「例えばさぁ、あんたがズザザーと走って来て、ジャリジャリの砂利道で足を滑らせジャリンとこけたとする。突然の転倒。天地がひっくり返ったような感じがしてショック。
一呼吸おいて転んだショックから立ち直り、我が身に異常がないか確認してみると膝小僧がジンジン痛む。
座り直して膝小僧を見るとすりむけ小砂利や砂が傷に食い込み血がタラタラ流れはじめている。
コレは痛いよな?」
「そりゃ痛いだろうね」
「そこに俺がやって来た」
「うん」
「なんだ、こんくらいの怪我。この程度は痛いうちにはいんない。俺が2階から落ちてアタマを7針縫った時の痛みに比べれば、こんな怪我『本当の痛さ』じゃない。ツバつけときゃ直るよ。
なんて、言ったとしたらムカつくよな?」
「うん、むかつく!」
「本人が実際に感じている痛さに『本当』も『嘘』もない。痛いモンは痛いのだ。なのに他人から、こんな怪我なんて『本当の痛さ』のうちに入らないなんて言われたらムカつくはずだ」
「だって痛いもんは痛いんだもん」
「その通り。
痛いもんは痛い。痛いに程度の大小はあっても、本当や嘘はない。
痛いと感じるその当人が感じている痛みは、現実に本当の痛みだ。
嘘はないはずだ」
「じゃぁ、なんで『本当の痛さ』じゃないとか言うの?」
「それは、無意識に『本当』の意味を勘違いしているからだ。
例えば、偽物と本物ではどちらが偉い?」
「え、偉いのは本物かなぁ」
「そう思うよな。『本物』と『偽物』を並べたとき、たいてい『本物』の方が格上になる。偽物の方が格上になるコトは普通ない。
普通、本物のほうが、偽物なんかより数段すぐれていて価値があると思われている。
だが、『本物』と『偽物』の関係と、『格上』『格下』の関係は、べつに何の関係もないものだ。それぞれ別の概念であって、常にイコールで結ばれるモノではない」
「でも、なんだって『本物』の方が高級じゃん」
「『王子と乞食』という童話を知っているか?」
「知ってるよ、王子様と乞食の子が入れ替わるんでしょ」
「その童話の王子は偽物の乞食だが、本物の乞食の方が高級な人間かね?」
「いや。うん確かに。偽の乞食の王子様の方が本当は上流階級なんだよね」
「また例えば、『本当の貧困』と言うなら、『偽物の貧困』の方がマシに思えないか」
「それはそうかも」
「ようするに、誰かが痛いと感じている事に『本当』も『嘘』もないはずだ。なのに、痛みを感じている当人でない者が、その痛みは『本当の痛み』でないなどと言うならば、その発言者が『本当の痛さ』をもっとスゴい痛みの事だと勘違いしているか、痛いと言っている人間の痛みを『偽物』だと言っている事になる」