フィギュアスケート全日本選手権から一夜明けて。
(以下、素人の世迷いごと感想なので、素人の主観とは例えば一つにはこんなもん、と思って、気楽に読んで下され)
*ほんとは、高橋大輔選手の転身の事とか書こうと思ってたのだけど。
*その前に。羽生結弦選手のFS.
リアルタイムで一回見て、技術的には優勝を逃す内容だった、羽生結弦選手の演技だったけど、自分は、感動したのだけど。(こんなこと言われても嬉しくない人は多いと思うけど)
一夜明けて、少し冷静になった頭で、録画を見直してみて。
そうしたら、「何だ、上手いじゃん」、と思ってしまった。昨日は、まさかの羽生のミスで、心がビックリしてたみたい。
今までずっと、ハイレベルなものを見てきて、目が羽生基準になってしまっていて、出来て当たり前みたいな感覚になっていたのかも。少しのミスでも、「ガ~ン!」みたいに思っていたのかもしれないけど、改めて冷静な目で見ると、多少ミスしていても、きれいに回転までは行ってたり、着地が多少乱れても、それなりにカバーは入ってたり。
自分も、多くの観客視聴者、関係者も、羽生選手の身体のFSの状態がここまで来てるって、気付いてなかったと思うけど、それが分ってみると、むしろ、この状態では、比較的まし、もしくは最良の形で実施できていたんではないか?と思った。例えば、4回転の中でも、特に4回転ルッツが2回転になったのが目立っていたけど、ここが一番鬼門だったかもしれないので、この位で済んでよかったんじゃないか?なんて言ったら、怒られるかな?
バランス的に、今の状態でやり抜く、という観点では、全体的に、これ以上はやばいという所までは崩れずに、それなりにまとまってたような気が。逆境にあっても研ぎ澄まされた嗅覚があるみたいで、そういう所、相変わらず、大したバランス感覚だと思った。
それと、自分が、こんな状態でなぜ感動したんだろうと思ってみたけど、2回見ても、やっぱり良かった。
色々、何か、即興的に行ったのか、上体の動き、腕の振りとか、あれ?こんなのあったっけ?と思う様な動きが、幾つか入ってたけど、(例えば、ちょっと弓を引くような、と言うのとも違うんだけど、意味する所は解らないんだけど、何か、細かい振りっていうか、動きが入ってて、見慣れた振付が新鮮に見えた、だけでなく、ほとんどの動きが、余計なものが削られ、研ぎ澄まされた、はっとするような美しさを湛えていたと思う。こういうのが、いつでもできるわけじゃない。
もしかしたら、ジャンプに難があり、ジャンプ、脚の方に不安がある分、腕や上体の表現でカバーする様な感じが、本能的にあったりしたとか(???違うかもしれないけど)
顔の付け方、瞳の方向付けとか、あごの位置とか、上体部分の各部位が、それぞれきれいにはまるっていうか、鋭い系統の綺麗さに満ちていた。
ピンチになった時の緊張感、王者の矜持が引き寄せた何か、なのかもしれないが。
今季の羽生の、余裕のある時の「秋によせて」とか、何となく、ナルシスボーイな感じが、自分はあまり好きではなかった(表面的には、それなりにきれいなんだけど)のが、今回全日本のFSでは、そういう余分なものが、緊張感の中でそぎ落とされて、玻璃のような名状しがたい美の世界を構築していた。
困った事に、羽生選手と言う人は、追い詰められると、こういった不思議なものを引き寄せてくる人なんだと思ってる。
つまり、昨日の自分の感動には、きっと根拠があるんだと、何となくわかった。
それに、王者の位置から転落する、という段になって、ビックリするほど、王者の風格と気品、誰にも叶わない様な気迫や研ぎ澄まされたバランス感覚を見せてくる。最後まであきらめないなんて、生易しいものじゃなかった。最後の最後まで、きっちり、見事に『羽生結弦の世界』を崩さなかった。だから、圧倒されたし、2位の結果の演技でなお、この人は特別なんだ!と思わされた。1位じゃなくなる!と言う立場になって、却って、誰もたやすく到達できない様な、特別な風格を持ってることが、自分には感じられた。(ファンの世迷いごとだと言ってくれ!)
