カーネギーホールでキーシンを聴いた。
昨年亡くなられたカントール先生へ捧げられた演奏会。
ニューヨークは大変な雨と渋滞で、カーネギーホール到着は開演10分前。
しかし、皆同じ状況なので、ホールの前は人だかり。
無事席に着くも、なかなか始まらない。
10分以上遅れて、キーシン登場。
J. S. BACH Toccata and Fugue in D Minor, BWV 565 (arr. Tausig)
MOZART Adagio in B Minor, K. 540
追悼だから?なんだか悲しくて美しい。
BEETHOVEN Piano Sonata No. 31 in A-flat Major, Op. 110
全体的に、ゆっくり、切々と歌われる。
このスピードなら、私でも弾けるんじゃない?と思わせられるような。
でも加速度という妙薬なしで音楽として聴かせる強さ。
これはもう、涙なしでは聴けない、
切なくて、美しくて。
最後短調から長調に変わり、
ああ、美しさに哀しみは不要なのか、と思わせられる。
CHOPIN Mazurka in B-flat Major, Op. 7, No. 1
CHOPIN Mazurka in G Minor, Op. 24, No. 1
CHOPIN Mazurka in C Major, Op. 24, No. 2
CHOPIN Mazurka in C Minor, Op. 30, No. 1
CHOPIN Mazurka in B Minor, Op. 30, No. 2
CHOPIN Mazurka in C Major, Op. 33, No. 3
CHOPIN Mazurka in B Minor, Op. 33, No. 4
CHOPIN Andante spianato and Grande polonaise brillante, Op. 22
子供が発表会で弾くようなマズルカに始まり、最後はまさにbrilliant!
この辺りもカントール先生への感謝やさまざまな想いが込められているのかな、
と勝手に想像。
アンコールも4曲。
キーシンのアンコール発表はほぼ聞き取れた試しがなく。
1曲目はBachあたりだと思うけれどC minorの曲。
2曲目はソナチネアルバムとかにあるソナタ。
3曲目は英雄ポロネーズ
4曲目は別れのワルツ
素晴らしい演奏会でした。
久しぶりに、演奏そのものに泣かされました。
感謝。
反田さんとJNOコンサート@京都コンサートホール。
今回は最前列ほぼ中央。
舞台が狭いのか、舞台の端と演奏者の位置が近く、
ピアノに至ってはあと30cmで落ちる。
ここで地震が来たら間違いなく飛んできたピアノに押し潰される、
と恐ろしくなる。ピアノの音量もほぼ騒音レベル。
今日も希望者による指揮。
一人の方は反田さんに指揮をしたことがあるのか?
と尋ねられるほど、基本に忠実な美しい指揮だった。
入りの早いヴィオラに視線を飛ばした自分を反省する。
そういうコーナーじゃない。。。
反田さんのショパン、今日は音楽しりとりの種明かしがあった一方、
務川さんとのハンガリー舞曲への言及はなし。
個人的には今日の方が、調違いの違和感あったけれど。
ホールの音響が良いからだろうか?
シューマンも前回より楽しめた。
やはりホールの音響なのか、JNOの慣れなのか。
最前列の席でもこんなに残響が美しいなんて!流石、永田音響設計。
Bach/Busoni: Chaconne
Feinberg: Piano Sonata No.3 Op.3
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Schumann: fantasie in C Major
彼の演奏を聴いたのは、もう9年も前のこと。ロンドンのWigmore hall。聴衆が立てた奇妙な音で音楽が中断されたことを、再現部で再現した。彼の頭の中で音楽はどう存在しているのかと思った、強烈な思い出。。。
ピアノ弾きの知人らがこぞって集まるという。負けじとチケットを入手するも、かなり後方。。。と思いきや、結構良い感じ。前過ぎず、後ろ過ぎず。なんとピアニストの手元も少し見える。
前半はテクニックを楽しむ。Feinbergは開いた口が塞がらない。なんと、なんと素晴らしいテクニックなのだろう。
後半は響きを楽しむ。Schumannは、細部まで神経の行き届いた音、まるでステレオグラムが目の前で結像するような、そんな印象。みんな、こんな風に弾こうとは思うけれど、でも実際には、一つに集中すると他が疎かになるもの、ところが彼の演奏は、すべてがwell-controlled。
あー、こんな風に仕事をmanageできたら、どんなに良いだろう。
武蔵野市民文化会館。素晴らしいホール。音響もオペレーションも。Merci beaucoup!
