Que ma vie est belle!

私とは、美しいもの、美味しいもの、楽しいものの集合体。

命を削るのも悪くない-イアン・ボストリッジ@ウィグモアホール、ロンドン

2010-05-31 22:00:00 | コンサート

同じプログラム、とは思ったけれど、行かずには居られないボストリッジ。中1日だけとあって、少々お疲れ気味か?でも最後のDer Doppelgangerはちょっと執念が込められていた感じ。最後、声が一段と大きくなったところで、思わず「引いた」聴衆が複数いた。

アンコールは1曲のみ(土曜日は2曲)。それにしても、歌っている最中に席を立って帰るのって、とても失礼だと思う-流石のボストリッジも怪訝な顔をしていた。

土曜日に続いてサイン会。土曜日はCDを持ってゆくのを忘れてしまったので、今日はしっかり、ボストリッジ&パパーノの今回のプログラムと同じCDと、パパーノ指揮ヴェルディ「レクイエム」を持っていった。パパーノは、ヴェルディのCDを見て、ちょっと感激したらしい。かわいい。

ボストリッジに、まるで命を削って歌っているみたいです、と言ったら、

それも悪くないよね、との返事。

To be honest, I think so too.


やっぱり鐘-マサユキ・タヤマ@ウィグモアホール、ロンドン

2010-05-30 23:30:00 | コンサート

お天気も良いし、演奏会でも出かけよう!とウィグモアホールのマサユキ・タヤマPfリサイタルに出かけた。

ベートーベンPfソナタ「悲愴」、タケミツ「Les yeux clos」、シューマンPfソナタ第2番、ラフマニノフ「Etudes-tableaux」Op.39。

ベートーベンは最初の一音でびっくり-とにかく音が大きい。そんなに力いっぱい弾いているわけでもないのに。ウィグモアでこの大音量を聴くのは、セルジオ・ティエンポ以来?タヤマ特有のアーティキュレーション-少々自然さを欠いているような印象を受けたのは残念。また、有名な第2楽章、ここはもう少し控えめな音で弾いて欲しかった。第3楽章は、聴いているうちに、是非シューベルトのD960を弾いて欲しい、と感じた。後から聞いたところ、D960はレパートリーらしい。納得。

タケミツ-題名がフランス語だからか、少しフランス的な響きに思えた。実際この曲は、タケミツのメンターであった瀧口修造へのオマージュとしてオディロン・ルドンの同名の絵画(タケミツが観たのはシカゴ美術館のリトグラフ、油絵はオルセー美術館)にインスピレーションを得て作曲されたらしい。

後半が彼の見せ場だったのだろう。この大音量と素晴らしいフィンガーワークは、まさにラフマニノフ向き。ラフマニノフはそれほど聴き込んでいるわけではないので、詳細なコメントはできないが、明らかに前半よりタヤマに向いている、と感じることは出来た。そこで、ラフマニノフ好きの友人のためにCDを購入した。彼の感想を是非聴いてみたい。

さて、アンコール。絶対「鐘」だろうな、と思っていたら、本当にその通りだったので、最初の音を聴いて思わず笑ってしまった。まあ、日本大使館が後援して、これだけ多くの日本人が聴きに来ているのだから当然、といえば当然なのだろうか。こういう心遣いが大切なのよね。見習わなくては!


命を削るかのようなシューベルト-イアン・ボストリッジ@ウィグモアホール、ロンドン

2010-05-29 21:30:00 | コンサート

コペンハーゲンから戻り、休む暇もなく(って遊んでいるだけだけれど)ウィグモアホールへ向かった。

今日はイアン・ボストリッジ&アントニオ・パパーノでAll Schubert program。

Widerschein, Der Einterabend, Die Sterne, Schewanengesangで、昨年EMIから出されたCDと同じ。

歌曲は正直、時々眠くなることもあるから、少々強行旅行のすぐ後、とても心配だった。しかし、CDよりさらに感情移入したようなボストリッジに、眠くなるどころではなかった。

朗々と歌う歌唱法は、本来のドイツリートとは違うのかもしれないけれど、純粋に美しいものを聴いている感じがして好きだ(ドイツ語が分からないので、彼の発音が上手いのか下手なのか評価できず)。また、特にAufenthalt、Der Atlasといった曲は、激しい歌いっぷりに、彼は殆どその命を削って歌っているのではないかと、心配にすらなった。

パパーノの伴奏-CDより弾けていないように思うのは、気のせいだろうか。Abschiedのスタッカートとか、もう少し軽快に弾いて欲しいのだけれど。パパーノは指揮者としては凄いと思うが、ボストリッジのピアノパートナーとしてはドレイクのほうが好きかも。ドレイクはボストリッチを支えるお兄さん、という感じだが、パパーノは背が低いこともあって、最後ボストリッジに殆ど抱えられ、会場の笑いを誘っていた。