*一方、バレエのワガノワメソッドを幼いころから習得してる演じ手ならば、美しく動くことについて、体系化された教育システムで育っているから、羽生よりも安定して、毎回全身の動きの美しさを出せてくる、という強みはある。例えば、ロシア2強のトゥルソワ、シェルバコワとかは、そういう系統で、トゥルソワとかは相当難しいことやってるわりには、何でもない様な所でぱっとあげた手とか腕とか脚とか、きれいだったりする。シェルバコワの動きの綺麗さは、すぐに気づくと思うけど、トゥルソワも、ハード過ぎる振付の割には、何気にきれいな線を出す時があって見とれてる。日本人だと、バレエのトレーニングが目立った人に、浅田真央がいる。
*羽生が美しく動くのは、そういうメソッド、他の人が作った理論による教育で身についた物でなく、もっと感覚的なものなので、多少、その時々で変わるんだと思ってる。
*それと、感動を増幅させたのが、応援との呼応。4回転ルッツが2回転になった時と、後半の3Aの2回目で転倒した時かな、思わず、TV放送でも聞こえる声で、「ユズル!」って叫んでる女性の声が入ってたけど、これが、きれいな音声なのね、(感心した)自分なんかは、フィギュアスケートって、音楽がかかるものなので、そこで聞こえる音声はやっぱり気になるので、羽生のピンチに思わず声を上げたのが、きれいな音声だったりすると、妙に感心してしまって。見ようによっては、全てが作品の一部のようにさえ見えてくる。(だからって別に、観客の方が、意識して気取った声を出す必要なんか勿論ないんだけど。)
そして、終盤にさしかかって、ジャンプが一通り終わって、さあ、ここからステップ、とかそういうタイミングで、手拍子とかが、何となく、2回目見た時、羽生と、観覧席のお客様の手拍子の音と、あたかも、同じ一つの生き物のように感じたり、とか。凄く呼応度合が高くって。
いつもは無い事だけと、いつにない、特別なピンチに思わず上がった声も、ジャンプをクリアして、終盤に声援の代わりに起こる手拍子も、氷上の羽生の動きと相まって、何か、破綻の無い一つの世界を形成していたような気がした。
フィギュアスケートがあって、ジャンプや回転やステップが行われる、っていうことだけで終わらない、その空間全体で起こってる、張り詰めた緊張感の中の何か。
まあ、一体感とか、連帯感とか、そんな平板な言葉にしたくないのだけど。そこで起こってる全体が、一つの表現みたいだった。凄く精度が高くて、感心した。羽生選手と、そこにいたファンの人たち、TV画面のこちら側から見てると、心の距離感が近い感じがするというか。
羽生がいつになくピンチで、絶対に王者に相応しい演技をやり遂げてほしい、羽生自身と、ぐるりと周りを囲んだファンの人々との共通の思い。
その強い願い、熱い思いが、舞台を、見ていて涙ぐむほど感動的なものにしていたのか・・・?
羽生自身は、あんな演技は問題外、弱いだけ!としか思ってないかもしれなくて、褒めるのは少し恐縮なのだけど、
でも、自分には、予想外もあったけど、感動的なステージだった。
そう、羽生、洗練されて、いつも以上に綺麗だったよ。自分主観では。
*高橋大輔選手のSPは、ジャンプ技術よりそれ以外の部分の良さに目が行って、最初の引退宣言から、キャスターしたり、復帰したり、アイスショーの舞台に立ったり、アイスダンスに転向することにしたり、紆余曲折があったけれど、その道程は、無駄ではなかったのではないか、と思える演技に見えた。
この件は、そのうち、書く暇あるかな。全日本選手権の中に、事実上の大輔選手の引退興行の様相があった今大会でもあったけど、コーチにキスクラで花束渡してたり、ファンの人が客席で5人位で、一人一文字のボードをもって「ありがとう」って書いてあるのを持ってたり、スターの一つの引退興行(次もあるけど)として、心温まる光景が、TV映像にも入ってて、なかなかほっこりした。(私は高橋選手のファンではないけれど。)
その人が、何者で、何をやるべきなのか?迷って幾つか試して、やっぱり自分の気持ちが納得できる方向に進んだ方が、いいのかなあ?と思う様な、スター選手の模索ではあった。
*双方のファンの方、非フィギュアスケートファンの、一感想なので、違和感あってもスルーしてね。
(以下、素人の世迷いごと感想なので、素人の主観とは例えば一つにはこんなもん、と思って、気楽に読んで下され)
*ほんとは、高橋大輔選手の転身の事とか書こうと思ってたのだけど。
*その前に。羽生結弦選手のFS.
