったとは言えない関係であったとはいえ、今日にいたるも、ご焼香にも行かず、対外的に、短いコメントを出しただけ。
ながらく、心臓の病に苦しんでいるとはいえ、そのことについても、超プライドが高く、元・銀幕の女優であった意識は高く、弱みは一切見せない性格、
歩くのも、おぼつかない様子。
すでに、88歳と7か月。
おそらく、亡くなられたというときにでさえ、マスコミに知られるのは、その後、しばらくたってからであろう
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【 2022・6・29 追記 】
2月の、義兄、慎太郎の時には、コメントだけ
そして、6月10日の「お別れの会」
そこにも、欠席した。
不仲であったとはいえ、儀礼的にも、参列せず。
人の数倍、プライドの高い「昭和の、人気映画女優」
車いすで会場に入るのも嫌であったろうし、ウイッグ、カツラかぶって出るのも避けたかった
予想されたことではあったが・・・・
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2023・7・1 追記
一切、消息がもれてこない、この石原まき子
人の数倍、プライドが高い人だけに、自分で歩けず,介助の手を借りて、車いす生活
寝たきりに近い、生活と漏れ聴いている
それをも隠す
蓄財は、たっぷりある
この7月23日で90歳を迎える
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2023・7・31
そんな石原まき子が、何と、ラジオではあるが、自宅でロングインタビューに応じていて、びっくりした
上記のように、7月23日に90歳を迎え、放送は、25日
ラジオだから、老いた姿見せず、足腰の容態も見せず、聞かず
とはいえ、マスコミ応対を拒否し続けていた、石原まき子が、放送時間だけでも、丸まる40分間
聞き手は、NHKの元アナで、現ラジオディレクターの、江崎史恵によるところが、大きかった
10年前に、石原にインタビューしており、その折の印象がとても良かったと思われる
生前、最期のインタビュー
葬儀も,うちわで済ませ、通知だけで済ますはず
90歳にも関わらず、声はきれいに流れるように出ており、とても聴きやすい
「ラジオインタビュー 石原まき子 ラジオ深夜便」と検索すると、聴けます
いつ、消えるかわかりません
映画史に興味ある方、ぜひ、すぐ聴いてみてください