而今

「我ここに於いて切なり」
今この時を懸命に生きる。生き方上手になりたい・・・

会いに行ってきました。

2008-08-14 | あの人そのひと・・・
歌の旅人 田口 徹 コンサート に行ってきました。



セリオンの近くにある”カフェラテ”で14:30から1時間ほどおこなわれました。
人の出会いとは不思議なもので・・・
点と点で終わってしまっていたのかもしれないのが、たった一言かけただけで線になって
その線がどんどん伸びて・・・
新たな点を結んでそしてもっと伸びて行って・・・
そんな線上で出会ったのが田口さんです。
そして・・・一緒に行った友人の点が田口さんと出会いました。
田口さんの言葉にならないメッセージが
すばらしい歌声を共に深くそして優しく、
コーヒーの香りと共に”カフェラテ”に流れました・・・
”連れて来てくれてありがと!”
そういってくれた彼女にとっても、やさしい時間が流れたようです。
コンサートが終わってからの、テーブルを囲んでのお話もたのしいものでした。
また 近いうちにあの歌声を聞きたいものです。

  太平洋戦争敗戦前日の米軍による土崎空襲から63年。犠牲者を弔う「土崎空襲犠牲者追悼平和祈念式典」(土崎港被爆市民会議主催)が14日、秋田市土崎港西の「ポートタワーセリオン」で開かれ、田口さんはこの式典で土崎空襲のことをうたった”哀しみの池”を歌われたそうです。

土崎空襲・・・
明治以後、秋田市とその周辺では油田開発が進んだ。昭和時代前半には特に八橋油田の産油量が多く、秋田だけで国内産油量の70%以上を誇っていた。そのため、八橋に近く、さらに鉄道でも船舶でも輸送が可能な土崎には、大規模な製油所が立ち並んでいた。太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)8月14日には、この製油所の破壊を目的としたB-29100機以上の空襲を受け、土崎地区を含めて100名以上の死者を出した。これは太平洋戦争最後の空襲とされている7市に対する空襲の1つである
コメント (3)
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まぁ~・・・

2008-08-14 | ごかぞく
家を留守にして帰ってきたら・・・お奉行さまが床の間に・・・
ちょうど障子の張替えが済んだところのようでした。

”障子を張り替えようと思っているんだけれど・・・”
”はい はぁ~い!どんぞ、いつでもどうぞ!”
と話したけれど、
それがきょうだったなんて・・・
( ‥) ン? なんかピンクぽいような・・・
(O_o)WAO!ピンクです!
ピンクの桜の花びらです。
(¨* )あのぉの 桜の季節はとうに過ぎたんですけれど・・・
まぁ~ いいか!一年中春で、それも桜の花びらがいっぱいで 
なによりも こうやって張り替えてくれたし、
ありがとさんさん ですわ。



10月にお奉行さまの兄弟が泊まりにきた時には、びっくりするかもね・・・
お奉行さまが障子紙を買ってきて、張り替えてくれたことを自慢してあげなくちゃ!

それにしても・・・ピンクがいっぱいですねぇ~・・・
これほど・・・ピンクが好きだったとは・・・知りませんでしたわ


コメント (2)
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