墨汁日記

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平成マシンガンズを読んで 170

2006-12-04 19:52:38 | 

「分かるとはなんだろうか?
 分かる事の根本は、分ける事である。

 コレは、全ての動物が採用している方法だ。
 動物は、『これは食べられる。あれは食べられない』『あいつは敵だから逃げなきゃ危険、こいつは無視しても大丈夫』『こいつは同類のメスだから交尾したい。あいつは同類だけど同じオスだから縄張りから追い出してしまえ』などなど状況にあわせて行動する。
 これは、動物が『コレは食べられる・アレは食べられない』『あいつは捕食者・こいつはただの通りすがり』『彼女は同類のメス・彼は同類のオス』なんてふうに分けているからだ。
 ただ、動物は言語を持たないので、目の前に状況がないと分けられないと想像される。

 人間という動物は、知識を共有する為に『言語』を利用する方法を覚えた。これによって目の前に状況がなくても、分ける方法をシュミレーションできるようになった。
 分け方を知る事を、日本語では『分かる』と言う。

 言葉は単語に分けられる。
 単語は記号であり、記号に意味はない。
 記号に意味を与えるのは、その記号は、その状況において、『その意味』だけをあらわすのだという共同体内での約束だけである。

 状況や文脈の中において、ある意味だけを、ただ1つのみ指し示しめせる事ができる『単語』だけが、誰もが理解する『意味』を獲得する。
 そうでないと、『単語の意味』を人間は正確に理解したり共有する事はできない。ソレが言語の限界である。

 意味が多数発生してしまう『単語』の意味は共有できているつもりでも本当はできていない。なんとなく『言葉の持つイメージ』だけを共有しているだけだ。

 イメージとは何か。
 実態のない面影である。
 カレーのニオイと聞いて、なんとなくこんなかんじかなぁってかんじがイメージだ。

 イメージは本来、個に属する物で、群れに属する物ではない。
 違う個体同士でのイメージの正確な共有は『言語』と言う方式ではほぼ不可能である。

 正確な意味を与えられていない、なんとなくイメージだけの『単語の意味』を正確に共有する事は不可能である。

 正確な意味を持たない『単語』は多い。
 イメージを想起させるだけの『単語』に正確な意味はない。

 そして、『個性』という単語も正確な意味を持たない。

 正確な意味を持たない『単語』で話し合っても、その人なりの理解しか得られない。その人なりの理解の仕方が、共同体内の他の人の理解の仕方とあまりに食い違っていると、その理解は誤解だという評価を得る。だがそもそも、言葉の意味を共有しないまんま議論していてちゃんとした結論はでるのだろうか? 正確な意味を持たない単語を利用して、互いに意味を勘違いしながら議論すのは無意味かもしれない」