リアルタイムで一回見て、技術的には優勝を逃す内容だった、羽生結弦選手の演技だったけど、自分は、感動したのだけど。(こんなこと言われても嬉しくない人は多いと思うけど)
一夜明けて、少し冷静になった頭で、録画を見直してみて。
そうしたら、「何だ、上手いじゃん」、と思ってしまった。昨日は、まさかの羽生のミスで、心がビックリしてたみたい。
今までずっと、ハイレベルなものを見てきて、目が羽生基準になってしまっていて、出来て当たり前みたいな感覚になっていたのかも。少しのミスでも、「ガ~ン!」みたいに思っていたのかもしれないけど、改めて冷静な目で見ると、多少ミスしていても、きれいに回転までは行ってたり、着地が多少乱れても、それなりにカバーは入ってたり。
自分も、多くの観客視聴者、関係者も、羽生選手の身体のFSの状態がここまで来てるって、気付いてなかったと思うけど、それが分ってみると、むしろ、この状態では、比較的まし、もしくは最良の形で実施できていたんではないか?と思った。例えば、4回転の中でも、特に4回転ルッツが2回転になったのが目立っていたけど、ここが一番鬼門だったかもしれないので、この位で済んでよかったんじゃないか?なんて言ったら、怒られるかな?
バランス的に、今の状態でやり抜く、という観点では、全体的に、これ以上はやばいという所までは崩れずに、それなりにまとまってたような気が。逆境にあっても研ぎ澄まされた嗅覚があるみたいで、そういう所、相変わらず、大したバランス感覚だと思った。
それと、自分が、こんな状態でなぜ感動したんだろうと思ってみたけど、2回見ても、やっぱり良かった。
色々、何か、即興的に行ったのか、上体の動き、腕の振りとか、あれ?こんなのあったっけ?と思う様な動きが、幾つか入ってたけど、(例えば、ちょっと弓を引くような、と言うのとも違うんだけど、意味する所は解らないんだけど、何か、細かい振りっていうか、動きが入ってて、見慣れた振付が新鮮に見えた、だけでなく、ほとんどの動きが、余計なものが削られ、研ぎ澄まされた、はっとするような美しさを湛えていたと思う。こういうのが、いつでもできるわけじゃない。
もしかしたら、ジャンプに難があり、ジャンプ、脚の方に不安がある分、腕や上体の表現でカバーする様な感じが、本能的にあったりしたとか(???違うかもしれないけど)
顔の付け方、瞳の方向付けとか、あごの位置とか、上体部分の各部位が、それぞれきれいにはまるっていうか、鋭い系統の綺麗さに満ちていた。
ピンチになった時の緊張感、王者の矜持が引き寄せた何か、なのかもしれないが。
今季の羽生の、余裕のある時の「秋によせて」とか、何となく、ナルシスボーイな感じが、自分はあまり好きではなかった(表面的には、それなりにきれいなんだけど)のが、今回全日本のFSでは、そういう余分なものが、緊張感の中でそぎ落とされて、玻璃のような名状しがたい美の世界を構築していた。
困った事に、羽生選手と言う人は、追い詰められると、こういった不思議なものを引き寄せてくる人なんだと思ってる。
つまり、昨日の自分の感動には、きっと根拠があるんだと、何となくわかった。
それに、王者の位置から転落する、という段になって、ビックリするほど、王者の風格と気品、誰にも叶わない様な気迫や研ぎ澄まされたバランス感覚を見せてくる。最後まであきらめないなんて、生易しいものじゃなかった。最後の最後まで、きっちり、見事に『羽生結弦の世界』を崩さなかった。だから、圧倒されたし、2位の結果の演技でなお、この人は特別なんだ!と思わされた。1位じゃなくなる!と言う立場になって、却って、誰もたやすく到達できない様な、特別な風格を持ってることが、自分には感じられた。(ファンの世迷いごとだと言ってくれ!)
