「あのさ、死神は人間を憎んでいるの?」
「いじめは自分が誰かより優れているはずだという勘違いから生まれる。いじめっ子は特別な人間ではない。
分かるという事は分ける事。コレとコレは違う。燃えるゴミは火曜日に出す。あるいは、この記号とその記号の意味は違う。この音符とあの音符は音が違う。などなど、物事を理解する為にはきちんと分けなくてはならないし、分けなきゃ分からない」
「質問に答えてないよ」
「待て。順を追って答える。
そして、人は対人関係においても分けるという方法で他人を理解する。そういう理解の仕方でしか他人を人間は理解できない。
他人を分ける時には、共同体の中での自分の立ち位置が最も重要となる。自分が共同体でどういう位置にいるかが全ての基準となるのだ。共同体に属する人間は自分の立ち位置を基準として、他人を分ける。
共同体での立ち位置は、男とか女とかの性別、学歴、人望、仕事ができるできないとか、共同体に何年も属しているなどとかで変わる。
共同体での地位など普遍的な絶対基準であるわけないが、その共同体内では絶対の基準となる。
分けなきゃ分からない。
ここに誤解のワナがある。
分けたから分かったような気になる。
ところが、その分け方が間違いであったならどうしよう?
だが、人間はきれいに分けられてると分かったような気がしてしまう生物なのだ。分け方そのものが正しくなくても、分類が成されてると分かったような気がしてしまうのだ。
だから、人間は誰かが誰かより偉いなんて事はあり得ないかもしれないのに平気で他人を自分より下の人間だと位置づける。
自分より下のランクに見える他人は、共同体内で下位に属しているだけの人間にすぎない。共同体のみんながその人間を劣っていると暗黙に決めつけているから、自分もそれに乗っかって自分の地位に満足しているだけで、本当に劣っているかどうかは問題となりにくい。
ブスや馬鹿。
ニートに身体障害者。
路上生活者に狂信者。
分けられるなら簡単に自分と違うと分け、自分より劣っていると決めつける。何がどれだけ違うのか。少なくとも同じ人間だ。
最後に質問に答えるなら、俺は人間は嫌いだ。俺も含めて人間は全て救いようもない馬鹿だと思う。だからこそ死が救いとなる。だから人間でありながら死神となった」
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