月曜日も同じプログラムだけれど聴きに行ってしまう私。でも、これ以上ボストリッジの命削りに加担してはいけないような気も。。。


気候が文化を創る?-コペンハーゲン国立美術館@コペンハーゲン、デンマーク

2010-05-29 18:00:00 | ヨーロッパ

イェーテボリからの帰途のコペンハーゲン、国立美術館に立ち寄った。

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とても立派な建物。庭も綺麗。ライラックなのだろうか、薄紫~紫色の花が美しい。

常設展は無料。良心的だ。デンマークの画家を中心とした部屋の絵画は、はっきり言って-暗い。死をテーマとした絵画が本当に多い。デンマークの画家の部屋には、ノルウェーの有名な画家、ムンクの作品も飾られていた-ムンクも負けずに暗いが。

やはりこの気候が、こうした暗い絵やテーマを選ばせるのだろうか。スペインやイタリア、南仏では、こんな色やテーマは想像もできないだろう。だいたい、こんな色は生活の中に存在しないように思う。

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その他の画家では、マチスの作品が比較的多くあった。また、ピカソ、ブラックの作品など。ブラックのメロンの静物画が良かった。油絵のようだが、ちょっとパステル&水彩画のようでもあった。

作品数は多くないが、普段あまり見ることのないデンマークの画家の作品が多く、デンマーク理解の一助になるのではないかと思われる。

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さて、美術館の後は歩いて市街地へ(とても近い)。これでもか!といわんばかりにペストリーを購入した。代々木八幡の「イェンセン」には敵わないけれど、ロンドンのデニッシュよりは美味しいので、ここ暫くの食料になってくれることだろう。


He is changing - ドゥダメル第二夜@イェーテボリ、スウェーデン

2010-05-28 20:00:00 | Gustavo Dudamel

2夜連続でドゥダメル指揮、イェーテボリ交響楽団、同合唱団でモーツァルトのミサ・ハ短調を聴いた。

今日は、ソプラノのIda Falk Winlandが良かった。出てきたときから、なんだか自信に満ちた顔をしていた。昨日と変わらない張りのある声に加え、今日はきっちり最高音も出ていた。対してMiah Perssonは少し疲れていたようにも思われたが、Et incarnatus est は素敵だった(この曲は本当に好きだ)。歌手というのはデリケートな職業だとつくづく思う。毎日をBest conditionにするのは至難の業だろう。

あることが気になって、帰りがけにGustavoの楽屋に立ち寄ってみたところ「He is changing」といわれ、会うことが出来なかった。今までは、どんなに大きなコンサートの後でも、ファンが待っていたら時間を割いてくれていたのだけれど。。。?

He is changing-「変わること」は難しいと実感することが多いが、「変わらないこと」も同様に難しいのだろう。

Gustavo自身はこれからもいろいろな意味で変わってゆくのだろうが、彼の創り出す音楽を素晴らしいと思える間は、こうして演奏会に足を運ぶことだろう-とは言うものの、少し複雑な気持ちで演奏会場を後にした第二夜であった。


どこでもフランス@イェーテボリ、スウェーデン

2010-05-28 15:05:00 | カフェ

今回宿泊した、Elite Plaza Hotel-朝食付きなのだが、今朝は寝坊して食べられず。というのも、なぜかiPodの時計が夏時間になっておらず、のんびりとシャワーを浴び、身支度を整えて、ふとコンピュータの時計を確認したら-10時過ぎ!朝食は10時まで-とりあえず階下へ行ってみるけれど-レストランは既に入り口に鍵が掛かっている。

このホテル、今回が2度目の宿泊だが、前回は出発時間が早く、今日は寝坊、明朝も出発時間が早く、結局一度も朝食を試すことが出来ないらしい。

流石にカフェインが必要!と、スタバを探しに出かける。小さな街だから、それほど歩かずともすぐ見つかるだろう、と思ったのが甘かった。目に付くのはマクドナルドばかり。仕方がないのでBlackBerryでぐぐってみると-どうやら、この街にスタバはないらしい。それどころか、スタバのスウェーデン第一号店は2009年に漸くストックホルムの空港に出来上がったばかりとか。ショック。

イェーテボリの朝10~12時は、目ぼしいお店はどこも営業していないようだ。あー、このままではカフェイン不足で倒れる、とその時、通りを少し入ったところで、女性2人がお茶をしているところが窓越しに見える。

これだ!

