お代表気まぐれ日記!

悪代表の袖の下日記→野球問屋、お主も悪よのう。いえいえ、お代表様ほどでは・・悪代表が剣の武士(選手)に成敗される日記です

大きな間違え

2010-06-17 22:53:00 | ルール
ごめんなさい。
大きな間違いをしていました。

2009/6/22の投稿にルールの間違えがあります。
投手交代なのですが、一球投げればできると書いてしまいました。
が、一人の打者がアウトか一塁に行くか、攻守交代するまで交代できないのでした。
申し訳ありません。

もう一年近くなりますが、幸いというか無視されているというかあきらめられてるというか何もクレームが入りませんでした。
ここで訂正させていただきます。



今は数。

2010-06-14 22:27:00 | 指導者
今は話を聞かせるよりも量。
10分話を聞かせるより、1分話し9分体を動かさせるべきではないか。

体で覚えるとはよく言ったもので、
反復練習で体を動かし続ければ自然と動けるようになるのです。
特に小学生レベル。
反復練習に勝るものはないと思っています。

子供たちには意識を持て、考えろと言っていますが、一つの練習に意味を持たせるためです。
それが大人の難しい言い回しでは、子供に伝わらずにただ無駄に時間を費やすだけになってしまうように思います。

失敗は誰でもします。子供はとくに多いです。
そんなとき子供にかける言葉は有意義なものでなくてはなりません。

もちろん反復練習にも意識があるのとないのとでは全く成果が違います。
果たしてそれが10分話して意識につなぎ止められ、次への練習につなげることができるのか。
小学生レベルで。

その内容、話し方にもよりますが、
ある子は萎縮し次のステップに進めず、ある子はことばが右から左へと抜けていく。
つまり、長く話してもその子のためにもチームのためにもならない。
指導は簡潔に話し、実践経験を積ませて行くことの方が重要ではないか。
昨日の練習でそんなことを改めて感じました。

一昨日には試合中ベンチからの声に耳を傾けてる間に進塁を許してしまいました。
試合中では1分未満の選手に対する忠告がかなりの時間となり大きなミスにつながります。
これは完全に指導者の不注意です。

指導者の未熟さを反省し次につなげることを肝に銘じたい。

ひっくり返ったヘルメット

2010-06-10 23:55:00 | 指導者
よし、次はこの練習。
サブグランドに向かって歩く。
ネット裏には野球道具が並んでる。
が、、、、、。

新年度初めに練習の切れ目、休憩に入るとき必ず道具の整理をしようと子供たちと約束したはずでした。
確かに練習はじめはきれいに並んでいます。
ヘルメットを使った練習に入ると途端に並べられなくなる。

私を含め、大人に意識がない。
道具がどうなっているのか。まず、道具を大切にと言っている大人が気にとめなくてはいけない。
気付いたら公平性を持って注意しなくてはならない。
そして実行させる。

すべて大人の責任である。
今、養わせるべきことはそういうことではないかと私は考えています。

何やってんだ!自分!!
俺の弱さだ。
しっかりやれ大人たち。

しっかりやろう。


6月6日

2010-06-07 21:38:00 | 少年野球
ちょうど一年前。
運動会が天候不順で延期になった日でしたね。
その日も「習い事の日」だと書いたと思います。

習い事をはじめるのによい日だと。
そうです、新入部員が入ったのです。
ピカピカの一年生です。
しかもちょうどよい日に。

先日ちょっとした冊子の中に「球技をはじめるのによい年齢」が載っているコラムを読みました。
渡邊光昭先生の『運動の心理学』子供への期待とあきらめというものです。
子育て協会の冊子の中にある連載のひとつです。
実は親子でコミュニケーションをとりましょうというのもこの冊子の別のコラムに大切さが訴ったえてありました。

前者のコラムに書いてあったのは
親は子供に期待をし、小さいうちから負荷をかけた練習をさせてるケースが多いそうです。小さいうちからやらせるのが成功の鍵と思いやらせているらしいです。
また、小さいうちから他の子供と比べて劣っているからとあきらめてしまっているケースもあるそうです。
こどもは大人の数百倍変化するのであきらめるのは早すぎるとも書いてありました。
これは私も剣での経験上実感しています。子供の成長は想像を遙かに超えるときがあります。
だから私もあきらめず地道に教えていくことが大事だといつも振り返るようにしています。

大人側の考えとしてできないのは当たり前できたときにほめてあげる。
これも一つの手であると思います。
ずーっと怒っていても聞く耳を持たなくなるのも当然だと重います。

あれ??
話逸れてます?

戻します。
球技はじめるのによい年齢の目安は
サッカーが約7才、バスケットボールが約10才、ハンドボールが約12才。
そして野球が約7才だそうです。
意外に早いと思いませんか?
旧ソビエトや中国はこの身体発達に応じたトレーニングを行っていたそうです。
もちろん社会主義国家で野球はあまり盛んではなかったのですが、種目により適正年齢を決めていたようです。ここで年齢は書きませんが体操、スケート、柔道、空手、陸上などなど。
まぁあくまでも目安だそうですが。
野球を一年生からはじめると言うことは皆さんが考えているより意外とよいのかもしれません。

そして続けること10,000時間。
そこを超えたときが楽しみですね。
未来ある子供たちへ。

試されているのはどっち?

2010-06-03 23:00:00 | 指導者
我慢。

これは子供でなく、おとなのはなしです。
そうなのです。
今は大人が我慢しなくてはなりません。

我がチームは各学年に9名以上いるようなマンモスチームではなく1年から6年でやっと1チームできるようなこぢんまりしたチームです。
だから毎年春先からどんどん勝利のみを追い求められるチームではないと考えています。

なぜか長男がお世話になった頃からずっと続いてるようです。
その間全く人数が揃わなかった訳ではありませんが、年齢を空けて9名以上いた学年もありました。しかし、学年連続してというわけではないのでレベルにあった指導がどうしても行き届かないのです。
高学年には高度なことを低学年には基礎の基礎をといったように教えることができずに試合をしていかなくてはなりません。

ということは昨日捕り方をおしえてもらった子供が今日セカンドに入り牽制プレーをやらなくてはなりません。
できると思いますか?

そうですよね。できるわけがありません。
例えが極端だったのですが、実際試合に入るとそれに近いことを大人は子供に求めてしまいます。
ャWション特有の動きや考えをまだチーム内の練習の中では教えていませんし、まだそのレベルに達していない子供が大半です。
私たちが育ったときのように野球やサッカーしかなかった時代と違う時代に育っている子供たちです。低学年で野球のセオリーや動き方に興味をもって過ごしている子供たちはほとんどいないと考えるべきです。親子で野球の会話をする家庭も昔に比べれば少ないと思います。

教えていないことはできなくて当たり前。
おとなはそう気づかなくてはなりません。
その中で伝えられることは伝えていくべきです。
はじめは順序立てて丁寧に。

まぁこの考えはぬるいと考える方もいらっしゃると思いますが、わたしはそう考えます。
ですから指導者も親御さんもチームメイトもここは焦らず堪えて教えていないことを求めず、次に教えなくてはいけないことを考えていってほしいと思います。そして次に教えることを子供たちに理解会得してもらうためにどうすればよいのかを考え工夫してもらいたいです。ぜひその場限りでなく計画を持った提言を。そして協力を。

鳩山総理が辞するとき発言した「この地位に就くと孤独であり」という言葉に実感したわたしです。
そういえばむかし前監も言っていたなぁ(-_-)