「偽物が存在しないモノを『本物』と言うのは間違いだ。言葉のルールに違反していると俺は思う。
ルールブックこそないけど人間は言葉遣いのルールを共有している。普通に話せている人間なら言葉のルールを無意識に知っているはずだ。
素直に普通に考えりゃ言葉遣いのルールは誰でも分かるものだ。
ルールを違反した言い回しは、『意味』を共有する事はできない。
言語とは、音声や文字という記号で、現実にあるモノやコトを切り分け区別する『道具』だ。この単語の意味はこの意味と分ける事により人間は意味を共有できる。意味を共有している共同体には必ず意味を共有する為のルールが存在する。
ルールを無視した言葉遣いは、サッカーボールを手にもってゴールするみたいなもんで、なにがしたいのか意味が分からない。
だが、ルールは破られるのが宿命みたいなもんで、ルール違反は多い。
そして、ルールを違反した言葉遣いはいつの間にか根付く。みんなが言ってんだからそういうルールもありじゃんみたいなかんじだ。
本当は、赤が止まれ。黄色が注意。青が進め。というルールだったとする。
なのに、その世界の誰もが、赤は止まれ。黄色は急いで進め。青は進め。と認識している世界なら、その世界のルールに従った方が安全だ。
これは単なるルールの改変で、ルールが変わったなら、変わったルールに従えば良い。
だが、変わった新しいルールでも赤で進むのはルール違反だ。
赤信号を無視して車にひかれたなら『ワケわからん』と他人から思われるだろう。
ルールは共有している事に意味がある。共有されてないルールに意味はない。
だが、ルールには隙間がある。
何もかもルールでがんじがらめにするのは不可能だ。
例えば、信号の黄色から赤に変わる一瞬は何を意味しているのだろう。
赤が点灯する直前ならギリギリセーフだろうか。
あるいは、黄色が消えたとたんに止まらなければいけないのか?
そんな問いに答えは無い。
そんなとこまでは、たぶん交通ルールでは決まってないはずだ。
黄色から赤に変わる一瞬の間はルールの無法地帯。ルールは存在しない。
ルールは信号の色の区別しかしていない。
信号の色のない一瞬にルールは無い。
ところで。
言語は信号なんかよりもっと複雑なルールで出来ているくせに、ちゃんとしたルールブックを持たない。
言語のルールには、ルールの及ばない隙間は多く、その隙間につけこんだ言い回しは多いんだが、ルールを共有していない言い回しに意味は無い。信号の変わる一瞬と同じだ。
黄色で横断歩道を渡っていて赤に変わったらあんたならどうする?」
「急いで渡りきる!」
「たぶんあんたじゃない他の誰に聞いても似たような事を言うだろう。
そうするルールはあるんだかないんだか知らないけど、たぶんみんなこうするはずだというイメージ。
実は、言語にもそういうイメージだけの単語は多い。
誰もが共有できる意味はないけど、なんとなくみんなこんなふうに思っているはずというイメージだけの単語。
そんな単語に意味なんかない。あるのはイメージだけで、イメージしかない単語に意味を問い求めるのは無意味だ」