行ってみると、”Le Pain Francais”。店内の雰囲気も悪くない。とりあえずカフェオレを-喉が渇いていたので大きなサイズで注文。

折角なので、何か食べてみよう、とショーソンオーポンム(品名もフランス語で出ていたので苦労せず済んだ-スウェーデン語は全く分からない私)を注文。

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相当大きかったが、甘さ抑え目、紅玉系の林檎の酸味で、あっさりお腹に収まってしまった。パイ生地も鼻腔に抜ける香りが悪くなく、また食してみたい-今度食べるときには蜂蜜を掛けよう。

カフェが見つかると、何かと便利だ。これで来シーズンGustavoを聴きに来るのに不自由が一つ減った。

何処へ行っても日本食を食べたい人が居るように、私の場合、何処へ行ってもフランスの香りが欠かせない。


ドゥダメル-モーツァルトC-minorミサ@イェーテボリ、スウェーデン

2010-05-28 01:30:00 | Gustavo Dudamel

ドゥダメルがモーツァルトC-minorミサ曲を振るというので、三度目のイェーテボリ参りをした。

この曲はモーツァルトが父親にコンスタンツェとの結婚の承諾を得るため、彼女のソプラノの技量を見せようと作曲された、といわれているが、コンスタンツェの技量ではこの曲は歌えなかったらしい。いや、歌えたら、相当上手いということになるだろう。魔笛の「夜の女王」もそうだけれど、モーツァルトの歌曲って、ソプラノ難しくないですか?

ま、結婚相手なんて歌の技量で決めるものじゃない、ってモーツアルトは父親を説得すべきだろう、とは思うけれど、そのおかげでこの曲が残ったから良しとすべきか(どうせなら完成させて欲しかったけれど-何度聴いても、曲が終わっていない感じがして気持ち悪いのだ)。

聴く曲は歌えるほど聴くが、聴かない曲は全く聴かない私。モーツアルトの歌付きの曲では、レクイエムを聴くことが圧倒的に多く、このC-minorを聴くことは殆どない。そんなまっさらな状態だからか、バッハやヘンデルの曲が自然に頭に浮かんでくる。天才モーツァルトも先人に学んだ、という証拠なのだろう。

さて、ソリストは下記の通り。この曲、ソプラノ2人の活躍の場は多いが、テノールやバス、特にバスは殆ど出番がない。

Miah Persson, sopran

Ida Falk Winland, sopran

Toby Spence, tenor

Markus Schwartz, bas

ソプラノMiah Perssonはなかなかの技巧派とみた。声を転がしたりするのも上手いし、巻き舌も綺麗。Ida Falk Windlandは、声に少しメゾソプラノのような迫力がある。残念ながら最高音がいまひとつ出切らなかったのと、声を転がすのが得意ではないようではあったが。

テノールのToby Spenceは、とても神経質なのか、自分の出番が来るまで、不安げに聴衆を眺めたり(不安なのなら、そんなに一人一人を見つめなくても良いのに。。。)、Gustavoに問いかけるような視線を投げたり、落ち着かなかった。しかし、まあまあ上手く歌った(特にSanctusの部分は良かった)。Markus Schwartzは、あまりに出番が少なすぎて。。。でも、バスとは思えない声質だった(彼はバリトンなのかと思った)。

全体的に、なかなか良い出来だったとは思うけれど、聴衆も含め、早く「地域のコーラスグループ(&オーケストラ)」から脱却して欲しい-コーラスの演奏が終わったところで拍手した人!!ま、ロンドンくんだり(のんぼり?)から、この演奏を聴きに来ている方が余程物好きなのだろうが。

前から3列目は、「聴く」には前過ぎるかもしれないけれど、歌手のエネルギーが伝わってくるし、Gustavoの動きをきちんと目に収めることができて楽しかった。コーラスに指示をしていたときの手の震えが今も目に焼きついている。

明日の演奏も楽しみである(ちなみに前から2列目-そこしか残っていなかったので)。


イェーテボリ、三度@イェーテボリ、スウェーデン

2010-05-27 23:00:00 | ヨーロッパ

イェーテボリ、三度。今回はGustavoがモーツァルトのC-minorミサを振るので。

コペンハーゲンから3時間半電車に揺られてイェーテボリに。夕方近くになって、お天気がとても良くなってきた。

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宿泊しているホテル近くの教会。街は丁度新緑が出揃い、美しい季節である。

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夕方のイェーテボリ-と言っても、既に21時を過ぎている。北欧の初夏は本当に日が長い。

面白いことに、この街の「流行」(?)は水兵服姿で街に繰り出すことらしい。彼らは昔の日本の暴走族よろしく、改造車やちょっと高級系の車に乗って街を走り抜け、バーに屯している。

