ゆめひこう 

日々の思いを

夏期神学講座

2013-07-26 11:28:44 | カトリック

夏期新学講座です。
いくつになっても、夏が来て、夏休みがくるという気分を味わえるのは、
毎年神学講座に通っているからだと思います。

勉強が終わると{夏休みだ」と

講座がある日は、朝聖堂でミサを点ててくださいます。

               
聖堂の入り口です。

               

今日のミサは、その日1コマ目で講義をされる神学部の教授の神父様でした。
ミサの所作がきれいで、見ているだけで、気持ちが癒されます。
ミサの所作って、同じなのに、違うのです。
不思議です・・・。

               
聖堂の窓から眺めるお庭です。
大学構内とは思えない。


今年のテーマは「信 - 現代における<いのちの泉>」

1時限目は旧約聖書の信の諸相

「落ち着いて、主の救いを見なさい」出エ14・13
など旧約のいくつかの個所を読んで、神様が
「落ち着いていなさい」
「恐れてはならない」
「静かにしていなさい」
「安らかに信頼していることにこそ力がある」
と語っておられるのを確認しました。

神の中に歩めば自分を完成することができる。
今、私たちは生きている神と共に歩んでいる。
神は私たちとともにいる。

詩編を引用して話されました。

秋から旧約の勉強は詩篇に入ります。
少し、とっかかりができたような気がして、心強く思いました。


2時限目は新約聖書における信仰

この神父様のお話は、ラテン語の意味をこだわって説明してくださいます。
それで本当に聖書を理解するには、ラテン語かギリシャ語を知らなければだめだと
思ってしまいます。

最近は聖書でもいろいろな訳を比べて読むようになりました。

愛がなければ信仰はないというところ。
この愛は、神からくる愛で、神の愛を通して信仰が働く。
神の働きがあって、支えられて人間たりうる。

このお話はとてもよかったです。
愛の少ない私はいつも苦しんでいます。

神様にまず、
「あなたの愛を気づかせてください」
「信ずることができるようにさせてください」
と、祈ることにします。


3時限目は学者の神父様ではなく教区司祭でした。

現代における普遍的「カトリックな」信仰
信者さんと接する中での信仰について、具体的なお話でした。

誰でも救われるというなら、地獄はなくなったのかと言われたこと。
カトリックは「神が作られた人はすべて救われる」と言われる。
だからみんな救われるのです。

ほかの宗教の人や無神論の人には、結構ですと言われそう・・・・
こういうところがカトリックって、面白いと思います。

神学講座を受講した日は、疲れて、それも心身ともに心地よい疲れで帰途につきます。


梅雨は明けたはずなのに、電車の窓から見る風景は湿っぽかったです。