「手術室で手術中の医師が『メス!』と言ったなら100人中100人の看護婦は『患部を切り裂くメス』を医師に手渡すはずだ。猫のメスを手渡したり、顔を赤らめそっと医師の手を握り『私もメスです』なんて言う看護婦はまずいない。
建設現場で『ネコ持って来い!』と言われたら、誰でも一輪車の『ネコ車』を持ってくる。裏の河原で昼寝していた『猫』を持ってくる馬鹿はそうそういない。
何故、こういう事が可能なのか?
それは、その状況でその言葉を言われたなら、ある1つの意味しか持ちようがないと『意味の共有』がしっかり出来ているからだ。
そして、それが正しい言葉遣いでもある。
単語1つ1つは、けっこういろんな意味を指し示せるが、この状況だったらこの意味以外は絶対にあり得ないと、たった1つの意味だけを指し示せる事が、誰でも意味を理解できる条件だ。
話される時の状況や、文脈によって、たった1つだけの意味を示せる事。その条件が満たされていないと単語の意味は正確に他人に伝えられない。日本語なら日本語という同じ言語で話している誰でもが、同じただ1つの意味だけで単語を理解する。単語には1つしか意味の持ちようがない状態。それが、本当に誰でも正しく理解できる言葉遣いだと言える」
「いくつもの概念を含む単語はあるでしょ。
そういうのは伝わらないと言う事?」
「まぁ、即座には伝わらないよな。眠くなるし。
でも、文脈が正しくて、国語辞典に載っている意味を逸脱していないなら、聞き手が努力すれば理解できる可能性はある。
しかし、世の中には指し示す『意味』が崩壊している単語もある。いま話題にしている『個性』のようにね。なんとなくこんな感じってイメージだけは共有されているが、『意味』はとっくに崩壊している。こういう言葉はけっこう多い」