木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

裏の世界

2013-06-12 23:56:25 | 社会
今まで「アンカー」水曜日の青山さんを見てた
前にも書いたけど彼のこの番組はすごい
知らなかったことをいっぱい教えてくれます

今日は安倍さんが自民党内で窮地に立たされている
本当は7月に衆参同時選挙を画策していたのもかかわらず
それに反対するグループの安倍降ろしの力によって断念せざるを得なかったということ
裁判で地域格差が憲法違反だとはっきり宣告されてるのに
早急に「必要最低限の措置」0増5減も手を付けられない
また、政治家のいやらしい部分が見えてきました

青山さんは安倍さんの弱気を叱り、今自分がすべきことに全力を傾けるべきと
発破をかけていた

青山さんが政治家になってやればいいのに と思わんでもない
絶対僕の一票は彼に捧げたい(笑)

今朝の新聞では統一球のことでびっくりさせられた
今年最初から、今までより「飛ぶボール」が採用されてたと
昨年よりもホームランが出てるから、あれ?ボール変わったんじゃね?
という質問に対して、Noを突き付けてたコミッショナー
嘘つくことねーだろ

もともと昨年までのボールは余りに飛ばなくて、ゲームとしても面白くなかったことは間違いない
1-0で終わる試合がどれほどあったか
それはそれでたまにはそういう投手戦もいいもんだが、やはりファンが一番見たいのは
あのカキ~~ンという音とそのボールの行方だ
外野席に突き刺さる白球ほど魅力のある物はない

だから統一球を改善することは悪いことではないはず
何で秘密裏にそういうことをするのか

またどっかの誰か、いつもズルするあの球団が絡んでるんじゃないかと憶測を呼ぶよねぇ

そうそう、その件でも青山さんはコミッショナーと話した時に
あなたのファンである〇〇軍の側ですすめちゃいかんのじゃないか
みたいなことを言って、本人も怒らせたし
ファンからは「殺したろか」という言葉を頂いたそうだ
素敵!


柔道問題もしかり、僕らの見えない裏でどんなことが起こり、まかり通ってゆくのか
知らないのもそれはそれでお花畑、能天気、幸せなことかもしれないが
ちょっとだけ知ってしまうとドロドロヘドロの山積に気付く
どっちがいいのかなぁ・・・・


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨年の記事

2013-06-11 23:36:29 | 社会
夕方6時になるとiPhoneにメールが入る
それはgooからのもので昨年の同日にあなたはこんな日記を書きましたよ と教えてくれる
どうも昨年の6月は僕は皆勤賞だったらしくて今月は欠かさず来てしまうわけだ
あんまり待ってるメールではない
だからほとんど内容は、見ない
でも、一昨日のだったかな?・・・


NHKのテレビ小説?ずっと見てたけどあのへんてこりんなホテルウーマンので懲りてしまって、最近はみのさんのを見てる
7時半前に二男の位牌の前のコップを取って、バナナを一本千切る
台所へ行ってパンを焼いてた

テレビでイジメによって二重窓の間に挟まれた子が、外側の錠を外して、出ようとして転落して怪我をした
なんて様子を話してた
詳しくはチェックしてない
怪我をした子の父親が激しく校長を責めたててた ような印象のまま
また朝飯の準備を優先した

昨年の自分の記事、二日前の記事はこういうのだった
http://blog.goo.ne.jp/popg888/e/6b24b584dfbbe721977a44a0689cdd1c

公立の学校はああやって責められるのに、私立の学校は責任取らなくてもいいんだ
この余りの違いに唖然とする
子供を亡くしたお母さんの日記にはその後の進展は記されていない
ということは学校は頬かむりしたまま?
そのままなら 僕は今でも許せない

近畿大学附属広島高等学校・東広島校

よく教育ができるもんだ




時々、足を痙攣させて、のた打ち回りたいが回れないので思わず唸り声を上げる
痛くて苦しい
それは誰にもわかってもらえない
だからもっと痛くなる
痛さも苦しさも実は誰にもわからないけど、
誰かが隣にいて、その姿を見て声をかけてあげるだけでその痛さ、苦しさは少しだけ和らぐ
その少しだけが実はすごく大きいのだ
本当の痛さなんて本人しか分からない
でも、心配そうな顔で「大丈夫?」と声をかけてもらえるだけで助かることもある



