ぶちゃ、やっぱりシマコはこのコを置いていった。
縁側でヒトからどうやってご飯をもらえばいいかを手ほどきし、一日二日
一緒に居続けした後、とんと姿を見せなくなったシマコの母みゃあちゃん。
シマコも我が子に知恵つけて去るのだろうか。
もう二年くらい前のことだが、みゃあちゃんはそれきりになってシマコは
あれからずっとうちの食客だ。
子猫を何度か連れてきたが子猫が居続けたのはぶちゃが初めてである。
シマコの姿が見えないと、そんなことを考えてしまう。いなくなる時は
寿命が来た時だと思うので‥、ぶちゃを見る目も複雑である。
シマコがご飯を食べ終わっても、いやにやさしい甘えた声で鳴き続けるので
様子を見に行くと、そこに不細工な顔をした今まで見た事もない黒白柄の
子猫がソックスを履いてちょこんと座っていたのだった。
かたわらのシマコの顔を見ると、すみませんねー、よろぴくよろぴく。
しゃあないなあ(と言ったのはカメで)、それからずっとぶちゃは
シマコと共に来るので、ははあ跡継ぎか? と思ってはいたが。
週末にシマコは来ず、ぶちゃが縁側のいつもの主賓席に陣取って、
まるでシマコみたいに猫用ラグマットの真ん中でひなたぼっこしていた。
夜中になっても次の日もとうとうシマコは来ず。
来ない時が続くこともないわけではなかったが、ぶちゃの堂々たる態度を
見ているといよいよその時が来たのかと不安とあきらめとさみしさと
いろいろ混ざってぶちゃを見る目も皮肉になる。
二代目はダメだ、とつい言いたくなる。
みゃあちゃんからは三代目だが、シマコが縁側住人の最初だと数えると
ぶちゃは二代目だ。
おまえはハハの築いた絆と信頼を受け継いだことになるのだが、なんだ、
そのびくびくと臆病なくせして、食ったら逃げる、いいかげんに覚えたら
どうだ、おばちゃんは恐くないぞと言ってるのにその態度。
うさこの人差し指を見て、耳が平たくなってコワがってるのがバレバレ。
シャーとか言ってみな、とうさこは指先を突き出してくるくる回したりして
からかうと、縁側から降りる、そしてまた戻ってくる。
その繰り返し。
カメ曰く。
子猫にムキになってんじゃないよ、はりあってどうする。
しゃあないなあ二代目だかんな、努力せずして餌場はあるし安全だし、
こりゃいいやって態度が癪触るって?
そのうち、母になれば、変わるさ。な、ぶちゃ。
なれるのかな、ぶちゃよ。いっぱい食べていいぞ、食べてオトナになれ。
カメはぶちゃにそう語りかけていたね、うさこの態度と大違いの寛容で
ある。ぶちゃもカメの前からは逃げない。
生意気である。
うさこ、あんたも母におなりんさい、という目をしているように見えて
ぶちゃとにらめっこである。
追記:苦海浄土を今読んでいますというお便りやお電話、いただきました。
早速のこと嬉しく思いました。
文中の方言は正しくは水俣弁ではなく天草弁をもとに書かれています。
母性の深淵、そして母という言葉の示す意味はとても深いのだと
改めて考えさせられます。
すべての命の源について。
縁側でヒトからどうやってご飯をもらえばいいかを手ほどきし、一日二日
一緒に居続けした後、とんと姿を見せなくなったシマコの母みゃあちゃん。
シマコも我が子に知恵つけて去るのだろうか。
もう二年くらい前のことだが、みゃあちゃんはそれきりになってシマコは
あれからずっとうちの食客だ。
子猫を何度か連れてきたが子猫が居続けたのはぶちゃが初めてである。
シマコの姿が見えないと、そんなことを考えてしまう。いなくなる時は
寿命が来た時だと思うので‥、ぶちゃを見る目も複雑である。
シマコがご飯を食べ終わっても、いやにやさしい甘えた声で鳴き続けるので
様子を見に行くと、そこに不細工な顔をした今まで見た事もない黒白柄の
子猫がソックスを履いてちょこんと座っていたのだった。
かたわらのシマコの顔を見ると、すみませんねー、よろぴくよろぴく。
しゃあないなあ(と言ったのはカメで)、それからずっとぶちゃは
シマコと共に来るので、ははあ跡継ぎか? と思ってはいたが。
週末にシマコは来ず、ぶちゃが縁側のいつもの主賓席に陣取って、
まるでシマコみたいに猫用ラグマットの真ん中でひなたぼっこしていた。
夜中になっても次の日もとうとうシマコは来ず。
来ない時が続くこともないわけではなかったが、ぶちゃの堂々たる態度を
見ているといよいよその時が来たのかと不安とあきらめとさみしさと
いろいろ混ざってぶちゃを見る目も皮肉になる。
二代目はダメだ、とつい言いたくなる。
みゃあちゃんからは三代目だが、シマコが縁側住人の最初だと数えると
ぶちゃは二代目だ。
おまえはハハの築いた絆と信頼を受け継いだことになるのだが、なんだ、
そのびくびくと臆病なくせして、食ったら逃げる、いいかげんに覚えたら
どうだ、おばちゃんは恐くないぞと言ってるのにその態度。
うさこの人差し指を見て、耳が平たくなってコワがってるのがバレバレ。
シャーとか言ってみな、とうさこは指先を突き出してくるくる回したりして
からかうと、縁側から降りる、そしてまた戻ってくる。
その繰り返し。
カメ曰く。
子猫にムキになってんじゃないよ、はりあってどうする。
しゃあないなあ二代目だかんな、努力せずして餌場はあるし安全だし、
こりゃいいやって態度が癪触るって?
そのうち、母になれば、変わるさ。な、ぶちゃ。
なれるのかな、ぶちゃよ。いっぱい食べていいぞ、食べてオトナになれ。
カメはぶちゃにそう語りかけていたね、うさこの態度と大違いの寛容で
ある。ぶちゃもカメの前からは逃げない。
生意気である。
うさこ、あんたも母におなりんさい、という目をしているように見えて
ぶちゃとにらめっこである。
追記:苦海浄土を今読んでいますというお便りやお電話、いただきました。
早速のこと嬉しく思いました。
文中の方言は正しくは水俣弁ではなく天草弁をもとに書かれています。
母性の深淵、そして母という言葉の示す意味はとても深いのだと
改めて考えさせられます。
すべての命の源について。