懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

『カラマーゾフの兄弟』 顛末

2013-03-27 23:06:56 | Weblog
このTVドラマの件で、2月にトラックバック貼って下さってた方があったことに、ずっ~と気づかなくって。(おいおい)もう1ヶ月過ぎ。

せっかく取り上げてくださったので、今一度、『カラマーゾフの兄弟』譚を。

<先週土曜の最終回>

・け、結末が、違う~~~!

原作では、「長兄ミーチャが無実の罪に落とされ、シベリア送りに!」って筋。

ソ連映画は、
判決にもめげず、ミーチャへの愛を貫くグルーシェンカ。真実の愛もいいけど、シベリアは寒すぎる。愛を得て、かつ流刑に落とされる長兄。天国と地獄が同時に来た、ああこのアップダウン!これって、運命の貸借対照表?!

みたいな感じ。筋だけならそんな話を、愛主体で原作よりシンプルにまとめてた。
原作は、もっと別の意図があるんでしょうけど。

映画は映画で好きだった。

長兄を救おうとする次兄の奮闘(その途中で発狂)も空しく、令嬢カテリーナが出した証拠によって、判決が決まる。

ミーチャを愛するグルーシェンカ、ミーチャの元婚約者カテリーナが、ミーチャを有罪にする証拠を出した時、カテリーナを悪し様に罵る、美女二人の火花散るバトル、とか。
また、美貌の令嬢が、激しくミーチャを糾弾しながら証拠を出して有罪を訴える等々、ドラマを面白くする要素も抜けたし。

そう、次男の発狂シーンなんて、役者がやりたがるシーンだし。これもなし。

ドラスティックな運命に翻弄される要素が抜けると、カラマーゾフ・ワールドでは、なくなっちゃうような気が・・・。

・ただし、自分は単純だから、てっきり原作どおりやると思ってたから、結末を無罪を180度変えちゃったのは、大胆な改変というか、自分なら思いつかん。

・でも、やっぱ、せっかく今までTVドラマらしくない異色な雰囲気で盛り上げたのに、最後にこじんまり小さくまとめてしまって、って、ちょっと勿体なかったような気も半分。ただ、TVドラマにしてはよく奮闘したし、最後のまとめとしては、こんなもんか?という気も、半分。

サブタイトル、「『カラマ兄弟』最終話、露文豪モノのドラマ化、その奮戦とTVドラマの限界。」ってな。

・最終2話は、鬼親父がいなくなって、末松さんが主役。とくに前半は独壇場。

前半の「心の闇」はどこへやら、最終話で、いい人ぶりっ子に豹変した3兄弟。

主人公たちの、えせ正義のつまらなさ。
真犯人、末松の歯切れの良さ。迷いなき確信犯っぷりを、「潔い!」と勘違いしたふりして応援したくなっちゃう、心のカラマーゾフ・ワールド。
っていうより、これはもはや、別ドラマの「サキ」の世界、みたいな?。

演出、どこを間違ったのか。見てると、悪のはずの末松がかわいそうで、善玉3兄弟が欺瞞3兄弟に見えてくる。どっちが主役?みたいな。

ま~、末松がちょっと面白かったから、い~のか?

元々原作のドストエフスキーが、昔のロシア階層社会育ちで、そういう欺瞞を内包してるんだろうけど、それにしても、次兄:勲の、正義漢ぶった顔の下の、心の冷たさには、引いた。末松に対しての。

三男:涼、一箇所だけだけど、”これで末松が捕まれば、満兄さんは釈放だね”とか、そういうセリフを、あまりにも無邪気に言ってのけて、引いた。涼は、前半の目がガラスみたいだったり、善良そうでも、実はそんな単純じゃないかも?、ってな描写の回は、演技も良かった。また杉卓工務店関係で、身に突きつけられるものが合った時は、良かったのに。

