「でも、本当に自分は1人だって言い切れるの?
多重人格の人は?」
「素直な感性に従うなら、多重人格は『自分』の分裂だ。1つしかない『自分』がひび割れて別れちまったみたいなかんじだ。心のアカギレみたいなもんだ。
ただ、俺は経験がないんで本当のとこは分かんないけどね」
「でも、本当に自分は1人だって言い切れるの?
多重人格の人は?」
「素直な感性に従うなら、多重人格は『自分』の分裂だ。1つしかない『自分』がひび割れて別れちまったみたいなかんじだ。心のアカギレみたいなもんだ。
ただ、俺は経験がないんで本当のとこは分かんないけどね」
「整理しよう。『本物』と『偽物』は一対のグループだ。偽物が存在しないのに本物を語るのはルール違反で間違った言葉遣いだ。
その関係は、『真・偽』『本当・嘘』などでも一緒だ。
なぜ、『真剣』なんて言葉があるのか。
この世に『真剣』しかないなら『剣』ですむ言葉だろう。『真』は必要ない。でも、ヒトを切れない『剣』があるからこそ、ヒトを切ることが出来る『剣』を『真剣』と呼ぶ。
分けるから分かる。
分かる為に分ける。
分けてもそれ以上理解できないモノやコトを分けても無意味だ。
偽物が存在しないモノや、たった1つしかないモノを『本物』と呼ぶ理由はない。呼べば『誤解』しか生まない。
そういう無意識のルールはあるんだけど、ソレは明文化されてない。それで間違った言葉遣いも『アリ』なのかもと勘違いされる。
いきなり『本当の地球』などと言ったら、気が狂ったと思われるだろう。
それは、『地球』は1つだという認識が徹底されているからだ。無意識のレベルで誰もが『地球は1つ』だと認めている。だから『本当の地球』なんてアタマおかしいんとちゃうって反応になる。
だが、『自分』となると怪しくなる。
だって、俺も自分だし、あんたにすればあんたも自分だ。
つい、自分っていっぱいあるのかなぁって思いがちだが、そうだろうか?
でも、『自分』を自分と認識して他人と分け行動する意思は1つしかない。それが『自分』のはずだ。
自分を自分と認める意思は1つしかない。意思は心と言い換えても良い。みんな各自に『自分』を名のってはいるが、それぞれに1つしか『心』はない。
1つしかないものに『本物』も『偽物』もない。
だから本当の自分なんてない。探しても無駄だ」