goo blog サービス終了のお知らせ 

想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

アゲアゲな君やわたしへ贈る言葉

2010-12-07 10:53:43 | Weblog

あやまちを繰り返さない方法。
その1、謙虚であること。
その2、ツツシンデ、己を振り返って一日を終わること。
その3、自分を自分でほめたりしないこと。
その4、他人から褒められても真に受けて喜ばないこと。
その5、どうしても喜びが湧いてきたら、感謝すること。
その6、けっきょくのところ、調子に乗って自分の欠点を忘れてしまうという
オバかな自分を忘れないようにすること。

以上、しみじみと一ヶ月を振り返ってため息をつき思ったこと。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無題なのだ

2010-12-07 00:39:00 | Weblog






大西ライオンが心配ないさァ~と叫んでるなう。
ぷーちゃんの寝顔は、平和で愛しいなう。
くじきゼミ近々なので嬉しいー。
寝ないとヤバいので、今夜こそパソコンから離れて、ケータイからなう。おやすみなさい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

約、一年後

2010-12-05 10:26:06 | Weblog
(2009.12.12撮影)昨年冬のシマコ。


(2010.11月20日撮影)

丸まってた冬からまた新しい冬を迎えようとしている今日。
こんなにデカイ顔したヤツが‥かたわらに現れて。
おなかのなかに潜伏していたのであった、コヤツ‥。
生命の不思議、という言葉がこれほどふさわしくない画もないだろう。

あったりまえじゃん、飯くれよ、食ったけど、またくれよ。
そう、君の名は「えてかってのみことねこ」だ。
まず、礼儀を身につけたまえ、母に倣って。まずは倣え、そして習え。
母さんシマコは礼儀正しいぞ、カメに愛されてるぞ、そこんとこが
ミソだぞ、礼儀だ、礼儀。礼儀は形じゃないからな、よく習え。
それが縁側道であるぞ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うまいジャムパンを求む

2010-12-04 23:37:29 | Weblog

ジャムパンが好きです。
あるところで売っているジャムパンをめぐって、まだあるか売り切れか
ドキドキしながら行くと、10中9回は売り切れているという希少なパン。



この方はミミをいただくのでジャムパンでもクリームパンでもアンパンでも
かまやしないのですが‥。
希少なジャムパン、なに、たいしたことありません、無名のどこにでもある
パンです。なのに、それが食べたくなるのです。
売り切れているということは、その価値がわかる人が、同じ嗜好の人がほかに
たくさんいるということか、そう思ったりもしましたが、違いました。

高速道路のパーキングエリアの売店なのです。
他にたいして売っているものがないのです。おみやげの饅頭やらはあるが
サンドイッチやおにぎりや助六寿司にまじってフツーのパンもあるけど
それ全部合わせても全体に品目が乏しい売店なのです。

レジのおばちゃんに、せっかく楽しみにしてるのにいつもないよーと言うと
「今日は売り切れました、すぐに売れきれるときとそうでないときとある
けど今日は終わりました」と毎度答えが決まってます。
いつぞや「あったー」とレジで言うと、「ようございました、ありがとう
ございますー」と普通に答えが返ってきました。

二ヶ月先まで予約待ちというクリームパンがあるそうですが、そんなに待って
いると待っていることを忘れているところに届いたりしないか。
あれ、これ? ラッキー、と自分でオーダーしたことも忘れて感激しそうです。
そういう感激とは無縁の、部活帰り買い食い用とか駅売店の隅などにあるただの
昔ながらの地味な味の、柔らかくも堅くもなくモチモチもしていないパン、
苺ジャムがたっぷり入ってる、無名のパンです。
(パッケージはロゴ無し透明のビニール袋、製造所が記載されているくらい)

時として、こういう極私的なことに心を浮き立たせたり沈んだりしながら
ドライビングしております。

そうそう、このパンに佐野うさパンと名付けておきます。
命名されると、ぐっと身近になり、もしやありつけるかもしらんという
下心はありませんって。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母におなりんさい

2010-12-01 01:19:22 | 
ぶちゃ、やっぱりシマコはこのコを置いていった。
縁側でヒトからどうやってご飯をもらえばいいかを手ほどきし、一日二日
一緒に居続けした後、とんと姿を見せなくなったシマコの母みゃあちゃん。
シマコも我が子に知恵つけて去るのだろうか。

もう二年くらい前のことだが、みゃあちゃんはそれきりになってシマコは
あれからずっとうちの食客だ。
子猫を何度か連れてきたが子猫が居続けたのはぶちゃが初めてである。
シマコの姿が見えないと、そんなことを考えてしまう。いなくなる時は
寿命が来た時だと思うので‥、ぶちゃを見る目も複雑である。

シマコがご飯を食べ終わっても、いやにやさしい甘えた声で鳴き続けるので
様子を見に行くと、そこに不細工な顔をした今まで見た事もない黒白柄の
子猫がソックスを履いてちょこんと座っていたのだった。
かたわらのシマコの顔を見ると、すみませんねー、よろぴくよろぴく。
しゃあないなあ(と言ったのはカメで)、それからずっとぶちゃは
シマコと共に来るので、ははあ跡継ぎか? と思ってはいたが。

週末にシマコは来ず、ぶちゃが縁側のいつもの主賓席に陣取って、
まるでシマコみたいに猫用ラグマットの真ん中でひなたぼっこしていた。
夜中になっても次の日もとうとうシマコは来ず。
来ない時が続くこともないわけではなかったが、ぶちゃの堂々たる態度を
見ているといよいよその時が来たのかと不安とあきらめとさみしさと
いろいろ混ざってぶちゃを見る目も皮肉になる。

二代目はダメだ、とつい言いたくなる。
みゃあちゃんからは三代目だが、シマコが縁側住人の最初だと数えると
ぶちゃは二代目だ。
おまえはハハの築いた絆と信頼を受け継いだことになるのだが、なんだ、
そのびくびくと臆病なくせして、食ったら逃げる、いいかげんに覚えたら
どうだ、おばちゃんは恐くないぞと言ってるのにその態度。

うさこの人差し指を見て、耳が平たくなってコワがってるのがバレバレ。
シャーとか言ってみな、とうさこは指先を突き出してくるくる回したりして
からかうと、縁側から降りる、そしてまた戻ってくる。
その繰り返し。

カメ曰く。
子猫にムキになってんじゃないよ、はりあってどうする。
しゃあないなあ二代目だかんな、努力せずして餌場はあるし安全だし、
こりゃいいやって態度が癪触るって?
そのうち、母になれば、変わるさ。な、ぶちゃ。
なれるのかな、ぶちゃよ。いっぱい食べていいぞ、食べてオトナになれ。
カメはぶちゃにそう語りかけていたね、うさこの態度と大違いの寛容で
ある。ぶちゃもカメの前からは逃げない。
生意気である。

うさこ、あんたも母におなりんさい、という目をしているように見えて
ぶちゃとにらめっこである。

追記:苦海浄土を今読んでいますというお便りやお電話、いただきました。
早速のこと嬉しく思いました。
文中の方言は正しくは水俣弁ではなく天草弁をもとに書かれています。
母性の深淵、そして母という言葉の示す意味はとても深いのだと
改めて考えさせられます。
すべての命の源について。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする