墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

平成マシンガンズを読んで 181

2006-12-12 19:30:08 | 

「『本当の自分』という言葉は、『本当』と『自分』が、『の』という接続詞でつながっている。
 まず、『の』とはなんだろうか? 簡単に言うなら『の中の』という意味を示すのが『の』の役割だ。
 だから、『の』でつながる時は順序が重要になる。まず大きい概念があってソレが必ず前に来る。そして、大きい概念に含まれる小さなモノは必ずその後ろに来る。
 例えば、『ノミの心臓』ならばノミの体の中にある心臓を意味する。『心臓のノミ』なら、心臓の中にいるノミの意味だ。
 『家の外』なら、本来は『外』の方がでかいけど、『家の中の外』という意味だ。『外の家』なら、『外の中にある家』だよな。
 『死神のウチヤマ』と名のるなら、『死神の中のウチヤマ』って意味だ。他にも『死神』はいるかもと匂わせている。『ウチヤマの死神』なら『ウチヤマの中にいる死神』という意味だな。
 『庭の掃除』とか『ピアノの練習』や『セックスの相手』なんかになると、『の中の』という意味だけじゃうまく説明しきれないけど、それにしたって『含む事が出来る大きなモノ』が必ず前に来る。その証拠に語順を引っくり返すと意味が不明瞭になる。『掃除の庭』『練習のピアノ』『相手のセックス』。
 ま、そんな言い方でもなんとなくは通じるけどね」

「じゃあ、『本当の自分』の意味は『本当の中の自分』ってこと?」

「ようするに、無意識的に『本当』を大きなグループだと捉えているから、『本当の自分』と言うはずなのだ。
 まるっきり間違った言葉遣いは、シャレじゃないかぎり世間は認めない。
 世間は『本当』を何かを含む事が出来る大きな概念だと認識している。グループだと認めているのだ」

「グループ?」

「うん、世間の人は『本当』をグループだと認識しているからこそ、『本当の自分』なんて言い方を認める。
 だから、例えば『自分』というモノの中に含まれるはずのないモノは『の』でつながらない。もし、『自分のあなた』と言うなら、『あなた』は『自分』の奴隷同然の人間のことだろう。
 また、普通は『自分の走る』や『自分の歩いた』とかなんて言わないよな。これは日本人がすでに過ぎ去った過去の自分の行為や、未来の自分の行為までは『自分』のものではないと認めている証拠かもしれない。
 では、『本当』ってどういうグループだろう? 『本当』は、常に対立するグループと分けて認識されている。本当って言葉と反対の意味を持つ言葉との対比で、グループとして区別される。
 本当の反対の意味は『偽物』だ。
 仮に、偽の自分が存在したなら、そいつを『偽物の自分』と言うだろう。ソレは正しい。
 でも、偽物の存在もないのに『本当の自分』と言うなら、『本当でない自分』の存在はどこにあるのだろうか?
 まさか、今の自分が本物じゃないとでも言うつもりだろうか?
 本物も偽物も、自分は1人しかいないのに」