*一方、バレエのワガノワメソッドを幼いころから習得してる演じ手ならば、美しく動くことについて、体系化された教育システムで育っているから、羽生よりも安定して、毎回全身の動きの美しさを出せてくる、という強みはある。例えば、ロシア2強のトゥルソワ、シェルバコワとかは、そういう系統で、トゥルソワとかは相当難しいことやってるわりには、何でもない様な所でぱっとあげた手とか腕とか脚とか、きれいだったりする。シェルバコワの動きの綺麗さは、すぐに気づくと思うけど、トゥルソワも、ハード過ぎる振付の割には、何気にきれいな線を出す時があって見とれてる。日本人だと、バレエのトレーニングが目立った人に、浅田真央がいる。
*羽生が美しく動くのは、そういうメソッド、他の人が作った理論による教育で身についた物でなく、もっと感覚的なものなので、多少、その時々で変わるんだと思ってる。
*それと、感動を増幅させたのが、応援との呼応。4回転ルッツが2回転になった時と、後半の3Aの2回目で転倒した時かな、思わず、TV放送でも聞こえる声で、「ユズル!」って叫んでる女性の声が入ってたけど、これが、きれいな音声なのね、(感心した)自分なんかは、フィギュアスケートって、音楽がかかるものなので、そこで聞こえる音声はやっぱり気になるので、羽生のピンチに思わず声を上げたのが、きれいな音声だったりすると、妙に感心してしまって。見ようによっては、全てが作品の一部のようにさえ見えてくる。(だからって別に、観客の方が、意識して気取った声を出す必要なんか勿論ないんだけど。)
そして、終盤にさしかかって、ジャンプが一通り終わって、さあ、ここからステップ、とかそういうタイミングで、手拍子とかが、何となく、2回目見た時、羽生と、観覧席のお客様の手拍子の音と、あたかも、同じ一つの生き物のように感じたり、とか。凄く呼応度合が高くって。
いつもは無い事だけと、いつにない、特別なピンチに思わず上がった声も、ジャンプをクリアして、終盤に声援の代わりに起こる手拍子も、氷上の羽生の動きと相まって、何か、破綻の無い一つの世界を形成していたような気がした。
フィギュアスケートがあって、ジャンプや回転やステップが行われる、っていうことだけで終わらない、その空間全体で起こってる、張り詰めた緊張感の中の何か。
まあ、一体感とか、連帯感とか、そんな平板な言葉にしたくないのだけど。そこで起こってる全体が、一つの表現みたいだった。凄く精度が高くて、感心した。羽生選手と、そこにいたファンの人たち、TV画面のこちら側から見てると、心の距離感が近い感じがするというか。
羽生がいつになくピンチで、絶対に王者に相応しい演技をやり遂げてほしい、羽生自身と、ぐるりと周りを囲んだファンの人々との共通の思い。
その強い願い、熱い思いが、舞台を、見ていて涙ぐむほど感動的なものにしていたのか・・・?
羽生自身は、あんな演技は問題外、弱いだけ!としか思ってないかもしれなくて、褒めるのは少し恐縮なのだけど、
でも、自分には、予想外もあったけど、感動的なステージだった。
そう、羽生、洗練されて、いつも以上に綺麗だったよ。自分主観では。
*高橋大輔選手のSPは、ジャンプ技術よりそれ以外の部分の良さに目が行って、最初の引退宣言から、キャスターしたり、復帰したり、アイスショーの舞台に立ったり、アイスダンスに転向することにしたり、紆余曲折があったけれど、その道程は、無駄ではなかったのではないか、と思える演技に見えた。
この件は、そのうち、書く暇あるかな。全日本選手権の中に、事実上の大輔選手の引退興行の様相があった今大会でもあったけど、コーチにキスクラで花束渡してたり、ファンの人が客席で5人位で、一人一文字のボードをもって「ありがとう」って書いてあるのを持ってたり、スターの一つの引退興行(次もあるけど)として、心温まる光景が、TV映像にも入ってて、なかなかほっこりした。(私は高橋選手のファンではないけれど。)
その人が、何者で、何をやるべきなのか?迷って幾つか試して、やっぱり自分の気持ちが納得できる方向に進んだ方が、いいのかなあ?と思う様な、スター選手の模索ではあった。
*双方のファンの方、非フィギュアスケートファンの、一感想なので、違和感あってもスルーしてね。