最終回近くなって、演技も全てワンパタで、かわいこぶりっ子の、やな男の子になってしまった。悪の華:父・文蔵が、「涼のいい人ぶりっこも、時々鼻につくな~」とかいってたけど、その通りの人に。

長兄:満。
末松に「能無し」呼ばわり。その通りの人物で終わった。

ソ連映画のミーチャは、最後に極刑・理不尽な現実と引き換えに、いい男に成長するのと対照的。これって、ドラマ演じてる俳優の個性も関係あるのか、台本のせいなのかは、よく分らなかった。

ミーチャは、グルーシェンカに惚れて、彼女が元彼に会えて幸せになれるなら身を引こうと思ったり、元彼が彼女の金目当てと分り、気丈な彼女が深く傷付いてると、ジプシーらに遊興費用を渡し、彼女のために場を歌や踊りで盛り上げて明るくして欲しいとたのんだり、恋の成就に、納得できるシーンがあった。女に惚れて、失敗もするけど、人間的に成長してるように見えた。

満は、最初の加奈子への思いやりと引き換えに,仲間にボコボコにされた箇所以外は、後半はダメ男で終わった。

この人って、結局、親の財力や女に頼るばかりで、自立できずに終わってたし。この人位暇があれば、無能でなければやる気あれば、自立くらい、夢ではないと思うのに。
くるみと別れてくれ、と鬼畜親父に頼んでも、彼女をちょっと蔑まれて単純に切れて深い考えもなく、親父を殴って執事を怪我させて恐くなって逃げるとか、戦略なさ過ぎ。

何も変わらず。

前回、刑務所で自分の弁護に来た次兄を、「お前、親父と同じだな」と、相手が最もダメージを受ける言葉で攻撃した所までは良かったのに。
ダメな兄なりに、コンプレックスや、人間的なものが滲み出てた。
こんなダメ兄でも、加奈子の件だけは勲に勝ってて(?)、この2兄弟のケンカのシーンは良かったのに。

いい年して自立できない情けない男の部分は変わりなく、「俺にはお前たちがいる」で終わって、しらけた。

ミーチャは、自分から女を愛してるんだけど、満にとって女って甘える以上の存在ではないことも、最後は鼻についた。それというのも、彼が、これ以上にジゴロ型の色男でもなく、本質的にボンボンだから、なのだろう。

勲は、少し前の回で、満に同棲を解消されて悲しむ加奈子の傍にいて、慰める言葉もなく、「去った兄への復讐で、君は俺に接してるんだ」という意味の事を言ってて、(映画のミーチャと対照的な女への態度。)この時は、本質はエゴイスト、という台本の内容になってた。だから、「悪魔な親父を持ち、余裕のない心で生きてきた、その生育過程でエゴイズムをベースとした青年」というキャラ立てなら、最終回の勲の末松への冷たさも、演出として納得できるんだけど、しかし、最終回の勲は、善人として描かれてるんよね。

そこが、大コケ。

末松は、悪魔な父に捨てられた母の私生児として育ち、気の毒な境遇のなか、歪んだ考えをまっすぐ信じて支えにして生きてきたみたいだし。
(それに、満の無能に比べ、随分、目的遂行力では有能みたいだし(殺人計画実行力ではあるけれど)。有能な使用人だし。)

演じた俳優によっては、もっと怖い人に見えてもよさそうなキャラだけど。
結果的にかわいそうにみえて、おいしい役だったかも。

ま~、もっと別の俳優がキモく演じてたら、彼を怖いと思う勲の気持ちに同化して見れたかもしれないけど、とりあえず今回のドラマ上は、多少歪んだ性格でも考えでも、変な人でも、境遇が境遇だし、理解は出来る部分もあるし・・・。

