《 2017・5・16 掲載記事 》
≪ 2020・8・12 再掲載 ≫
先程、自分の記事を検索している項目のなかに、「佐久間優一」という名前が見られた。
佐久間優一?
誰だったっけ?
自分の打ち込んだ記事に、その名を打ち込んでみた。
ああっ!
あの時の、あの元・自衛官か・・・・・・。
あの、炎天下の熱い夏。誰もが、記憶の片隅に今だ残っている、日航機、墜落事件で、御巣鷹の峰に、520人もの人が死亡。
わずかに生存が確認され、そのうちのひとり。
この写真の、川上慶子ちゃんを救助し、引き上げた自衛隊員。
その写真の、この人物こそ、佐久間優一だった。
彼を探し当て、直撃取材したのが、4年前。[第1弾]と、冠を新たに、先ほど打ち込み加えた再再掲載記事が、ソレだ。
そして、その1年2か月後。
その佐久間優一を、テレビで見かけ、余りの衝撃に、開いたクチがふさがらないまま、記事化したのが、[第2弾]としたもの。
そして、本日2017年5月16日、早朝。
検索し・・・・・彼が、昨年の5月18日。
つまり、今から丸1年前。67歳で、死去していたことを知った。
死因は、突然の心臓発作であった、らしい。
記事化していたなかで触れた妻は、すでに他界。
追悼文を、長男と長女が、葬儀の際、配布していたようだ。
佐久間が、自衛官として、市ヶ谷の駐屯地に勤務していた1970(昭和45)年11月25日、あの三島由紀夫率いる「楯の会」乱入事件と、三島のバルコニーでの演説を耳にし、そして、彼の割腹自殺と、斬首の事件の輪に居合わせていたことも、先ほど知った。
そうか・・・・・・・。あの森田必勝のことも、ひととき想い出した。
佐久間優一への、追悼の気持ちは、正直言って、起こらない。
が、2本の記事は、これまで、結構、検索数があっただけに、報告だけは読者にして置いた方が、良いだろうと想い、[第3弾]として、締めの記事にした。
とはいえ・・・・・心の奥は、いささか複雑で・・・・・・・・
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【 2022・8・12 追記 】
あれから、37年目かあ・・・・
当時、墜落というより、撃墜されて、御巣鷹の峰に、激突
自衛隊と、米軍機が、複雑怪奇にからみあう「事件」
それについては、さまざまに、推測も絡め、書かれているので、興味あるかたは、そちらへどうぞ
墜落現場には、早朝、夜明けと同時に、道なき道らしき山道を、登り。通った
機体の破片,遺体らしき肉片と、骨も、いやというほど、目に焼き付いた
遺体が、棺が、無数に並ぶ、体育館にも通い、歌手の坂本九の遺族がいる宿にも取材に行った。
猛暑の、夏であった
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そして、奇跡的に生き残った,川上慶子
その後、島根県の実家に戻るが、マスコミと人の目に耐え切れず・・・
看護学校に行き、正看護婦に
やがて、日本人と結婚し、夫の実家のある、四国の、ひなびた町に移り住み、一切、墜落のことは、言わず
姓も変わり、3人の男の子を生み育てる傍ら,県から集団派遣された看護師団の一員として、阪神淡路大震災の救護活動にも参加。
すでに、容姿も、変貌
姓も変わり、看護師団の女性たちも、誰一人、川上慶子とは、気付かれなかったという。
すでに、子育ての手を離れ、49歳となった彼女
ただの一度も、御巣鷹の峰には、足を向けてはいない
37年目の今日
はたして、どのような想いでいるであろうか・・・・・
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