しばらく考えた。
一番反省すべきは私である。
子どもたちのテンションは上がるはずがないのだ。
身体のコンディションは悪かったであろう。
前日まで暑い中で特練を行ったのだから。
日程を配慮すべきだった。読みが甘かった。できると踏んだ私のミスだ。
体力が落ちているのに全力を出し切れなんて。
気力も起きなかったのかな。
試合を観戦した私の父に言われた。
今日は子ども達なんか元気ないなぁと思ったんだと。
そうなんだよな。
しかしそこの部分を鍛えのはずの特練だったのに。
ケガがなんだ、痛みがなんだって。いまはそんなこと強制できる時代ではないが・・・
やはり子どもたちには頑張って欲しかった。
元気出して気迫で勝利して欲しかった。勝利で飾れなくてもチーム全体で個人で何か残して欲しかった。どの指導者も言っているように実力は上がっている。やれることが随分増えてきている。
自信を持って試合に挑んで欲しかった。
春先、私がA監を受けることとなった時、預かる以上子どもたちは我が子と同じようにと思ったがやはり甘さがあった。
なぜなら一等最初にあったものはチーム存続で子どもたちに辞められては困るという気持ちがどっかにあったのだろう。
今年一年は使命感を背負いながら気持ちを込めたはずなのに。
ただよく考えてしまうのが
我が子が育った時代と環境、親御さんが違うのだということ。
中でも親御さんの影響力は大である。いないとは言わないが価値観や考え方が指導者に呼応する親御さんが少なくなった。
当然考え方や価値観が違うのだから非協力的なのに意見もされる場合がある。
だから現役の親御さんコーチがもっと欲しい。ひと世代いや、ふた世代前の指導者が先頭に立っているようじゃチームの先が見える。
先日の特練にたまたま卒団生の親御さんが通られて声を掛けてくれた。その後メールで卒団生の近況と私たち指導者に会えて嬉しかった、まだまだ辞めないでくださいね。と伝えられた。
その親御さん自体私より一回り以上若くてちょっと感覚が違うなぁと思いながら昔やっていたのにそんな私が今もやっているなんて。
確かに揺るぎないものや変わってはいけないものはある。剣というチームを受け継ぎ育て上げてきた以上、そこは信念を持って貫かなければならないと思っている。
不易流行である。
チームはそうやって育つ。
話が随分遠いところに行ってしまったが、話を戻すと
A監を受けてから少し時が経って六年生部員だけを集めて話し合いをした。
横と縦の繋がりコミュニケーションだ。お互い何を考えているのか打ち明けあった。少なくとも私はそのつもりだった。
その時、六年生は楽しくやりたい、試合にも勝ちたい。
と言った。
六年生部員本人たちの総意だとわたしは感じた。
それを聞いて、楽しくやるにはふざけるのではなく一生懸命やる、思ったことは口にする、言いづらければ他のコーチや親御さんに言ってもいいし、勝つためには苦しい事もやらなきゃいけない、陰でも努力もしなきゃいけないよと話した。
そしていつポジション替えるか分からないから諦めず努力し続けてくれ、その努力が中学にも通ずるからとも伝えた。
だけど、この前は楽しそうに試合に取り組んでいるように見えなかった。勝つんだという気概が感じられなかった。
私はイライラしてしまった。
自分がいけないのに・・・
反省した。
周りのコーチ陣にはいっぱい協力してもらっているのに。
しかしプレーをするのは子どもたち。子どもたち自身がなんとかしてくれないと。
何度か私の息子の話をしているがここでも一つ。
またかよと思った方はスルーしてください。
自分で始めたバスケ。
これもチームスポーツ。
39度の熱(新型コロナのない頃)でも、ギックリ腰の時でも試合に行かなきゃと親が止めろと言っても聞かずにコートへ向かった。熱のときは試合に出て、腰痛の時はヘッドコーチの先生に止められ試合には出されなかったが声を掛け続けた。
平成生まれの昭和育ち。
親の都合で活動を休む時代。
子に何を教え、伝えたいのかどのように育てたいのか。
育てたように子は育つ。
私もいっぱい失敗した。
後悔した。
しかしその都度自問自答し、妻と話し合って大事にしたいものを確認して筋を通し、信念は貫いたつもりだ。
今週末、家庭で話し合って考えてグランドに来る子供たちに会えるのが楽しみだ。
来てくれるかが心配だが、ここは期待して信じよう。
果報は寝て待て。
寝ます。
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