「話がずれてきたけど、『本当の愛』は間違ってるという話だったな」
「で、結局まちがってんの?」
「間違っている事を証明したくてこうやって話してきたんだ。なんとか頑張って間違いを証明しよう。
まず『本当』を語るなら『偽物』がないといけない。偽物もないのに本物だけがあるなんて明らかにおかしいだろ?」
「それはね」
「『偽物』が存在する事を『本物』が存在する事の第1の前提とする。すると、本物も偽物も存在しないモノに『本物』はないとなる。
そうなると、この世に1つしかないモノには本物も偽物もない。
1つしかないんだから偽物と本物に区別する事は不可能だ。これによって、この世に1つしかない地球や自分に『本当』は無いとなる。
『本当の地球』や『本当の自分』という言い方は誤りである」
「『本当の自分』は言葉の誤用から生まれた勘違いかもしれないって事だね」
「次に、人の感覚や気持ちに偽物はあるか?
これは本人以外は誰にも証明出来ない。
偽を証明しようにも、どうやっても証明できないなら、偽なんかないのと同じだ。
確かに本人なら嘘はつける。
だが他人の痛さや楽しさは、本人の自己申告であり認めるしかない。
他人の感覚や気持ちなどの嘘をある程度は見抜く事ができる。だが、完璧ウソだとは証明できない。もし、他人の嘘が証明できると考える人間がいるなら、その人間は人格に障害でも負っているんじゃないかな?
この事から、他人の痛さに対して『本当の痛さ』などと言うのは無意味だとなる」
「まぁね、へ理屈だけど」
「この考証から、偽を証明できないモノの『本当』を語るのも無意味であるという第2の前提を導く。
その前提を下敷きに考える。すると、『本当のブス』ならなんとなく意味が通じるのに、『偽物のブス』って何の事なのかが全く分からない。
ブスの偽物だから少なくてもブスそのものであるはずはない。てかブスじゃないからブス呼ばわりできなくて『偽のブス』なんだよな。それってどんな状態なんだ?
そんなワケ分かんないもんについて考えても時間の無駄だ。無意味である。
よって、偽が証明できない『本当のブス』も間違った表現だと考えられる。さらに俺は『ブス』じたいも単なる気のせいだろうと思っているが」
「うーん」
「『本当』について熟慮してきた。
そして、最後の難関である『本当の愛』を陥落させようと思う。
だけど、これが難しいんだ」
「むずいの?」
「だって、愛って人それぞれじゃん。
なら人の数だけ愛はある。
すると愛は無数にあるってことで1つではない。
そして、『愛してる』なら気持ちなんだけど、『愛』は概念だ。
感覚や気持ちなら他人の事は証明できないからと逃げられるけど、概念だとそうもいかない。
次に『本当の愛』の反対である『偽の愛』という言葉を言ってみる」
「にせのあい、か。
まぁ、『偽の愛』は十分にありそう。『偽のブス』なんかより普通にありそうだよ!」
「ありそうだろ? ありそうだから困ってんだよ」
「なんだよ死神らしくないじゃん。得意のへ理屈でチャチャチャッと『本当の愛』ぐらい否定しちまいなよ!」
「それがけっこう難攻不落なのだ。まさに『本当の愛』は鉄壁の要塞だ。
かんじスゲー嘘くさいのに、なかなか嘘を見破れない」
「だめじゃん。頑張れよ!」
「うん、やってみる」
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