今日は所属するオケの演奏会。演目は、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」とブルックナーの交響曲第7番。
ブルックナーの交響曲第7番の解説を書くように頼まれて、書いたのだけれど、「ですます調」でないということで一旦ボツに。少々心残りなので、ボツになった原稿を備忘録としてここに。
アントン・ブルックナー 交響曲第7番ホ長調
音楽室で肖像画を見た記憶がない。授業中に鑑賞した記憶もない。ブルックナーの交響曲は授業時間に収まりきらないくらい長くて、しつこいから当然か。結果、彼は無名で一般的には不人気な部類の作曲家に属することとなった。が、今日初めてこの曲を聞くあなたも、心配は要らない。ブルックナー史上初めて初演が成功した曲だ。
第一楽章、有名な原始霧(弦のトレモロ)の中から最初の主題が立ち現れる。宇宙の広がりを感じ、その心地良さに続く第二、第三の主題で気を失うかもしれないが、曲のフィナーレかと聞きまごう大音量によって必ずや目覚めるであろう。ここで慌てて拍手されないことをお勧めする。
第二楽章、184小節以降がワーグナーへの葬送音楽と言われる。楽章全体が「英雄の生涯」に聞こえなくもない。荘厳な主要主題 に始まり、その2回目の再現部、繰り返されるヴァイオリンの分散和音は、まるで幾度失敗しても 神を指向する英雄の姿。ついにシンバルの音と共に壁を打ち破る、がそこに聞こえてくるのはワーグナーチューバとホルンによる葬送曲。
第三楽章、スケルツォ。これを物足りない、と感じたなら、あなたにとってブルックナーは既に特別な人だ。
フィナーレはラッタ(付点8分音符+16分音符)のリズム。第一楽章の最初のモチーフが、リズムを変えるだけでこんなに愉快に。そして後にはテンポを変えるだけで重厚に。 展開部ではこのラッタによる「ゴシック様式教会建築」が突如眼前に現れる。ラッタによるヴァリエーション、ブルックナーらしくなくあっさり目なのは、 管楽器奏者を昇天させてはならない、昇天するのはワーグナーだけで十分という彼の心遣いだろうか。
参考文献:ENCYCLOPAEDIA BRITANICA, Wikipedia
友人のピアニストから、コンサートのお誘いをいただいた。なんと、当日のお誘い。イタリア人で普段はイタリアを中心に活躍する彼女、この機会を逃すのは惜しい、と会社の帰りにそのまま伺った。
ところが、これが間違いの元であった。なんと、そのコンサートはプライベートコンサート。主催者のマダムのご自宅での極めてプライベートなコンサートだったのである。出席者、ロングドレスではないけれど、皆さんイブニング用のショートドレスに着替えていらっしゃる。。。
外からは普通の家にしか見えないのだけれど、一歩足を踏み入れると、お手伝いさんが複数、壁にはタペストリーが掛かり、お部屋の中には、古い絵画、銀器、陶器。。。やっぱりロンドンにはいくらもお金持ちっていらっしゃるのね、と感嘆。
そして勿論、挨拶はNice to meet youではないのである。あの、マイ・フェア・レディの「How (pause) do you do ... (smile) ...」。相当場違いな私。
ああ、大失敗。なぜこういう日に限ってパンツスーツなんだろう。深く反省。
マダム所有の1920年代製造のスタインウェイで、友人がバッハ、リスト、ショパン、ドビュッシーを弾く。彼女はとても小柄なのだけれど、いつもパワフル。でも、今日はショパンの英雄ポロネーズが印象に残った。ちょっと優しい、歌う英雄。
帰り際、マダムに今日の非礼を詫びると、明日、別のコンサートがあるから、いらっしゃい、と再びお誘いを受ける。
明日こそリベンジ!