Que ma vie est belle!

私とは、美しいもの、美味しいもの、楽しいものの集合体。

グスターボ・ドゥダメル & ウィーンフィル @ 楽友協会

2016-04-10 11:00:00 | Gustavo Dudamel

Gustavo & ウィーンフィル、楽友協会にて。


Sergej Rachmaninow
Die Toteninsel, op. 29 
Max Reger
Vier Tondichtungen nach Arnold Böcklin, op. 128

Modest Mussorgski
Bilder einer Ausstellung (Orchestrierung Ravel)

 
「死の島」が不満だったわけではない。むしろ、とても良い演奏だったと思う。でも、このあとに起こったことがあまりに印象的であったので、そちらに注力する。
 
Regerの曲は初めて聴いたけれど、とても美しく楽しい曲で、Gustavo&ウィーンフィルのコンビにはぴったり。なぜ今まで自分は作曲家になろうと思わなかったのだろう。こんな風にGustavoに演奏してもらえるのならば、作曲家になればよかった(どれだけ作曲家になるのが難しいかまるでわかっていない発言)。
楽友協会は、天井に近い壁面部分が曇りガラスの窓になっていて、外の光がガラスを通して入ってくる。雨模様の天気から、だんだんと明るい空へ。美しい音とともに、なんだか幸福度が増す。最近のコンサートホールでは考えられないことだけれど。教会で演奏を聴くような効果だ。
最後はウィーンフィルの名人芸。こんな風に弾けたら幸せだろうな。ベルリンフィルがポルシェなら、ウィーンフィルはマセラティだろうか?
 
展覧会の絵。
始まった時には、もう少しGustavoとウィーンフィルの息がぴったり合った頃に、来週にでも聴きたい、やっぱり来週来てしまおうか、と思っていたけれど、Gnomusの終わりだったか、彼がこうしたい、と思っていたことができたのだろうか、最後フレーズが終わった時、Gustavoとコンミスが目で「よし、うまく行った」とばかり頷きあった。そのあとも彼は折に触れ、コンミスと目で合図し合う。
最初の不安感はどこへやら。ウィーンフィルの美しい弦の音が、Gustavoを見ようと少し斜めになっている体の左側、左耳に寄せてきて、無視できなくなる。本当に美しいヴァイオリンの音。自分が真剣に弾くようになって、余計に気になる。弓の持ちかた、動かし方、コンサートミストレスのよく動く右腕。。。
この曲線、いつも思う、この曲線。誰でも、この曲線が美しいことはわかる。例えば彫刻に見る美しいドレープのように。私たちは容易に、美しいドレープと、いまひとつ垢抜けないドレープを瞬時に見分ける。そんな感じ。でも、どうやって、「この」曲線だと、決められるのか。曲線の数は無限だというのに。でも、彼に曲線を提示されると、そう、そう、これ!と同意せずにはいられない(もちろん、他にも可能性はあるに違いないが、それならそれを示さなければならない)。しかも、自分で描くのではなく、楽団員に描いてもらう必要がある。楽団員が優れていることは必要条件だが、彼ら彼女らをそのように持って行ける、それができるところが、また素晴らしいと思う。
キエフの大門が始まったところで、あれ、なんだか物足りない、と思ったのだけれど、その後、フィナーレに向かって、どんどんと盛り上がって行き、最後はもう、涙なしでは聴けない!状態に。何人も目頭を押さえている人を見た。楽友協会、ホールが楽器そのもののようなホール。初めてここで音を聴いたら、きっとそんな風になる。
 
演奏に、皆、とても満足していたと思う。
Gustavoに会いに行く。列の前の人々との彼のやりとりからも、彼が満足しているように聞こえる。機嫌がよさそうだ。
何人もの人が、数え切れないくらいの人が泣いていたことを伝えたら、え、みんな不満で泣いていたの?なんて、こんな軽口をたたく時のGustavoはとても調子(そして機嫌)が良い。
 
本当に素敵な演奏だった。ニューイヤーに、家族と必ず来ます。あなたの楽しい音楽をまた聴きに。