2012・12・23 記
≪ 2014・8・20 再掲載 ≫
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調べた結果、国民年金には、加入していなかった。個人情報の関わりがあるので、詳しくは書けないが、間違いはない。そうだろうなと、納得。
というのも、彼女、會田昌江(本名)は、かつての女優時代に世田谷区に広大な敷地と屋敷を所有。それを売却して億単位のカネを手にしており、極端な贅沢さえしなければ、死ぬまで暮らせるはずだということを、すでに知っていた。
暮らしぶりも質素ではないが、金銀キラキラ身に付ける趣味もみられず、どこかに投資などもしていない。
かつて、原節子と並び称される「昭和を代表する大女優」といわれた田中絹代。彼女は、高峰秀子と同様、家族・親類にカネを次から次へと、むしり取られ、無一文に近い身だった。
そのうえ、散財の限りを尽くし、独り寂しく亡くなったときには、無一文であった。家や敷地は、すでに抵当に入っていた。
そのような晩年になっていないだけでも、會田昌江という女性は、堅実な晩年を歩んでいると言って良い。
鎌倉のミニコミ誌は、ようやく探し当て、入手。
會田の古くからの知り合いの女性が、話したというエピソードが、コラムに書かれていた。彼女が湘南の海が一望のもとに見える施設を、見に行き、その景色は気にいったものの、「まだ、私には早いわね」と言って、契約もする事無く去ったという。
一読して、知りたかったのは、その施設がどこか? もしくは、どこら辺にあったか? いつの、もしくは、いつごろの話しか? 知り合いとは、一体誰なのか?ということ。
つてをたより、やっとその筆者の連絡先が判明。
結果をいうと、また聴きのハナシのうえ、個々人の名前は個人情報の前に、すでにして、あやふや。コレ、人づてに聞いた噂話の類いじゃないか!?
その疑問を正直にぶつけると、鎌倉の文士気取りのその老人は、激しく怒った。しかし、「事実」は、何一つわからぬまま。
とはいえ、無駄や徒労は、取材の常。またか、というカンジ。
そんななか、周辺を”散策情報収集””取捨選択”する日々のなかで、手ごたえのある情報を耳にした。
第1回で書いた「家人」は、家で子供達や知人にピアノを教えていた。直接会ったのは一度だけだが、年齢のわりには、かなりの美人。
その「教室」で、何気なく會田の近況を家人に聞いた人がいた。
「このところ、お家にいらっしゃるのか。見かけたことも無いんですが、どこか、身体がお悪いとか、病院にでも入っているんですか?」
「ううん。でも、施設に入ってもらったのよ」
どこの? と聞きたかったが、少しそれ以上は、聞いてはいけない雰囲気を感じ、やめたという。
こちらも家人に、離れにはもういらっしゃらないんじゃないですか? と、さりげなくぶつけてみたが「いいえ。元気にいますよ」と、またも回答。
ふ~っ、ため息、ひ・と・つ。
ともかく、捜した、当たった、行って見た、電話しまくった。ダメ元も記者の宿命。
なかには、「電話では、あなたが本当にそ~ゆ~ヒトなのか、どうなのか、分かりかねます。疑うわけじゃありませんが、来て戴いたら、お話します」
オオ~ッ! てなもん。こりゃ、ひょっとして?
ココロはずませつつ、病人も入所できる「施設」に打診し、巡った。
いやあ、改めて分かったことは、そ~ゆ~所は、とても予想以上に多く、且つ、ピンからキリまであること。ピンは、リゾート・マンションと見間違う高級感漂いまくり。
キリは、悲惨。間違っても、こんなところには入ってないよなあ・・・と思いつつ、もしかして、の想い捨てきれず、当たり巡った。
それだけで、一冊の本が書けそう。この手合い、経営者やオーナーは、やり方ひとつで、すごい儲かる。その一方で、従業員は永遠に恵まれないってことが、痛いほどわかった。
神奈川県と、ピンポイントで東京の高級狙い。 実は、千葉県の房総の方に・・・という情報もあって、少し調べたが、親族が車を所有してるとはいえ、東京湾を橋を渡ってまで、とは考えにくく、進めるのは、やめた。
そして、ついにここしかない、というところ、3か所に絞り込んでいった。
(つづく)