自分から命を絶つ、それは本人にとってどれほどの思いなのか
もし、その気持ちを察知出来たら、親なら自分の命と交換してでも守りたいもの
そこに手が届かなかったことで、おとうさんおかあさんはどれほど悔しかったことだろうか

せめて学校で何があったのか
学校はそれを明らかにして、親の悲しみを癒すための力添えをしなくてはならないはず
人の痛みを分かりなさい

自分の保身しか頭にない学校に教育を施す資格があるのか
多分僕はずっとそう思い続けるのだろう


近畿大学附属広島高等学校・東広島校
まだ何もやってないなら最低の教育機関だ



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

営業

2013-06-09 23:47:16 | 仕事
このところ変なシリーズにしちゃって、仕事の記録が出来なかった
なんか、妙に忙しかったわけです
職人さんがしてた仕事で、僕でもできるそれ
25000個ほど作ったので時間取られて、他の仕事が思うように進まなかった
ただ、朝遅刻してくるくせに妙に息子が頑張ってくれてたんでどうにか納期に間に合った格好
すべて自分でやってたら到底間に合わないことを痛感した
一応感謝してる(笑)


5月までの売り上げを見てみたら、去年より多い
皆さんに助けてもらってるんだ

その中でも、ちょっと不思議なことに、10年前に飛び込み営業をしたお客さんから電話をもらって初仕事をした
何と職人さんと同姓のお客さん
よくある苗字なんだけど、うちのお客さんの中にはなかったもの
その時、お隣の県のあるお客さんのところへ納品した際
割合近所、車で5分くらいのところに在るお店へ営業をかけた
僕らの仕事は滅多に営業はしない
特殊な仕事なんでお客さんの口コミで、紹介で向こうから来てもらうことの方が多い
なのに、太鼓のばちを本格的に作り始めたころ、少し太鼓屋さんに営業をしたことがあった
勿論今まで、付き合ってた業者さんがいたのでそのまま仕事を頂戴することは滅多になかったけれど

考えてみれば、当時訪問したところは一軒だけ除いて、今はお客さんになってもらってる
それだけ稀な仕事ってことでしょうか
今までやってくれてた人が廃業して、ってパターンが多い
相変わらずの斜陽産業ってことです

その中でまた頑張らにゃ
今週が始まる
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主人公

2013-06-08 23:44:27 | 音楽
得てして、芸術家というものは、歳をとってその芸術性を深めるほど、大衆からは離れて行ってしまう
若い時の作品ほど多くの人の心に残ったりする
・・こともある

さだまさしが自らのトークの中でそんな言葉を発してた
それが当てはまるのかどうか別問題なのだけれど
僕は今の彼の作品よりも、若い時の作品の方が好きなようだ
自分の感受性のせいかもしれない



昨日まで自分の人生を少し振り返ってた

そうすると、思い当たる言葉にまた出会う


 あなたは教えてくれた 小さな物語でも
  自分の人生の中では誰もが皆主人公
 時折思い出の中で あなたは支えてください
  私の人生の中では 私が主人公だと


自分は自分という物語の中で一番の主役
だから、精一杯生きなきゃ ね



さだまさし - 主人公





 「或いは」「もしも」だなんて あなたは嫌ったけど
  時を遡る切符(チケット)あれば 欲しくなる時もある
  あそこの分かれ道で 選びなおせるならって


一つだけ、あの時、ああすればよかった と思うことがある
でも後悔はしない
自分が考えて、考えて選んだ道だから



  勿論今の私を悲しむつもりはない
  確かに自分で選んだ以上 精一杯生きる
  そうでなきゃあなたにとても とても恥ずかしいから







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

  8

2013-06-07 23:20:34 | 家族
一度も失恋をしたことがない女

僕の嫁はそうだったらしい
一方の僕は時々痛い目に遭って、たまにはいい思いをする
普通の人生だった
結婚も普通だったんじゃないだろうか
彼女と付き合いだしたのが25くらいだったかな?
同じ年の1月生まれと12月生まれだから彼女は24
いわゆるそういう年齢だったから、この人と今付き合うってことは結婚リトマス試験紙を手にしながら
赤が出るか青が出るか

