想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

ウツロノキミ

2010-12-17 11:18:07 | Weblog
思慮の慮(リョ)、訓読みはオモンバカルだけど、ハカルはどういう
字を当てるのか考えた。
謀るではないことだけは確か、なはずだが実際はどうだろうか。
世間では、じつのところ謀るが主流で、計っている人は少ない
のではないか。

謀るはだますとか下心の意味で、計るでも量るでもないから
おのが思いを問いなおすということにはならない。

どうしたら自分に都合がいいかと思いをめぐらすことを、簡単に
「どうしたらいいかと思って」という言い方をする。
そういえば中身は知られないと思うだろうが、そうもいかないので
結局のところ、謀りごとというのはその人の波動のような、気配の
ようなもので伝わっていく。疑念の芽が芽生えていても、その根拠
がわかるまでは放っておかれるからうまくいく気がする。
バレるまでは、である。

「私を滅す」は人の道を歩く前提であるけれど、それ以前のもっと初歩的
な倫理的道徳的な問題である。
思慮のないオンナ、オトコ、ヒトノオヤ、ヒトノコはゴマンといて世間を
のし歩いているのだから、そこに混ざっている限りおのれ一人位の勝手を
誰が知ろうかということなのか、鈍感に下心を丸出しにしている。
そうは問屋がおろさないのであるのに。
この場合の問屋さんは天の神さま。
神さまは個別に天罰など下すわけではないけれど、理というもの
があって、神さまといえどもこの理に沿ってはたらく。
人も理に沿わないで外れていると、外したなりの結果へたどりつく。

理はすべからく、流れ定まる。
よってオレがオレがオレがと思う末は、オレが独りの世界に至る。
そこは殺伐として冷たく、吹く風もなく音もない。
上も下もない無限の茫漠とした域であろう。
酷薄に、情のない人のさまが思い浮かぶ。

その域を支配するものの名を天魔雄命(あめのざこおのみこと)変じて
天九間虚王(あめのくまのうつろのきみ)。
その母の名を天逆毎姫尊(あめのざこひめのみこと)。
このカミは八極の理にそうことに耐えられないので居場所は
虚の世界にしかないということ。
(第五巻 神祇本紀)

おもんばかるから考え始めて、神話にいきついてしまったが、
神話は心のものがたりとして読むことができる。
こころを胸をさしてココといい、カミも同じ処を指したりするが、
あいまいである。
ものがたりはそのあいまいさを細かく、一つ一つ明らかにして教えてくれる。
カミが万神(よろずのかみ)なら心も万華鏡のようにくるくると形を変える。
コレ、コレと指差し、一つ心と掴めるまで「私は何者か」の答えを自らに
示すことができず、迷い続ける。







コメント
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