最初はGustavoがこの街のオーケストラの主席指揮者をしている、という以外、何の興味もなかったイェーテボリだが、なぜこの小さな街が非常に高い文化水準を保っているのか、とても不思議になってきた。

2010-2011はGustavoがマラ6やブラ1(この日は先日Wigmore Hallで気に入ったクラリネット奏者Martin Frostとの競演もあり)を振るので、また戻ってくるに違いない。折角だから、街の歴史、文化史をちょっと紐解いてみようか、などと思う今日この頃である。


デニッシュ食べ比べ in コペンハーゲン@コペンハーゲン

2010-05-27 18:00:00 | ヨーロッパ

さて、無事コペンハーゲン市内に到着。「デニッシュを食べるぞ!」と思うも、時差ぼけに加え3時間睡眠で朝4時起き&フライトの疲れで、街歩きを始めるも、Hotel D'Angleterre(コペンハーゲンの5つ星ホテル)が目に入るや、ここで一休みを決定(相変わらず意志の弱い私)。

折角だから、と「何かデニッシュペストリーは食べられないかしら」とお願いをする。

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すると、デニッシュ(Spandauer)とクロワッサンが。

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その上、プチフールまで。これがまた美味しい!

朝から少々食べ過ぎのため、市内でのデニッシュはすべてお持ち帰りに。

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上の写真は、Frederiksberggade(目抜き通り-チボリ公園に程近い)沿いのLagkagehuset(http://www.lagkagehuset.dk/)。ここでもSpandauerを購入。

もう一件はトリアノン(http://www.trianon.dk/default.aspx)。ここは目抜き通りを少し脇に入るが、店の前に掲げられた看板がデニッシュペストリーの存在を報せてくれる。

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お腹いっぱい、だったはずが電車に乗り込むと程なくしてお腹がすいてくる。そこで2つのお店のペストリーを食べ比べ。

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左がトリアノン。見た目はLagkagehusetのほう(左)が良いが、食べたとき、鼻腔に抜ける香りはトリアノンに軍配が上がるか。本当はその場で食べないと、油が酸化して、味が落ちてしまうのである。。。

私をデニッシュペストリーの世界にいざなった、代々木八幡の「イェンセン」が懐かしい。一時期、ここへ寄るために30分早起きして毎日通った。「本場以上に美味しいものが食べられる東京」の一つの具体例である。


メトロ(空港-市街地) in コペンハーゲン@コペンハーゲン

2010-05-27 16:00:00 | ヨーロッパ

Gustavoのコンサートのためにイェーテボリへ向かう。ロンドンからイェーテボリへはSASが直行便を飛ばしているけれど、直前予約はあまりに高いことに気がついて、BAでコペンハーゲンへ飛び、コペンハーゲンからイェーテボリへ電車で向かうことにした。

コペンハーゲンを選んだ理由は、勿論その安さ(なぜかオスロやストックホルムへの便に比べて格安だった)のほかに、「デニッシュ」の故郷、コペンハーゲンでデニッシュ食べ比べをしてみたかったからである。

さて、コペンハーゲン空港。以前、ここでトランジットをした記憶があるが、相変わらず、コンパクトで、清潔感のある空港である。流石、北欧に近いだけあって、空港の内部にも木がふんだんに使われて、ちょっと北欧デザイン風である。

コペンハーゲンの空港は、市街地から比較的近い。地下鉄(メトロ)で15分。そこで、電車の時間まで3時間を、市街地で過ごすことに。地下鉄のチケットはメトロの入り口で購入できる。係員がいて、チケットの購入を助けてくれる。カードで購入可能だが、注意点はPINコードはカードを一旦挿入して引き抜いた後に入力するところ。

チケットは1時間有効。市街地(Kongens Nytorv-発音不明)まではZone 3とのこと。1日券などもあるようだが往復するだけなので単独チケットを購入。無人運転で、便も比較的頻繁にある(写真はメトロ内部)。

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30分もあれば空港まで戻れる-ま、でも念のため少し早めに空港に戻ろう、と駅へ戻ると、なんと誰かが電車のドアを開けたとかで、安全確認のため電車がストップしているという。10分程度で発車できるというが-微妙だ。

係員の方に伺って、別ルートも検討するが、結局空港行きのメトロが比較的スムーズに来たので当初の予定通り、メトロに乗り込み、無事電車に間に合った-コペンハーゲンも、北欧と同じく皆英語が達者だ。駅の係員の方の英語はとても綺麗だった。ロンドンに住んでも少しも英語が上手くならない私は深く反省した。