青から赤になって酸性(賛成)になる
しょうもないギャグだ


僕は彼女を合格点と判断した
でも、彼女は僕を満点にしたのだ
そうじゃないのに
だからそれが破綻した時、大きな反作用が生じたに違いない


「あなたは愛される結婚をしたけど、私は愛する結婚をしてしまった」
何度か同じ言葉を聞かされた
初めて聞かされた時は蜜の香りがしたけれど、実は大いなる毒を孕んでいた

僕がネットを再開した時、多分彼女は40を越えて、初めて「失恋」をしたのかもしれない

僕自身はそんな気持ちは欠片もなかったけれど
あとからいろんなことを思い起こすとそれが一番近そうな・・・

自惚れてんじゃねーよ と思われるかもしれんが、僕の心とは裏腹に
その時、彼女は壊れた  としか思えない


僕のことを思って、友達が出て行った彼女に電話をした
「あいつは浮気をするような奴じゃないよ」と言えば
「それはわかってる」と返す

浮気はしてなくても、自分に一直線でもなかった と判断したのか
若くして失恋を経験してたらまた違った解釈があったかもしれない

壊れたから
 あれほど愛していた娘に対して信じられないことをする
この日記にも書いてある


 2008年6月


「あなたは変わった」その言葉を発したきみのほうが変わってしまってるはずだ
今朝も娘を信用できないというメールが何通も届いた
だから修学旅行の写真の最終申し込みのお金を渡さなかった
娘が泣いて学校行ったので可哀そうだと思ったら1980円出してあげたら?
そんな信じられないようなメールが追い打ちをかけてきた
今日のメールには一つもレスをつけなかった
僕は娘の中学の電話番号を探し9時前に電話した
担任の先生に娘と母親の事情を話し 夕方僕がお金を持ってゆきますから
申し込み写真を受け付けてくださいとお願いをした
約束通り 申し訳ありませんが何か娘がサインを発したら受け止めてやっていただけませんか
そんなことを一枚の便せんに託し、お金と一緒に女性担任に渡してきました
娘は今朝のやり取りで写真はあきらめたようで申し込み用紙を持ってこなかったようでしたが
先生の配慮で明日でもいいとしてくださったようです
「お父さんやさしいね って言ったら うん、母さんとは違う ってうれしそうに頷いていましたよ」
と言ってもらいました

こういうことがあったりで、多分娘は僕のところから高校へ通う決心をしたんだと思う

そして今は母親をターゲットにする
通院しなくていいはずがないと思うのだが

そして、もう何も繋がってないに違いないのに彼女のその行動に対して、少しの後ろめたさの風を感じるのです


長々と書いてしまって申し訳ない
これで 終わります








コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

   7

2013-06-06 23:35:23 | 家族
人生にはモテ期ってのがあるらしく、それまで全く想像もしていなかったそれが僕にもやってきた過去がある
中学二年にギターを買ってもらって、部屋でボロンボロンとやっていたのだが
大人になった頃にポプコンに出会って、作曲というものをするようになった
手探りで、訳も分からず♪を並べて、僕のつたない音楽人生が始まった
でもあくまで独り舞台、自分の部屋で観客も僕一人
そんな時に、「フォークギター講座」
3か月で終わる名古屋市瑞穂青年の家での短期講座
習ったことないけど、行ってみよ~と思った


それは初心者をターゲットにしたもので、初心者だと思ってた自分はそれよりも少し上にいることに気付かされた
それはそれで終わって解散。のつもりだったのに講座の終わりに寄った喫茶店で
「なぁ、このままフォークギターサークルにしよみゃ」って言うやつがいた
ふ~~んそうなのね と他人事のように聞き流していたのだが
「おみゃ~は絶対参加しろよ」
一歳年上のクマに強引に連れ込まれた

彼が主宰してたもう一つのサークル
リクレーションサークルは北青年の家に有って、歌を歌う時に伴奏者として時々呼ばれるようになる
いやいや行ってたそこにいたのが元妻だった

「彼氏がいるから、誰が誘っても絶対になびかん」という噂

ある日、サークル対抗ソフトボール大会があった
ギターより数倍自信のある野球
大活躍した僕はちょっとした切り傷を受けた
バンドエイドを2枚くれたのが彼女だった

ギターと野球と中学から文通で鍛えた手紙
僕の当時の得意技かも
5割の利息を付けますとバンドエイド3枚入れた封筒に、
よかったら二人で話しませんか?
19時に青年の家の駐車場で待ってます
都合が悪ければ、何も言わずにすっぽかしてくだされば結構です
というオマケの手紙も入れた

実は多分、おそらく、十中八九、来ると思った

何しろ僕は一生に一度のモテ期だったから

結果的にそれがよかったのか悪かったのかはわからない
悪かったと一言では片付けたくはない


そんなつもりもなく書き始めた話題が延びてしまった
申し訳ない
今日はこんな話するつもりもなかったのにまた余分なことを・・・

んじゃまた
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

  6

2013-06-05 23:07:42 | 家族
人には悪いところもあるが良いところもある
金銭的には彼女はしっかり者だった
独身の頃から、締めるところは締める
でもケチではない
それは僕も目指すところだった
一緒に生活するようになってもそれは変わることはなく、この人に財布を預けておけば・・
その信頼は揺らぐことは無い
きっと今でもそっちの面では、間違いない生活をしてるだろう

出て行ったけど、僕は毎月11万円を渡してた
一つ、それでいいのか? と思ったことは、新しい住まいの家賃が6万だったこと
あの締まり屋さんにしては、頑張りすぎじゃないのか と
娘に恥ずかしい思いをさせたくない 
きっとそういう気持ちはあったのだと思う
勿論このあたりの細かい数字は本人からの情報ではない
毎週来る娘からそれとなく伝わってくる
その引っ越し先はもちろん内緒だったが、ごく稀に彼女を送ってゆくことがあったから分かっただけだ
11万渡せたのは、何年だったかなぁ
そのうちに1万減り、2万減り、
僕もできるだけのことはしてたけど、仕事は減ってゆくし、家賃収入の方もだんだんと下がっていったから

近所からの囁きが聞こえてくる
主に母親を介してだが(笑)
「奥さん出ていって、慰謝料はどれだけ払ったんだろうね」
本当は母親が僕に聞きたかったのかもしれないが、近所の人のせいにして僕にそれとなく聞く
「0円 オレ、なんも悪いことしてないもん」
その辺はオープンだ
「あれはそういう部分はあっさりしていてきれいだ」

でも本当のところは、僕の名義の簡易保険の満期金550万のうち250万は住宅ローンの繰り上げ返済に使ったが、その残りがわからん(笑)
二人とも毎月4万ちょっとずつ養老保険をかけていて、僕より少しだけ高い彼女の掛け金
少し早目の満期日が来た自分の金額は分かってたけど、彼女のはもう少し高かったはず
娘と二人の生活が始まったのだから、そのくらいはしょうがない

そうそう、まだ口を利いてた頃、
「お金足らないんだよね あれとあれにこれだけかかって、生活費これだけ
 お給料もらったあと、何にも残らないんだよ」
確かに10万の住宅ローンを払うと厳しいだろうなと思ったこともある
ただしよく聞いてみると娘の学資ローンを含めて、簡易保険に10万くらい使ってた
それが生きた格好だ

結婚するちょっと前、そのころは月初めに彼女にいくらかのお金を渡して
彼女もそれに加えてデート代を賄ってた
寿司屋に入って食事をして、彼女が支払って店を出た
後を追う僕の背中に、店の若い衆が
「ええ女、連れとるね」と囁いた

