懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

事故調への批判を読んで、とか

2012-07-06 00:03:28 | Weblog
【バレエ余話】
新国立劇場バレエ団「マノン」に感動したおかげで、長いこと家の積読状態だった古い英国ロイヤルバレエ団「マノン」DVDを見直した。また、有名スターの過去の舞台画像も見直し、スターの舞台が全てじゃない、と思った。

スターの中で傑出してたのは、ジャンナ・アユポワ&マラーホフの踊り。未見の方は、ぜひ、ネット画像でいいから一見を。すばらしい。コジョカルも全幕で観たい。

でも、観ててつまんなかった、古いDVDの地味なプリマが,スターのフェリと表現が違うことで、この作品への見方が少し変わった。今回劇場に足を運んだことが、作品理解を深める上で役立った。それもこれも、プリマの本島美和さんらの好演のおかげ。

この話、ブログで書けるか分んないけど。

【原発の「事故調」】
時に、公演に行く道すがら、都心のターミナル駅で、原発反対のビラ配ってる人たちを見た。

原発再稼動だし、気になりつつ劇場へ急いだ。(私には、はっきりどうしたら良いと言えるほど、結論が見えてるわけでも、知識があるわけでも、ないけれど。)

そうしたら、今日、事故調の報告書の報道があり、そしてネットで拾った意見が良かったので、冒頭の文を紹介

~以下、[時事ドットコム:Foresightコンテンツー新潮社ニュースマガジン]さんという、私の知らないサイトさんの記事より記載。

『原発事故は官邸で起きたのか?事故調は「原発サイトの11日間」こそ明らかにせよ』との、科学ジャーナリスト塩谷喜雄氏(私の知らない人)の一文。
(※興味ある方は、元サイトをご参照ください。)


[3.11から1年と3ヶ月経ち、政府や国会の原発事故の調査・検証活動は、事故の本質には一歩も踏み込まぬまま、逆に事故の真因と責任の所在を覆い隠す格好で、終幕を迎えようとしている。

事故は福島第一原発のサイト内で起きた。首相官邸で誰かがボタンを押し違えて発生したわけではない。隣接する4つの原子炉が連続して致命的に損壊するという、世界に類例の無い事故が、なぜ福島第一で起きたのか。地震・津波の襲来から、外部への放射性物質の大量放出まで、当時者はどんな対策をとり、炉心と原発システムの溶融・破壊は、どのように進行していったのか。それを防ぐ技術的・政策的手立てはなかったのか。

事態の推移、シークエンスを客観的に解き明かし、事の本質を公にするのが「事故調」の仕事のはずだが、メディア受けを狙って官邸を含む「周辺」のエピソード集めに走る図は、日本社会の深層で進行する知的な衰弱を映して物悲しい。]
※注:青字は私が塗ってます。ブログなので。長いと見る人が寝るかなと思って。


~そうなんだよね。ずっとそう思ってた。思ってたことが明快に書いてあるので、引用してしまいました。

・・・事故調、自画自賛だそうで。報じるTV番組も相変わらず傍観者調。

【未来?】
長い引用になってしまったけど、今回みたいのは、後からものをいう人が、
「誰が悪かったか」の話を、公費を使い時間空費しながら長くやるより、
「では、どうすればよかったと思うか」の話が欲しい。

現実的に、事故発生直後の状況下で、官邸の方は、誰がトップでも多少の混乱はあったと思う。

逆に東電へは、官邸を非難することで、東電側への批判が緩和されてる。今回の事故調でも「またか」だったけど。

(東電は国策として国のせいにしたい所かもだけど、昔の原発推進した人の名や批判は出てきてないし、今の人でいったら、引責するのは東京電力の上の人じゃないの?)

首の挿げ替え発想でなく、誰が上だろうと、あのような緊急事態に、こことここに気をつけた方が良いとか、事故調は、善処策の提示が出来る発想で、対処すべきだったのでは?

事故発生当初は、反原発の人だけでなく、昔、原発の安全利用の観点から、東電側に安全面の不備を指摘し善処策を示したけど、受け入れられなかった話をしてた東電元社員の話とか、出てたし。

そういう建設的な話が、この所、後退した様な。
原発どうしても再稼動なら、安全面のことが第一で、そういう水面下の努力しだいなんだけど、私らの最終判断って。

反原発、脱原発、できるならベスト。でも、再稼動なら、現実的な落とし所は、その辺。

その事故調とのからみで出てきた話に、吉田所長が、原子炉のアクシデントをカバーする機器があるのに、気づかず、その使用を怠った、とミス扱いしてたけど、それはそうかもしれない?けど、それはその所長さんだけの責任じゃないし。(伝え方が弱かったとか?)それに、そこで誰が悪い、の論理じゃなく、本来それを使うべきだった、と次回から使えるように考えていく話にすべき。(不測の事態で皆が困った話に、なぜこれだけ、誰が悪かった、という内容が出てくるのか??)

まず原発ありきで、想定外事故の対応策をおろそかにしてきた責任は、もっと上の人にあるし、その東電の体質が招いた事故でしょ。そして国の責任ってのも、かつての与党の自民党の国策で、やってたことで。

所長だろうと、官邸だろうと、現場は混乱するのが普通な事態。間違いも試行錯誤もある中で、ましなほうに変えていくしかないのが現実。

そこを、安全圏で批判の為の批判してるのは、傍観的な態度に見える。

教育上良くないと思うけどね。

別件だけど、私的には、野田政権の、「水俣病、認定漏れ者の救済措置:期限切り」の件が、原発以上に気になってた、月末月初でした。

誰が上になっても、為政者は同じ判断をする事項はあると思う。
誰が上でも同じ判断、という行き方は、その人でなくても出来ること。
微妙な軌道修正で、多少実質ましな形に出来れば、それは意義あるし。

話変わるけど、中国の温家宝首相って、為政者として随分色んなものを見た、面白い立場の人だと思う。見えるものはその人の立場によって変わるけど、それでなにを成すか、何に歯止めをかけるか、バランス感覚、中庸も大事。

”選挙が近い”とか、”いや、そうでも”、とかマスコミに出るので、奥歯に物の挟まったようなオチになった。今、あまり分りやすく書かない方が良さそうだから。

(今日取り上げた人たちより、もっと問題児の問題事項が出てきそうだから・・。)

一方、原発反対の官邸周辺デモは、ツイッターとかで情報流してるそうで、自分はツイッターやらないので、事前に日時知らなかった。遅れてる?

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