飛行機を発見。南西方角へ飛んで行くのをみるのは初めてかも‥、と
珍しがってパチリ、写っていたので正直、棚ぼたな気分である。
この樹、肘を曲げ、天をさす腕に見える。
樹膚がとても美しかった。あらいあげられたように、清潔なかがやき。
いままで気づかなかった。
もう寒風に晒されているのに、樹はちぢこまったりしないですくっと
立っていて、その間を縫って歩いていたら胸のなかが洗われ、
嫌なことを忘れていくのであった。

自然の力はすごいなあとしみじみ思う。
人間いっぴきの業など、吸い込んでしまう。
「進歩する科学文明とは、より手のこんだ合法的な野蛮世界へ
逆行する暴力支配をいうにちがいなかった」
(石牟礼道子著「苦海浄土 第二部神々の村」より)
古の文に学ぶようになって、わたくしはだんだんと自然に近づけて
外身より中の芯のほうが丈夫になっていくようだ。
外目には凡庸でも、芯は日に日に強くなっていく。
変化は自分にだけ感じられて、外見は逆にすべすべと角をとって
飾りをとって目立たなくなっていく。
冬の、裸になった樹に寄り添って、言葉になる前の想いを感じる。
ここでなら生きていける、そう思ったかたほうの心が、
川向こうから轟いてくるオートバイの爆音にすくみあがる。
自分の弱い心に、世にいうPTSDなど便利な言葉など使うまいと
思う。因果応報、超えられる障りならまだ救いがあるのだ。
救われようもない宿業を背負った小さき人たちのことを思うと
どんな困難も、まだ不幸ではないということがよくわかる。
不幸ではなく、恵みのうちにいることを気づかされる。
泣いていてはならない、起きて、歩け。
歩いて、五体を、六根をはたらかせねばならない。
そっと、樹は手を引いてくれた。