まぁ、外見上はそんなに悪くはなかった・・・だから


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元妻5

2013-06-04 23:14:01 | 家族
ネットから足を洗う代わりに一つだけ、僕の望みを示した
それは散らかり放題の家の中を綺麗にすること
昔はそれほど汚れていなかったのに、このころには家の中の整理整頓は全くされてなかった
例えば、風呂の前の洗濯機の前は床の存在はたくさんの衣類の下で確認できない
しばらく床を見ることがなかった
「もうちょっときれいにしろよ」というと必ず
「じゃ一緒にやろ」
それはいいが、実際たまに僕がやることがあっても彼女は他のことをしていて手伝おうとしたことはなかった
娘が生まれる以前はそれほど極端ではなかったのにだ

結局僕の望みは受け入れられることはなかった
ネットから二年離れた後、前にいた、そして家内もプロフィールを持ってるそこで自分のプロフィールをもう一度作った
ただ、隠れてってわけじゃなくてニャミの写真をメインにして
家内が見たらそれはすぐわかる状態にしてた
今度は、一歩引いて、でも誰かとのコミュニケーションくらいはいいだろうと

2・3か月過ぎた後、彼女は僕のそのページを見つけた
「またやってる」と言って・・・
その後、僕への言葉を拒否してしまった

一年半、口を利くことなく・・
多分彼女にとって狂おしい時間だったのだろう
僕にとっても地獄だった
仕事で疲れて玄関に入る
娘と僕の夕飯は作るけど、それを食卓まで運ぶと自分は台所に戻って一人で何かを食べてる
「俺はお前に対してそれほどひどいことをしたのか?」
そんなことを口にしたこともあったが、相変わらず返事は返ってこない
当時の僕は、何にも悪いことなんかしていない
そのことに凝り固まっていた
だから謝ることはなかった
2,3度爆発した
いいかげんにしろ と
娘とはうまくいってて、勿論彼女も娘とは普通に話す
娘は僕が怒ると、恐ろしいらしいことが分かったので
ある日、
「父さんはかあさんに話してもらいたいから、今日は言いたいことを言うよ
 もし声がおっきくなっても、アズを怒ってるんじゃない
 怖がらなくていいからね
 今日はかあさんに話しかけてみるよ」
と言って.バトルを開始したことがあった

「かあさん、話してよ」
僕の気持ちを知ってる彼女もそう言い添えてくれたけど
その日も、進展はなかった
いや、僕の言葉にそっぽを向いたから、両肩を掴んで
「こっち見ろ」と言った
興奮してたから少し力が入ったのだろう
「痛い」といったまま、また沈黙

その後、そのことを息子にメールで報告
「首絞められた」と写メ付きで。。

あきれてものが言えなかった


勿論息子はそれを本気にはしなかったが・・

ただ、彼にとっても僕らの諍いの本当の意味は分かっていなかったから
当時は五分五分で見てたのかもしれない

一年半の沈黙の後、娘を連れて家を出た
娘が行ってしまう事は、僕にとっては身をそがれる思いだった
でも、母と娘の関係まで引き裂くことは出来ない
その娘を得るためにどれだけの苦労をしたのかはわかってたから

でも、壊れた女だと思っても、休日には当時小4の娘を僕のところ来させてた
ただ一方的に僕から娘を奪い取ったのではない
日曜日の夜に、迎えに来る
7階の窓から娘が母親の車に乗る直前、見上げて手を振る
テールランプが見えなくなるまで追い続けた
また次があると思ってるから泣きはしないけど、その儀式はいつもため息で終わる
ただ、二人でいる寂しさよりも一人でいる寂しさは心が落ち着く
僕の周りは平和になっていった


コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元妻4

2013-06-03 23:26:54 | 家族
かつては僕だけに理不尽な態度を続けていた元妻は今、その矛先を自分の親兄弟に向ける
一体、その本質は何で出来てるのだろう

昔から独身時代からこんな言動をしたのなら、誰も結婚などしない
彼女はその当時から、人に対して厳しいところがあった
そして民青にも顔を出していた
その独特な社会を見る目に最初は戸惑ったものだった
最初のデートの時にそんな話になって、ああこの人とは付き合えないかもしれないと思ったことがある
でも、いろいろ話してゆくうちに彼女は僕を盲信するようになる
僕のすべてを認め、信じ、知らないうちにその組織から遠ざかって行った

