Que ma vie est belle!

私とは、美しいもの、美味しいもの、楽しいものの集合体。

上野通明Vc ハイドンチェロ協奏曲第2番

2022-10-15 14:00:00 | インポート

富士山静岡交響楽団 第114回定期演奏会 ~ハイドンシリーズ vol.8~

ハイドン/
  交響曲 第94番 ト長調 Hob.Ⅰ:94「驚愕」
  チェロ協奏曲 第2番 ニ長調 Hob.Ⅶb:2
  交響曲 第96番 ニ長調 Hob.Ⅰ:96「奇跡」
  交響曲 第100番ト長調 Hob.Ⅰ:100「軍隊」

指揮:原田 幸一郎
チェロ:上野 通明

上野さんのチェロ目当てに、こちらへ。これまで、東京、京都と上野さんのチェロで協奏曲を聴いてきて、すごいテクニックのようだけれど今ひとつ音量が。。。と思っていて、今回ようやく、納得することができた。ガット弦を使っているのだろうか。このハイドンくらいの規模の曲を、前方の席で聴くのが良いように思った。

そして、何より、アンコールで弾かれたバッハ無伴奏第1番のメヌエットが素晴らしかった。バッハの時代にも、きっとこんな感じで弾かれたのではないか、と。独自の装飾が施され、軽々とした演奏に、きっと昔もこうやってちょっと技術を競い合うようなことがなされていたんだろうな、と。

いつか、こんなふうに軽やかに楽しくチェロを弾ける日が来ますように。


エッシェンバッハのマラ9@ロイヤルフェスティバルホール、ロンドン

2011-02-25 19:30:00 | インポート
マーラーの交響曲第9番、と聞くと行かないではいられない。という訳で、今日はエッシャンバッハの指揮、London Philharmonic Orchestraでマーラーの交響曲第9番を聴いた。

第一楽章は、なんとなく「ギクシャク感」が否めない。よく分析されているけれど、再統合されていない、というのだろうか。いやがうえにも、ちょっと長い、とか、マーラーちゃんと校正してからあの世に旅立ってくれたら良かったのに、なんて思っていた。
しかし、第二楽章に入って、マーラーがウィーンに住んでいたことを納得させてくれるような、流れるようなリズム感を感じることができるようになり、俄然楽しくなってきた。マーラーの人生のどの部分をこの音楽は表しているのだろうか?彼は何を考えながら作曲したのだろうか、などと考えながら。
先日のGustavoには身びいきがあるので、楽しく聴けて当然なのだけれど、この流れるようなリズム、調子の変え方、今日の演奏は純粋にGustavoの時より好きかもしれない。
第三楽章、今日もこの終わりで誰も拍手しないことに感動していた。
第四楽章。これだけゆっくり引いて演奏しても、嫌みにならない。素晴らしい演奏だった。この曲を書いた人間は間違いなく存在したのだ。また、過去にだけ天才が存在した、なんてことはないはずだ。クラシック音楽の世界ではないかもしれないが、こういう「天才」が今もこの世の中には存在するはずだ。まだ私が気づいていないだけで。ちょっと会ってみたいーそれとも既にすれ違ったのに気がつかなかったのか?
最後の静寂を演奏者、聴衆皆で共有できたことも素晴らしい演奏だった証だろうか?

例え欲しいものが手に入らなくても、この音楽があれば生きてゆけるはずだーでも「この音楽を諦めたら欲しいものをあげる」と言われたらどうするだろう?ーなんて、非現実的なことを考えていた。


アフタヌーンティ@シャングリラホテル東京

2010-12-24 15:00:00 | インポート

シャングリラホテル東京でのアフタヌーンティ。

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初めてシャングリラホテル東京を訪れた。

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お茶はメニューから選択。茶葉ごと変えていただけるので、今回はお薦めのスペシャルブレンド(ダージリンベースとのことだったが、ダージリンブレンドより優しい味とのことで先にこちらをいただく)とダージリンブレンドを。

スコーンも小さめで丁度良かった。また、ケーキはピスタチオとフランボワーズのムースをいただいたが非常に美味だった。


3連符と割り切り

2008-02-01 23:02:15 | インポート

次のオーケストラの演奏会。曲目の一つはBrahmsの「ハイドンの主題による変奏曲」である。3月が演奏会、既にあと1ヶ月とちょっと、ひよこちゃんである私に練習は欠かせない。

35小節目からの3連符。とても好きだ。私は3連符に非常に魅力を感じる。ベートーベンの最後のピアノソナタも3連符のパレード。これはちょっとJazzっぽく感じられて、いつかは自分で弾いてみたい曲である(多分無理)。

ところで、なぜ3連符が好きなのかと言うと、割り切れないからなのだ。どうやって正確に3等分するの?と何時も思う。初めて3連符のある曲を習ったときは、面白くて練習しまくった(おかげで1回で合格してしまい練習はそこまで)。そのあいまいな3等分からなる音楽は、あるときは脳みその中を転がり落ちてゆき、あるときは無重量状態から自由落下へ。

3に限らず、完全な等分なんてものもありはしない。小学生の頃はそれこそ寝ないで考えていた。けれど偉い人は割り切りがよかった。

ファインマンは言った。「プランク時間より短い時間(プランク長より短い長さ)には意味がない」。

そしてニーチェも。「私は問題にならないようなくだらないことを問題にしたことは一度も無い」。

どうやら時間の無駄遣いだったらしい。さて、気を取り直してブラームスでも聴きながら寝よう。やっぱり3連符はなぜか気持ちがよいから。