教皇フランシスコの勅書の勉強会でした
箱根は寒くありませんでした。
良く晴れていて、富士山がきれいに姿を現しました。
富士山の雪も例年より少ないそうです。
これから降るのかもしれません。
途中の休憩で、周囲を散歩してみました。
何もないところで、空気と空がきれいでした。
8階からの夜景です。
小田原がとても近くに見えますが、車で40分くらい上ってきました。
合宿に参加したおかげで、一人で読んでいたところの疑問が、解消されてよかったです。
Misericordiae Vultus
この言葉は、直訳では「あわれみのみ顔」に近いそうです。
あわれみは 憐れみではなく、哀れみの方の意味で。
慈しみだと、かわいがる、大切にするのようなことですが、
神様の哀れみは、はらわたからくる痛みという表現でよく聞く言葉です。
神様が私たちを気にかけてくださっている。
私たちも気にかけ合いながら、生きてゆくということを考えました。
合宿で購入した「カトリック生活」1月号が特別聖年記念号でした。
その記事の中で「いつくしみ」につて岩波キリスト教辞典を引用しての解説がありました。
あわれみの疑問を持てたこともよかったし、合宿に参加して、元の意味や教皇様の意図を
うかがうこともできて、有意義な時間でした。
箱根は寒くありませんでした。
良く晴れていて、富士山がきれいに姿を現しました。
富士山の雪も例年より少ないそうです。
これから降るのかもしれません。
途中の休憩で、周囲を散歩してみました。
何もないところで、空気と空がきれいでした。
8階からの夜景です。
小田原がとても近くに見えますが、車で40分くらい上ってきました。
合宿に参加したおかげで、一人で読んでいたところの疑問が、解消されてよかったです。
Misericordiae Vultus
この言葉は、直訳では「あわれみのみ顔」に近いそうです。
あわれみは 憐れみではなく、哀れみの方の意味で。
慈しみだと、かわいがる、大切にするのようなことですが、
神様の哀れみは、はらわたからくる痛みという表現でよく聞く言葉です。
神様が私たちを気にかけてくださっている。
私たちも気にかけ合いながら、生きてゆくということを考えました。
合宿で購入した「カトリック生活」1月号が特別聖年記念号でした。
その記事の中で「いつくしみ」につて岩波キリスト教辞典を引用しての解説がありました。
あわれみの疑問を持てたこともよかったし、合宿に参加して、元の意味や教皇様の意図を
うかがうこともできて、有意義な時間でした。