懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

謎めいたひと

2013-08-30 01:00:56 | バレエ
※以下は、思いっきり主観的な思いつきに過ぎないので、違和感を覚える方は、真に受けないで読み流して下さいまし。

◆ディアナ・ヴィシニョーワは、かつてカーテンコールなどでも一人の世界に入ってるように見えたり、ちょっと私には、本当はどういう女性なのか、掴みにくい人だった。

コンテの成功作に、例えば、マラーホフ「ボヤージュ!」があるように、表現芸術というのは、演じ手の真実がどこかに反映されているのが、私は望ましいと思ってる。

その意味では、今回のガラ公演の目玉は「ダイアローグ」の方なのかな、と思った。
って気づくのが遅かった。

アロンソ版カルメンに思い入れのある私は、どうしても「カルメン」の方を気にしてしまったけど、自由奔放なカルメンは、ヴィシニョーワその人からは、遠いような気がした。

かつて、マリインスキーのスターだったルジマトフと男女関係にあった時、インタビューで、ディアナ嬢はルジマートフと結婚したい様子に見えたけれど、ファルフさんの方は、「彼女と結婚するのか?」と質問されても、ディアナと結婚する気は、なさげに見えた。男と女の間には、深くて暗い河がある(??)みたいな二人。一方、マハリナへの興味を示したりもしていた。

この当時、ファルフとディアナが日本で共演した「ドン・キ」は、ルジマートフのファンにも好評だった。二人で一緒のタクシーに乗って、出まちの人に手を振ってる時のヴィシニョーワは、(表面的には)普通に可愛らしかった。後にも先にも、それが、私が素直に共感できるヴィシニョーワを見た最後だった。

後に、”ヴィシニョーワは、マリインスキーでの地位を上げる為にルジマートフとつきあった”、とマリインカに詳しいファンから聞き、少し意外だった。けれど、そういう話は彼女に限った話でもなかった。それで私も、よく分らないなりに、大バレエ団の競争社会の厳しい現実とは、そういうものなのかもしれない(???)と考えた。

他の共演者、アンドリアン・ファジェーエフと一緒に楽屋裏から出てきたヴィシニョーワは、見かけは似合いの美男美女に見えるけど、仕事上恋仲を舞台で演じてるだけで、この二人は私生活上は他人だと、なんとなく分る雰囲気だった。

その後、ダンマガのインタビューによれば、マラーホフがルジ氏に「この娘、頂戴。」と言って、ヴィシニョーワはルジからマラーホフの元へ移った、というのだけど。
「この子頂戴」と言って、右から左へバレリーナが移るものなのか??よく分らないけど、当時のマラーホフって力があったのね、とも思うし、ヴィシニョーワの微妙な立場を思わせる。

そんなこんなで、なんとなく、私がヴィシニョーワ本人に感じるのは、”男を手玉に取る奔放な女性”というより、むしろ男性たちにとって都合のいい女、位の印象で・・。(男性たち、と言うより、大スターの男性たち、かな?)

16歳で目の覚めるような「カルメン」を踊り、新星として脚光を浴びたヴィシニョーワ。あの10代の伸びやかな肢体のカルメンは、良かった。でも大バレエ団の中で、なかなかトップになれない苦労人。そして恋愛関係、男女関係も、いまいち、幸せばかりではなさそうで。

そんなヴィシニョーワの「白鳥の湖」解釈は、「ジークフリート王子は、オデット姫を裏切ったのだから、ハッピーエンドなんてありえない!」という、男性に厳しいものだった。

私が、前々回第12回世界フェスの楽屋裏で、ダンサーたちを眺めていた時。

バスに乗り込むと、当たり前のようにマラーホフの隣に座り、甘えたような目をしていたのは、セミオノワだった。ヴィシニョーワは離れて一人で座り、やはり「一人の世界」に漂っているような(?)不思議な目をしてた。暗がりに大きな瞳の愛らしい美貌が映えた。

これが前回第13回の世界フェスでは、セミオノワが既にマラーホフの元を去っていた為、楽屋裏でマラーホフに親しげに寄り添ったのは、ヴィシニョーワに替わっていた。何とはなしに、私は複雑な思いでその光景を見つめた。