だから、結婚生活になんの不満もなかった
長男が生まれ、翌年次男を身ごもったが7か月の早産で生まれて
一か月後に帰らぬ人となった
その後一度二度妊娠の兆候を得るも、3・4か月後に落胆
昭和59年に二男を失ってから、久しぶりの平成元年、妊娠
今度は6か月経ったその日、死産の憂き目を見た
女の子だった
箱に納まったもう人間の形をした、呼吸をしないその子は僕だけが見て、
今もこの部屋にある二男の位牌の後ろにその子を感じている

そして苦労して、苦労して、本当は次女だけど戸籍上長女であるアズミが平成6年
僕たちのところへ来てくれた
僕はもちろんうれしかったけど、彼女の喜びはどれほどだったろう

だから、僕は彼女がどんな人間でも恨みきることは出来ない
どれだけ自分の子供を得るのに苦労したのか僕が一番知っている

多分この世にインターネットがなかったら、今でも僕らは一緒に生活してるだろう

ネットで知り合った女性に会おうと思ったことがある
彼女と生活してゆくうえで、これをしようとしたことはやはりそれだけで背信行為だったのだ
信じてくれるかどうかわからないけど、僕はその人と一線を越えるつもりは全くなかった
ネットでのやり取りが楽しくて、楽しくて、一度会ってみたかっただけ
仕事上で、女性と絡むことはほとんどない
でもネットでは、そんな垣根がなかったからのめりこんでしまったことは嘘でもなんでもないこと
でも重ねて言うが、彼女を裏切るつもりはこれっぽっちもなかった


会う直前にそれがわかって、あまりにも激しい抵抗を受けたので、結局その計画は断念した
会わなかったけど、彼女の気持ちを揺らしてしまった
僕はネットから足を洗った


それから二年が過ぎた

僕が属していたインフォシーク、プロフィールという所に家内のプロフィールが載っていた
仕事場で銀行関係などでネットを使い、たまにはかつてのところを覗くこともある



彼女はネット上で僕の付き合ってた人のところへ乗り込んで行ってた・・・





疲れた~
思い出した(笑)
まだ続きそうだ



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元妻3

2013-06-02 22:01:13 | 家族
「まぁ、そこまで言うんなら、生協のことは考えるから・・・・」
その言葉の裏にある交換条件は、母親を長男のアパートに届けて一晩泊まらせること
つまり、母親に長男の病の重さを実感させて、病院へ行くよう説得させようという魂胆

そこにあるのは姉として弟を心配する気持ちなのかもしれない
でも不思議なことにそこにあるはずの愛情というものを少しも感じられない
僕もそう、息子もそう、義母もそう
多分訪問を受ける弟も同じだろう
使命を受けた息子はばあちゃんの意思だけは確認して
叔父さんのところへ、ばあちゃんを送り届ける決心をした
さて予め叔父さんに電話して、ばあちゃんを届けると宣言するのか
それとも外出するはずのない彼のところへ突然現れて
その母親と対面させるのか。


僕ともいろいろ協議した
予め電話すればきっと拒否をするだろう
母親と息子の対面は一年半以上なくて、でもお互いがその身体を心配し合ってるのも確かなこと
突然 に決めた

一時間半くらい時間をかけてばあちゃんを迎えに行って、二時間足らずかけておじさんのアパートへ
玄関に着いてから彼に電話した
部屋の自分の場所から玄関まで、普通の人なら1分かからずに到達する
「悪いが、開けるからその前に何か食べる物を買ってきてくれないか?」
母親だけ受け入れるのならその言葉は素直に受け入れられるのだが
二人で食べ物の調達に行くことになる
つまり、彼の症状はやはりあまりいいってことじゃないという証拠かもしれない

