「きっかけ(CUE)」

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2014年01月08日 | 自動車・automobile



フェアレディZ(フェアレディゼット FAIRLADY Z )は日産自動車が製造するスポーツカーである

日本における通称は「Z」いずれのモデルも「フェアレディ」を冠すのは日本国内のみで
輸出向けは「DATSUN」または「NISSAN」と社名を付して呼称される
現行モデルは北米市場を含め日本国外では「NISSAN 370Z」として販売されている
アメリカ合衆国での愛称は「Z-car」(ズィーカー)など

 

1969年に先代モデルであるオープンボディのダットサン・フェアレディに代わって発売
ヨーロッパ製の高級GTに匹敵するスペックと魅力あるスタイルを兼ね備えながら
格段に廉価であったことで北米市場を中心に大ヒットした 日産のイメージリーダーカーとして
足掛け10年もの長期に渡って生産され世界総販売台数55万台(うち日本国内販売8万台)という
当時のスポーツカーとしては空前の記録を樹立「ダッツン・ズィー」の愛称で親しまれ
日産自動車の輸出モデルの総称でもある「DATSUN」の名を世界に知らしめた日産の記念碑的車両である

このモデルの開発・販売を企画したのは1960年代当時 米国日産の社長であった片山豊
彼はダットサンの北米市場拡販のために強力なイメージリーダーとなるモデルを求めており
アメリカ市場でのニーズに適合した新しいスポーツカーの開発を要望し
当時の日産社長だった川又克二からようやく開発のゴーサインを得た

 

片山は技術者ではなかったが、アメリカ市場のニーズを見据えて日産本社の開発陣に
明確なコンセプトと適切なアドバイスを与え、初代「Z」のプロデュースを主導
「Z」のスペックは高度なもので軽量なモノコックボディに 前後輪ともストラット式サスペンションによる四輪独立懸架を備え
市場で先行するジャガー・Eタイプやポルシェ・911などに肉薄した

日本国内における当時の新車販売価格が廉価版の「Z」が84万円
「Z-L」が105万円とスポーツカーとしては比較的安価であったことで爆発的にヒット
「432」は182万円 後に追加された「240ZG」は150万円とそれなりに高価であった

 

先日床屋に寄ってドンキに買物行く途中少しチャリンコで遠回り…一眼持っていつものカメラ散歩ってところでした
するとある月極駐車場に初代Zが!写真でもお分かりでしょうけどもナンバーこそ取得したままですが
タイヤは完全にパンク ボディも色褪せ完全な廃車状態でしたね フロント面が少し寂しげに見えます

バブルを過ぎ 消費税・軽自動車税アップを控えこうしたロングノーズ+ショートデッキで
空間効率悪いスポーツカーは存在がすっかり薄くなりました
まして登録後11年以上経過した車両の税率も上がるのでしょう→益々居場所がなくなりますね

でも幼い頃からの車好きとしては街中が全て似たようなモデルで画一化されるのは寂しい限り
昔のロシアとか東ドイツみたいに色気のないセダンばかりじゃ夢がありません
現在の日本もハイブリッドなプリウスかアクア 軽なら空間効率高いホンダのNシリーズ?
ボディカラーは増えたけどさっ やはり実用ばかり追い求めず拘りも忘れてほしくないわけですよ

と言いますのも 近所のバイク店オーナーが初代プレリュードを現役で所有したり
行き着けなスーパー目の前のパーキングに35年は前のマークⅡクーペが停まってるのです
特にマークⅡは街中走行してるのをちょくちょく見かけますね
先日チラッと覗いてみたら内外装ともアメリカンな感じに仕立ててありました
コブラのシートに交換し アルミも決めてマスタング風…さり気ない悪っぽさがイケてましたね(^^

確かにビンテージな域まで達した車維持するのは並大抵のことではないでしょう
でもなんとか このZレストアしてオーナーさんがもう一度息吹き吹きこんでくれることを強く望みます
それも叶わないならしっかりと動体保存くれる第三者に引き渡すとか
海岸部でないのでこれ以上ボディが腐食しないうちになんとか手を打ってほしいな

 



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