◆前回、第13回世界フェスで、ヴィシニョーワがマラーホフと踊った「ル・パルク」。

このペアを何度も見てきた。はじめは、しっくりこなかった。「マノン・寝室のPDD」は恋人同士に見えなかった。それが、年月を経て、ここまで来たのか、とは思った。はじめて、踊りでこの二人の真実をかいま見たような気がした。

反面、見てはいけないものを見たような気もした。この二人は、とても現実的な関係性に見えた。お互いに運命共同体。現実に、その相手しかいないような。

官能性。退廃もある。

「女には2種類ある、」と、私は30過ぎ頃に、酒場で話した男性に言われた。
幸せなセックスをしてる女性と、そうでない女性と、と。

◆舞台を見て感じた限りでは、私的には、例えばザハロワは前者に見えた。とりわけ、ウヴァーロフとの「カルメン組曲」後半の花の歌のPDDは、小説のカルメンとホセの関係を遥かに超えた、上質の愛のアダージョであり、セックスの中で最も美しいセックスを思わせた。それは特別な信頼感に裏付けられた性愛のエクスタシーであり、深い忘我の境地だった。

これは、このペアの男女二人が二人とも、実生活上もステディな特定の相手との間に愛を育んで年齢を重ねていることも影響して、実現した表現なのではないか、と私は推測した。(小説のカルメンと同じではないけれど、このペアの最後の時期に踊られたものは、今はもう見られない、ため息の出るような、比類なきアダージョだった。日本公演の時よりザハロワの表現が増したことで、パートナーを組む意味を改めて教えられた。)

そういう私自身も、年齢を重ねなければ、そこまで深い忘我の境地を産む真のエクスタシーのことなんて分らなかったし。

◆そして、一方のヴィシ。

成熟した女性のエクスタシーだけなら当たり前に持ち合わせがあっても、男性への絶対的な信頼感に裏付けられた忘我の境地とは別の、ややさみしいエロスの世界が、ヴィシニョーワ、マラーホフ組の「ル・パルク」には見えた。私の勝手な分析では、ヴィシニョーワは、後者。

私自身がどちらが近いかと言うと、前者だから、ヴィシニョーワの舞台に迷いつつも、結局、私はさほど足を運ばないのだろうと、思ってる。ザハロワの性愛の表現は、私の既知の世界であり、ヴィシニョーワのそれは、私の知りうる世界から遠いので、なんとなく、疎遠に。

◆そしてまた、ヴィシニョーワが、純愛悲劇の「アンナ・カレーニナ」を演じるより、「これは私の物語だ」と言ったマハリナが、アンナを演じた方が、はるかに説得力がある。昔のマハリナの不倫の話は有名なんだろうけど、当の本人には、真剣な恋だったんだろうか。(相手が、あんなおじさんでも・・・・)第三者的には、恋って、芸の肥やし。でも年頃の乙女には、それ以上のものなのだろう。

◆それでは、ヴィシニョーワにとっての真実とは何か。ディアナ・ヴィシニョーワとは何者なのか。ノイマイヤー振付のコンテが、ヴィシニョーワにとって「舞台の上で本当の事を言う」表現に繋がっているのではないか、と、ちょろっと期待した。

古典でも、コンテでも、その人にとっての一分の真実の投影がなければ、自分的には見ていて面白くない。

ヴィシニョーワはゴメスを信頼しているようで、このタッグが今後どう展開していくのか、ちょっこっと興味。(公演見てきた友人は、やっぱりヴィシは一人で踊ってた、と言ってたが。コンビを組み続けることで、マラーホフとみたいに、そのうち変化するだろうか?)

★行かなかった今回のヴィシ・ガラ公演の内容については、友人の感想では、「椿姫」よりは「カルメン」の方が良かったと言っていた。(椿姫は、私は好きな作品だが、ガラでとてもよく踊られるので、どうしても他のペアと比べられてしまう。)ゴメスのプチ振付は、ちょっと良かったそうな。


そして残念ながら、「ダイアローグ」は見た知り合いがいなかった。

自分は仕事に埋没しながら、今年の夏が過ぎていくのを、指をくわえてみていた。
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