「なのに、人間は簡単に『本当』と言う。
それは、自分の言葉に嘘はないと強調したいが為だ。
『本当においしい!』
『本当にありがとうございました!』
『本当に愛してる!』
『マジだりぃ!』
『マジ パネェぐらい心友!』
『本当に傷ついた!』
『本当に悲しんでいる!』
『マジ切れてんだよ!』
『マジうぜぇ!』
どれも、自分の言葉に偽りがない事を強調したいが為だけに『本当』を語っている。
だいたい、俺がわざわざ言わなくても、自分の痛さや気持ちは自分以外には分かるはずがないと誰でも知っているはず。自分の気持ちなんて『言ったもん勝ち』だ。
時々、俺の本当の気持ちが誰に分かろうかとスネる馬鹿がいるが、分かるわきゃねぇんだよ、人間にゃ他人の気持ちなんか分からない。分かったら『サトリ』の化け物だ。そんなに自分の薄汚い本性をさらけだしたいのか?
テレビでドラマなんか観てると、ベットの上に横たわる女優が『私のこと本当に好き?』なんて相手に聞いているが、こんなのを観る度に、あぁこの女は救いようもない馬鹿だなと感心する。他人の気持ちに『本当』を強要しているのだ。ありえねぇ馬鹿だよ。そもそもが自己申告の他人の気持ちに『本当』を問うても、相手が真性の嘘つきなら意味はない。テレビに出てくる女には嘘でもいいから好きと言ってなんて言う馬鹿もいるから、もう本当に救いようもない」
「本当に痛いのか?
痛いと言うのは嘘じゃなかろうか?
そう思っても、こういう事は本人以外には、誰にも本当も嘘も分からない。
他人の痛さが本当か嘘かは分けられないんだよ。
本人が痛いと言うなら、痛いんだなと認めるしかない。
他人の痛さは否定できない。嘘だと証明できない。
だが、痛いとか痒いならまだいい。人の気持ちはもっと複雑だ。
好き。
嫌い。
だるい。
さびしい。
悲しい。
楽しい。
愛してる。
嬉しい。
虚しい。
かったるい。
うざい。
こういう気持ちを他人が語った時に否定できるだろうか?
まず無理だ。
本人がそう言うならそうなんだろうなと思うしかない。
痛さと同じで、人の気持ちも自己申告。本人の言う言葉を嘘だと証明する方法はない。
他人の気持ちは、嘘や本当に分けられない。分ける方法がない。
分けられないから嘘か本当か分からない。
だから、他人の気持ちに真偽はない。
で、結論。
『痛い』や『好き』などの、他人の感覚や気持ちに対して『本当』を語るのは無意味だ。
そもそも、嘘とも本当とも分からない。
偽物とも本物とも証明できない」