少なくとも満や涼のようなつまんない坊ちゃんより、自分の力でなんとか人間的に誇りを持って生きようとしてる所とか、目を引く部分もあるし。

あんな鬼畜親父の私生児で、虐げられた生まれ育ちの中で、容姿端麗頭脳明晰、そして野卑な父に比べ、品のある勲に光を見出し、彼が自分の兄であることを自分の基盤にした半生。妙な思想性にせっつかれて父を確信犯的に殺したけど、こんなエキセントリックな人物が支えられてる基盤を、言下に否定し拒絶する勲。

人間的に、いまいち。
何となく、勲、(満も涼も)末松を自分と同じ、対等な人間とは思ってなさそうな(使用人だったから当然なのかも?だけど)所が見え見えで、そこが鼻につく。

末松に潜む残虐、冷酷、中が空みたいな所が勲には怖かったというなら納得できる。でも、そうじゃなく、勲たちには無意識に一定の優越感?があって、末松の立場になって考えれば、とか、そういう同じ地平に立っての人としての心の痛み、みたいのが、彼らには感じられない。歪んだ人でも、見るべき所が一つもない人には見えないし、彼が正しいというわけではなくて、もっと大きい心で、この人を見れなかったのか、と。

マリア様みたいな人が、死んだ末松の魂が静まるよう、お祈りしそうな人物だと思う。末松。

妙に有能なのに、反面幼稚な精神、かつ、高潔と見まごう部分もある。確信犯で殺人した彼の心をおもんばかって涙する、そういう感性が勲にはなく、そこが見てて辛かった。

★ほんとは主役は勲だったはず。
次兄イワンは、殺人教唆の罪の意識で発狂する。

ドラマの方は、次兄勲は悪くなく、空想小説と言うか、妄想の吐露に過ぎなかった作文を、歪んだ精神を持つ復讐鬼の末松が恣意的に解釈し、お前も共犯だと、勲に言いがかりをつけているに過ぎない。勲は悪くない内容。

原作は、そもそもイワンがインテリ病で、ついスメルジャコフに余計なこといっちゃって、(すべては許される)、真に受けたスメルジャコフが癲癇の発作にかこつけて、悪人フョードル・カラマーゾフを殺す、と、イワンの罪の意識の根拠がある。

それで、やっぱ半分はほんとに自分も悪いから、というより、イワンの近代的な?思想性と、キリスト教の葛藤?みたいな日本人には分りにくい部分もあって、イワンは法廷で狂う。

勲が罪の意識、或いは原罪の意識に苛まれるような展開があって、市原の狂気の演技が見られる展開があったら、彼もやりがいが、さらにあったんじゃないかしら?。

★俳優としては、文蔵役の人が最も印象的で、とても不思議な存在感に終始。悪役だけど、愛嬌もあって。設定は、原作よりもっと悪い男。
他の男優陣も適役だけど。
最終回は、殺人シーン、無表情に近く、迷いなく置物で殴る末松。逃げ惑う強欲な文蔵、この二人の場面が、演技的には一番良かった。

★加奈子は、原作のようになると思ってたから、あの普通のお嬢さんが、どう冷酷な女性に変貌するのか?と思ってたのに。「長兄を無実の罪に落とす女性」の部分が消えて、普通の可愛い娘さんで終わってしまった。

★3兄弟の描写は、前半に深さがあった。最終回ではライトになり、前半の印象を忘れそうで、惜しかった。くるみと満、加奈子の男女関係も、なかなかいい描写な時、あったのに。

加奈子は自分と他の女を比べてるけど、男女関係が壊れるのって、必ずしもそうじゃない事は、満の真情と露に出てた。彼女の欲しいものが、俺のポケットには無いと言ってた。
途中までは良い所色々あったのに。最後があれだと安い男に見える。

★涼も、有徳者の先生と紙ヒコーキ飛ばしてた回とか、良かった。あの紙ヒコーキ、どこでアイデア貰ってきたのか。

最後の浜辺での勲は、大学の学食のカレーで女を口説いてて、源氏の夕霧みたいな、くどき下手に見えちゃった。市原の芝居は、昔の映画の主役の人みたい。(高倉健とか)今風と少し違うかも。

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