息子が言う
「食べる時でも、こう・・手が自由にならないから、思い切り顔を食べ物に近づけて食べるんだ」
頭脳は明晰。しゃべらせればどこも悪いところは感じない
だから電話で話してる限り健康を疑う人はいない
でも、息子から見ればやはり病院で診てもらわなければいけない状態と確信する

ただ、娘からかなりの重症を覚悟させられていた母親からしてみれば
思ったより・・その命のことを心配するまでではないということだけは確認できたようで
少し安心はできたようだ

このお話の最初で書いた彼女からの電話に繋がる
わずかに明るさがあったのは息子の命の心配からは解放されたからだったに違いない


息子はこのままばあちゃんを車に乗せてもう一度三河の実家まで送り届けるつもりのようだったが、母親の思惑通りばあちゃんは泊まるつもりになったし、伯父さんも母親を泊める気になったようだ
それで翌日、仕事終えてから夜もう一度叔父さんのところへ寄って
実家まで送り届けた

車中、娘の愚痴に終始したばあちゃんの言葉を受け続けた
一日、息子と語り合った彼女は本当にうれしそうだったという
なによりも、一日、二日娘と対面しなくてよかったことが心休めになったと
そんなことでいいわけないよね

とにかく、このミッションの遂行で生協拒否を取り下げる予定とのこと
まだ確認はしてないけれど

元妻は子供たちが小さい頃、ずっと生協をやっていた
当時はグループ購買みたいな形だったけれど
生協のお店にも北と南の2店に僕も運転して行ったことがある
その便利さや安心感については自分が一番よく知ってるはず
それを親がやろうとしていることを知ったら、何をおいても賛成してあげるべきじゃないだろうか
今回その便利さに気付いた弟の方が先に生協に入ったという
彼の状態からすれば、実に便利なこと・・・だがこのままでいいのか心配だ

土曜日の昼、有祐と食事に行こうと準備してる時に弟から電話があった
「いろいろ有祐には世話になったし、車も使わせてもらって、ありがとうございました」
母親とゆっくり話が出来てうれしかったようだった
早く心が氷解してくれればいいのだけれど



って今日はここまで~~
ついでだからもうちょっと続けてやるぅ
元嫁ばかり責めてもいかんでね


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元妻2

2013-06-01 23:19:09 | 家族
娘の態度に買い物にも不自由を感じた電話主は生協の担当者を家に呼び、いろいろ説明を受けていた
そこに娘(元妻)が帰ってきた
その瞬間
「そんなもの、私が協力してるから必要ない」の一言で担当者を帰してしまった

娘本人は親のためにやっててやる という気持ちがあるのだろう
でも、親としてみればそこに愛が感じられない
買物連れてってくれんか?
の問いかけに、気持ちよく車を出していたのなら何も好き好んで生協を呼ぶこともない
いちいち嫌な顔をされて、イヤミの一つも我慢しながら乗せて行ってもらう買い物が楽しいはずがない
窮余の策の生協も一蹴されてしまった

それを弟である長男に愚痴る
耳にした彼はいてもたっても居れなくなった
僕にそのとこを告げ、できたらユウスケに一肌抜いてくれないかと、
今までどんなに言ってもびくともしない姉への対処を申し出る
http://blog.goo.ne.jp/popg888/e/09b958f051ed2f3436c5b9904274881a
ここまでは重複する

余りにもひどいと感じた僕たち父子
父(僕)はもう関係ない人であり、多分僕がひとこと掛ければ、地球の起動が変わるくらいの怒りで、余計に逆効果になるに違いない
息子が母親に電話する
予想通り、その申し出に対してはけんもほろろ
「それよりあんた、弟を病院へ連れてゆく約束はどうなったの?」

仕事場を一時間程抜けて、母親と電話して帰ってきた息子は
「俺はどうすればいいんだ。みんな勝手なことばっかり言って・・」
珍しく泣きながら僕に訴えた

「まぁ、そこまで言うんなら、生協のことは考えるから・・・・」



ゴメンまた次回
延ばす話じゃないんだけど・・
体力無し

その日の帰り際
「親父、今は楽になったよね」とひとこと
息子から温かい言葉を賜った

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする