木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

4737

2015-06-30 23:52:07 | 生活
ちょっとお腹が重かったんで、燃えないごみを出すついでに散歩してきた
時間は11時10分前 普通に言うと10時50分
外はいわゆる梅雨の雨には違いないが、初夏の緑を潤す翠雨(すいう)とでも言っておこうか
にしても外は暗いから緑は想像するしかない

ほんの10分だけでもいい と思いながら傘の先の足を延ばす
それでも情緒ある風景とはいかない都会の端くれの景色だ
店の明かりが恋しくてまだ動いていそうな灯に吸い寄せられるように道を選ぶ
大きな道路は赤になると手持無沙汰だから少し走る

大須商店街まで来た

   
   万松寺通り

この先を右に折れると万松寺(ばんしょうじ)がある
信長が父親の葬儀に焼香灰をその位牌に投げつけた というそのお寺
信長もこの辺を歩いてたんだよ
ということは秀吉さるもその辺にいたのかも
この通りは僕が子供の頃から親しんでたところで行きつけのおもちゃ屋もあった
今もある(笑)
僕のおもちゃ箱には刀が何本かあった
時代劇全盛期

隣の新天地通り
   
ちょい寂しいでしょ
でもこの通りは昔はもっと寂しかったが昼間の賑わいは万松寺通りに劣らなくなった


帰り道は寂しいところを選んだ
また新しいマンションが次々に出来てくる
需要があるんだろうか
ああ、向こうのマンションの5階から下か10階から下か全部影になるんだろうな 
分譲マンションじゃん  かわいそうに・・


約50分 4737歩
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その時の・・・

2015-06-29 23:59:17 | タイムマシン
自分が離婚したってことはわかっているけど、その時々にどんなことがあったのか忘れてしまってる。
たまに古い日記を読み返してみる
やっぱり悔し涙を流した跡がある

2004年に3年生だった娘を連れて元妻は家を出た
娘と僕の関係は理解して、週末になると娘はいつもここにきてた
そして毎週日曜日の夜、彼女は母親の元に帰っていく


2005年12月04日


おおばかやろう

バカな父親かっつん いつもあーは母さんに迎えに来てもらって車で30分の別居場所へたどり着いてたと思ってた
でも違ってたんだ 勿論そういうときもある でも一週間に2・3回は僕に
「母さん迎えに来たから行くね」
そういい残して一人で地下鉄に乗ってむこうへ行ってた(帰ってたという言葉は使いたくないので)
きょうも7時に
「もう母さん向こうを出たか?」
「6時50分に出た様だから20分くらいには着くはずだよ」
そして7時20分に
「来たみたいだから 行くね」
そしていつものようにエレベーターまで見送り
「気をつけてナ また明日 おやすみ」
窓越しに手を振る
今日は車に乗り込むところ見てやろうと窓からのぞくと 彼女は一人駅に向かって歩いてゆく
 まさか・・ ひとりで??
すぐに携帯に呼びかける
「本当は母さんは迎えに来てないのか?」
「うん 大丈夫 帰れるから」

小学生を夜一人で地下鉄に乗せられないよ
すぐに迎えに行ってそのまま向こうのマンションに届けました
何回聞いてもその詳しい在り処を家内は話さなかったけど今日初めて見てきました
そしてそれを口止めされてるあーが手を振りながら入ってゆくのを確かめた
いつも 迎えにきてくれた って言いながら笑顔で出て行った娘の二回に一回は嘘だったなんて
僕は彼女がいじらしくてかわいそうで申し訳なくて
それに気付かない自分を責めながら帰り道泣きながら帰ってきました
勝手な行動してひどい女だ
人の言葉は絶対に受け入れない
話を聞いてあげる そういって家内に電話してくれた僕の友達二人
二人とも着信拒否されてしまってる

あー とうさんと暮らしたほうが幸せになれる  そう思うがなぁ・・・



今なら多分その時には仕事をしてたのか、どうしても離せない理由があったんだろうと察する余裕もある
娘はそのまま6年卒業するまで地下鉄に乗って1年生になった小学校へ通い続けた
それは僕の、そして兄有祐の通った小学校
その後 別居先の中学に入り、母親と暮らし 卒業した その間に離婚成立
そして高校生になって自分の意志で帰ってきた
幸せになれたかどうかはわからないが、この日記のような結果になった
ただ母親との交流は勿論続いているし、良好だと思う。
それでもやはり被害者にしてしまった感はぬぐえない
・・だから甘いんだよねぇ。。





コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニトロ

2015-06-28 23:38:51 | 家族
息子の公演を見てきた

例えば、ピアノでショパンを弾いたり 
バイオリンでモーツァルトを奏でる
はたまた
後方宙返り3回ひねりを決めるなど素人がとてもできそうもない神業
そういう事を感じるような感覚を初めて少し味わった
まだそれの連続ではなかったが、それでも感じられたということがいい
仕事を休みに休んでどんな結果を出すのか、あまり期待してはいなかったがいい意味で裏切られた
今まで見た中、途中で拍手を受ける場面の記憶がない
今日は三回くらいあった
一回は例の「ようかい体操」
大嶋正樹さんと『ようかい体操第一』踊ってみた

おかげさんで再生回数43万回を超えました
これを四隅に一人ずつ配し、大嶋先生が真ん中で演じた時
最初から拍手と手拍子が始まった
みんな笑ってた
それから1円玉パフォーマンス
13万枚の1円玉を降らせる踊り
そして最後の踊り
200席足らずの椅子全部のお客さんからアンコールの拍手、これも初体験だった
大嶋先生はあくまで一人のダンサーとして参加され
しかもその存在感は半端なかった
その影響はすべてのダンサーにまで行き届いていたような気がする
次回、彼無しで今日の公演のどこまで達することが出来るのか
期待しておく


1万枚の1円玉を集めるのに協力してくれたみぃは二曲目に流れたこの曲に大興奮
誰も知らないと思ってた曲を息子が使ってるのを見てうれしかったようだ
途中でつつかれた(笑)

Blankey Jet City IceCandy

全然知らんかった

でもまだ僕が後継者を失くすんじゃないかという恐怖までは感じられなかった
もっと頑張るべし・・・ だな 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボーリング

2015-06-27 23:58:36 | スポーツ
昔からずっと野球部にいた
特に小学校の頃は運動部は野球部しかなくて、運動のできる奴は野球しかその力量を発揮できる場所がなかった
一応6年の時は副キャプテンだった
ということは運動神経にはそこそこの自信がある
中学高校と体育は5中心の生活

それが・・・
ボーリングはうまくなれない
もう歳は歳だけどそれを言い訳にしていいわけない
さっき前の日記を振り返ってみた
そしたら
http://blog.goo.ne.jp/popg888/e/e0593e1162f64b1c3a23b85378d74a83
一昨年の5月からボーリング大会は続いている。
ということはもう26回もやっているってことだ(確認してないが月一だから多分)
昨年の暮れ2回ほど腰痛で休んだが20回以上やっている
それなのに全くうまくなれない

若いころ初めてやったゲームで58 93でその時にスパットを狙うボーリングというものを教えてもらった
次に行ったときには110 130 160 とすぐ記録が出た
かんたんじゃ~~ん と奢った記憶がある
いやだんだんと奢ったことに気づいたわけだ
160を超えられなくなっていた
リンクした記事見ると最初のゲームで147だったらしい
その後100を切ったゲームも何回かある
この体たらくは今も継続中だ
ただ今日143出して、久々にちょっとあれが悪かったんじゃないかということに改めて気づいた
まだそれが修正できるかどうかも分からない
ただ少し今日は楽しいな と思った

一回の貸し靴代が400円 20回だと8000円使ってることになる
靴は3000円で買えるんだけどな・・
次があるかどうか自信の無さで買えずにいる

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おひさぁ

2015-06-26 23:58:10 | ネコ



ここんところ登場してなかったから登場した

この前、アズねぇが帰った時、
「おとう、マイケルが一人で可哀想だから、そのぉ 相棒とかいらん?」
っていうメールを先発隊として送ってきた
「お前なぁ まだニャミが亡くなってそんなに経ってないし、正直言って 世話するのオレだけだぞ
 もう少し時が過ぎてからだな・・ でもマイケルとはうまくいってるぞ」
とかそれに近い返信をしたらしい

ボクとしても寂しい かどうか正直言って分からんだが、かといって変なやつに来られても迷惑っちゃー迷惑
オヤジの選択は一応評価できる と思ってた (ニャミ~ とはボクは付けない)



そんでもってアズねぇが帰ったときに、オヤジはねぇに聞いた
「そ、そのネコの写真 持ってるんか?」
いかん なんでかっていうと その帰った日に2時間のネコ特集番組やってて
ネコ語がわかるとか何とかいう題名だったかな
その録画した番組を二人で見とったんだわ
オヤジの気持ちを想像するに
「やっぱネコってかわいいなぁ・・」って思ったんだない?
だで、「ネ・ネコの写真持ってるか?」 って聞いたんだと思う

アズねぇ iPhone出して写真を見せた
「この毛の長いシャム系のネコを持ってこようと思ったんだけど」
それがかわいかったらしい
あと二匹写っててそれもなんかかわいかったらしい
そりゃ 生まれて2か月かそこらだったら かわいいっつーの
ボクだってこんなにかわいかったんだもん
  
かわいくないか? じゃこっち?
  
かわいいやろん? 子猫の写真なんか見たらあかんっつーの

でも一応最初に断っちゃってたから、もうそのもらわれ先が決まっちゃったらしいの
さまーみろや

でも かっわいい女の子だったら ちょちょっと考えてもいいかな・・・
子どもはできひんけど
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目指せ! ミニ桐谷さん

2015-06-25 23:48:25 | 
お食事券ばかり・・

     
     
この日に売った 7616コロワイド株主確定数日前にまた買ってしまった 1685円 500株
アトムの株は確定当日に795円で100株

昨日今日でこれだけ届いた
どんだけ飢とんじゃい ってことだ
blogにするとちぃと恥ずかしいが ・・記録





コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行くことと来ること

2015-06-24 23:44:03 | お金
先日家のそばを散歩してたら、100円の自販機に出会った
チェリオの自販機

僕はどうも自販機が好きみたいだ
買うのが好きなんじゃなくて設置することに興味がある
今、自宅の下に二台 仕事場に一台設置してある
実は以前自宅に、仕事場に もう一台ずつ余分に置いてあった
昔の僕のこと覚えてくれてる人も多分忘れてしまったんじゃないかと思うが、それは「おでん」の自販機だった
まぁ「おでん」といってもそんなのだけじゃなくて普通の缶ジュースやコーラも買えるのだが
そんなにたくさん売れたわけじゃないけど、最低保証を付けてもらってたからそこそこのお小遣いになった
いつも言ってるけど、マンション経営は不労所得じゃないけど、自販機設置は電気代とスペースを貸すだけでこれはまさしく不労所得である
その二台の「おでん」自販機は供給してくれる会社が事業を畳んでしまったから引き揚げてしまった
もう長いこと二台と一台の体制である
その出会った100円自販機に電話番号が書いてあった
iPhoneのメモ帳に書き写して散歩を続けた


先週、いつも世話になってる不動産屋の店長から電話があった
「大家さんとこにサントリーの自販機置いてあるでしょ。もう一台置いてもらえん? 3万円出すで」
「どこの?」
「サントリーかアサヒ
 いっぺん業者を行かせてもいい?」
「いいよぉ♪」

翌日、僕よりちょっと年上のスーツを纏った紳士がサントリーの缶コーヒー、30本入りを持ってやってきた
実は今自宅に置いてあるサントリーの自販機は破格の条件
そんなに売れもしないのに、月に9000円の最低保証が付いている
これ以上売り上げがあったのは一回か二回しかない もう何年も置いてあるのに
いつも申し訳ないと思ってる
それを知ったうえで同じ条件でアサヒの自販機を置かせてくれという話だ
「儲からんよ」 と言っても「いいです」という
ホントは儲かるのか?
それでいいというならそれでいいかなと思った

ここでチェリオの自販機に書いてあった電話番号をダイヤルしてみた
100円売りだと1本10円しかないと言われた
向こうは損して得取るつもりはないらしい
チェリオの自販機は多分電気食いだ あの様子だと月に数千円はかかるはず
300本売れて3000円 きっと赤字だ
アサヒの機械は最新式のを入れるから月に2000円と少しで済むという
アサヒのを入れることにした

仕事場は少し条件が違うがこっちも前向きに行ってみようかなぁ・・・

僕が(ちょっとだけだが)儲かる話で申し訳ない
でも、こっちから迎えに行く話はなかなか有利な条件で進めないけど
向こうからやってきた話は思いがけずいい話のこともある(いただく話ならね)

そんなお話、何かの役に立たんかな?


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

保証人

2015-06-23 23:54:21 | 賃貸業
今日はちょっと予定を変更して「連帯保証人」の話をしよう
さっきmasaやんのブログでコメントしてきたんだけど
記事の趣旨は「連帯保証人になってはいけないよ」という戒めでした
そのコメントの中で
「私の母親がアパート経営をしていてその借換えの折に保証人のハンコを押してくれないかと言われたけど、断ってよかった」
というのがあった

僕は平成6年にアパート経営を始めた
土地が父親の名前だったので父親が名目上の経営者
その借入をする時、父親の印鑑だけでなく、母親、僕そして僕の妻の印鑑が揃って初めて融資が実行された
この建物に関する融資は建物は勿論、この土地が担保になる
6階までの分をここ(生保)で融資してもらって、7階部分は僕と家内が住宅金融公庫から借りた
父親は勿論だが母親と僕はこの土地と建物の相続人だからということ
そして家内は7階部分の50分の7の所有権があったから、この建物全体を明け渡すことがあった場合
彼女もその権利者の一人として保証人に名前を連ねることが必要だったのだ
(余談だが今は離婚して彼女は借換えの保証人から降りるために50分の7を僕に譲ってます)
そして最初の借り換え(全部で4回した)は信託銀行でしたので、父親には正式な遺言書を書かせた
つまり土地や建物が僕の妹に権利が及ばないように
(妹の印鑑不要)


そういう事があったので借換えの保証人を断ることは、その物件の相続を断ることに等しいのではないか?
と思ったわけだ
それを意識してのことだったのかあるいは知らずに断わったのか気になってしまった(笑)
つまり借換えということは新しく借入を起こすことと同じで
その物件と土地を担保にして借りることがほとんど
上のコメントの方にはその相続権があるから保証人の印鑑を押してほしかったのに
それを断るとすると、お母さんは借換えを断念するかどうしても借換えするならこのお嬢さんには相続させません
という約束を金融機関としなければならないはず
勿論それは相続権のすべてをはく奪するわけじゃなくて、他の財産を用意すればいいし
債務完済の折には金融機関との約束は関係ないので、新しくこの物件の相続人に指名することもできるのだが

保証人は必ず要ります
それを拒否することも必要ですが時には押した方がいい時もあります
人生いろいろ

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふしぎなへや

2015-06-22 23:34:13 | 賃貸業
4か月家賃を溜めたK君の代わりに同居する女性Sさんがその分支払ってくれたが
管理会社の意向でもうK君には出て行ってもらうという話が付いた
ただしSさんが住むつもりがあるなら改めてSさんと契約を結んでもいい
勿論同居人としてK君がいても構わない
そんな話がまとまった
今度はしっかりと家賃保証の会社と契約して何かあっても家賃の心配はいらないことになる

何かある部屋と言えばいつもこの部屋だった
初めてアメリカ人の入居者が来た
これは悪いことではなかった
中学の英語の教師をしていた彼だったが、日本語に関しては甚だ危なっかしい人
そういう人でも日本人に英語を教えられるんだと思った

オーストラリア人が入ったのも此処
お兄さんが市内に住んでてその人は会話に苦労することがなかったけど本人とはあまり話せなかった
割合早く日本での生活にピリオドを打って本国に帰ってしまった
家賃とか水道代のことで少し話さなきゃいけないことがあってあまりいい印象はない

それから入ったのが夫婦連れ犬連れ
基本的に猫は静かだから拒否しないけど、犬は鳴き声のことでクレームが来たことあるし
多分、エレベーターの中で放尿の跡があったから此処しか思い当るところがなかった
奥さんの方が契約者で、最初は一番狭い部屋の住人だったがその時は一人住まいで何の問題もなかった
ところが二人になってやや広い(と言っても1DK)この部屋に移ってから何かとトラブルが起こった
犬は必ず抱っこしてエレベーターに乗せてください の指示もあまり聞いてくれなかった
奥さんは頭の中の病気で一時生死をさまよったらしい
この夫婦はやがて退去するのだが、最後は犬がいたので全面リフォーム(30数万)を約束して出たのに
何だかんだと言って払ってくれなかった
数年経つが今もまだその状態だ
この契約者は最低の男と一緒になったんだと思う
多分今、幸せのはずがない と思う


そうそうアメリカ人の後に入ったのが若い水商売の経営者
お金を持ってるが払いが悪い その典型
その後自分は出て、店の子を住まわせたりしていた
黙ってると入ってこないから請求請求の日 こんな仕事したくないと思った
特にこの頃はまだ家賃保証のシステム導入前のこと
ただし金額は他の部屋より高くもらっていた荒木君ところ

他の部屋のことはほとんど記憶にないくらいスムーズだった
アホな子ほどかわいい?
いやかわいくはないがこの部屋の住人のことはいろいろ覚えている
不思議な部屋だ

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツナグ

2015-06-21 23:33:13 | 映画
松坂桃李と樹木希林の「ツナグ」を見た
歩美(松坂)が祖母アイ子(樹木)の業(わざ)をもって、生きてる者と死んだ者を会わせるコーディネーターを務める
そういう事自体を疑問に思いつつ、生きる者がその再会の後に彼に感謝をささげるのを糧としながら
歩美はその業をアイ子から受け継ぐ決心をする

この映画では3つの再会の手助けをする
死者との接触はいつの場合も感動的な結末に終わることの方が多い
わけのわからない死者ならともかく、自分の一生に一度だけ死者と会えるというその機会を実行に移すべき相手となれば
その再会は涙抜きでは終わるまい
細かいお話は端折る
それは各々が映画を見て感じてもらえばいいこと

当然、自分なら一生に一度だけ死んだ人一人に会えるとしたら誰に会うか・・・考える
実は死んだ方の人もいくらリクエストされても一人の生きてる者としか会えない
そんな縛りの中では相手から選んでもらえる自信のある人でないとその死者に会いたいというリクエストすら出せないのだ
今の僕なら多分弟しかない
それはわかっているけど、会えたら何を言ったらいいのか
もう43年も経とうとしている
25才、東北旅行をした時
本当に恐山まで行って、弟と話してみたいという衝動にかられたことがあった
その混沌とした心は整理がつかないまま、その地を選べずに終わったのだが

例えばこの前の日記のように職人さんに会って刃物の行方を尋ねるだけでは勿体ないだろう
もうあの仕事は終わったし(笑)

あー何を話せばいいんだろう
多分たくさん助けてくれたんだろ?
あの時も・・あの時も・・
そしてあの時も。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一時帰郷

2015-06-20 23:53:03 | 家族
水曜日に娘は帰ってきた
中身は
ステテコじゃ~~ん

僕は今まで一度もステテコを買ったことも穿いたこともない
デビューしたくない・・・

金曜日にポタと三人で「くら寿司」へ行ってきた
帰りに熱田イオンのユニクロへ
久しぶりに娘にねだられた
大体10倍返し(笑)

引っ越ししたばっかりだから金欠病らしいが
不動産屋へ払う20万 貸した金はすでに戻してあった

月曜日に初出勤だとか
「ザ少年倶楽部」(BSプレミアム 午後8時~9時)が新しい職場
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おやばかちゃんりん

2015-06-19 23:44:07 | 家族

息子がプロデュースするダンスの公演が一週間後に迫った
おかげで仕事は穴まるけ
まぁ今は忙しくないからいいんだけど
それでも本当にそんなこと必要なの? という用事ばっかりのような気がするのは親父の偏見なのだろうか?

最近は水曜日になると車貸してくれん?って言いながらどうも豊田に行ってるらしい
そこにダンスというよりバレエの先生がいて その人にゲストで来てもらうべく
その人のスタジオで練習するようだ

どういう意味で作ったのか知らんけど、その先生にようかい体操を踊ってもらったとか
でそれを息子が撮影してニコニコ動画とYou Tubeへ投稿
そしたらそれが面白いとどこかが取り上げてくれて
これかな?
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1506/18/news157.html
それが故でヤフーニュースにまで飛び火
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150618-00000107-it_nlab-ent
息子が経験したことない再生回数になったとか
今ニコニコでは8万再生数到達と・・

YouTubeでは
大嶋正樹さんと『ようかい体操第一』踊ってみた

11時47分現在54000
右側の服部君が先生の踊りの振付をしたという


コメント付きのニコニコはこっち
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26469020

こんな宣伝擬き・・・

おっやばっかだよねー
すんません

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スマホ再利用

2015-06-17 23:46:34 | 趣味

これ、前に使ってたiPhone4s(フォーエス)
スマホからスマホに替えるときいくらかで下取りをしてくれるんだけど
下取りなんかしてもらわないほうがいい っていう話
ただしスマホからスマホを何回も繰り返してるならまぁ下取りもいいでしょうけど

最初僕も下取りしてもらうつもりもあったんだけど、よく考えたらこれ!傷物でしょ
どっちみち下取り不可能だったと思う
それよりも何よりもその時は知らんかったんだけど
これすんごい便利でもう一台スマホがあるのと同じ
勿論通話はできんよ
通話はできないけど今まで聞いてた音楽はそのまま聞けるし、フリーメールも設定しておけばそのまま読める
アプリも使えるのだ
LANの環境のあるところならLINEで別アカウントを作れば通話も可能らしい
だから僕は仕事中はいつもこれを使ってる
昨日貼ったYou Tubeも仕事中に聞いててこれを使おうと思ったのだ
人生相談も聞き直してる

というわけで前のスマホは手放すな というお知らせでした
知ってたか・・(笑)
もし悔しがる人がいたら次の時は下取りやめましょう

そうそう娘が日曜までの予定で帰ってきた
が、いない
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨今の沖縄

2015-06-16 23:47:17 | 日本
世の中のことに疎い・・
人間はその方が幸せなのかもしれんと思う
思うことは思うがどうしても気になってしまうことがある
その時々それは変化して、 今は実は沖縄のこと

辺野古への基地移転に反対で当選した現知事の翁長氏
息子の元ネット友達のお父さん
この人のことはYou Tubeでもたくさん出てくる
どちらかと言えばその反対の立場からの攻撃的な動画が多いような気がする
普段着の僕もそちらの位置から彼を見てることが多い
やっぱり息子はちょっと違って知事の立場に立とうとしてるようだ
ただしその内容的なことはあまり理解していない

今まで、僕はブログの中で沖縄や沖縄の人に対して苦言を呈するような話し方はしてないと思う
その地はそこにあるからアメリカ軍の駐留があって申し訳ないがそれを受け入れてもらえないだろうか
その立場は貫いてきたつもり
しかし、だいぶ状況が変わってきた
普天間は危険だから辺野古に移る までは良かったが、それは容認できないと強硬に主張
ぶっちゃけ お金が欲しいのか? とも思った
でももしかしたら本当に琉球独立を画策してるのかも と思うようなところもないではない

こういう話は前から知っている

沖縄『反日』琉球国独立 恵隆之介 2013.02.03


知っていたけど多少はしょうがないかもしれん と思ってたから
ここで書いたことはなかった
でも最近の沖縄ではその本気度が臭って来る
どこかほかの国から臭うような臭いだ
気のせいならいいんだけど

独立の真似事をしたら絶対に幸せにはなれないと思う
日本に対して瀬戸際交渉はするべきではない
動画の中で沖縄人である恵さんは内情を暴露している
沖縄は可哀想なんかじゃない と
毎年3000億以上のお金を日本政府から巻き上げて、一部の人間だけがそれを分配して潤っている
国民所得47都道府県中最下位 しかし1000万円以上の高額所得者は全国17位だそうだ
それは米軍基地の地権者であり、どこをどうするとそうなるかわからないが公務員もその恩恵にあずかっているらしい
一般市民を置いといて一部が美味い汁を吸う
どこかの国で聞いたような話だ

美しい島 沖縄がいつまでも日本でありますように
そう願う反面、独立したけりゃしてみればいいじゃん 
それは国策とはかけ離れているのだけど そんな気持ちがしてしまったのです

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お気に入り

2015-06-14 23:33:49 | ネット
お気に入りの中に「goo日記」というフォルダーがある
ここには大まかに言うがここで知り合った人のブログ それはたとえgooの日記じゃなくても並べてある
さっき数えたら68あった
ずっと前からの友達だったのでだんだんと離れて行った人も多い
今はもう何の音沙汰のない人もいる
そして日記の更新が途絶えてタイトルの下にコマーシャルの入ってる
そういうブログが半数以上あった
整理した方がいい亀ね いやいいカモね

数年前は一生懸命更新もしてたし、多くのところへコメントもしていた
みんなそれぞれの収まり処に収まってブログどころじゃない人も多いのだろう
ブログを書いてると他の人のことが気になっていろいろ話しかけたりすることもあったけど
この何年かそういうことも少なくなった
まぁ良いペースだ 勝手の良いペースだ

その中で・・・
僕がブログ上元気いっぱいだった時に 時々コメントをくれてたヨッシー
彼女は4年前のあの日、石巻にいてまともにその魔の手を全身で受け止めた
倒れて、片膝をついて、両膝に体重を乗せ、片足を地面に乗せ、両足で立ち上がった
そして摑まった手を離し、一歩一歩その荒れた大地を踏みしめて歩き始めた・・・
最近記事の更新が頻繁になってきた
それは本来の元気が蘇ってきた証拠とみる

僕はもうあの日のことを忘れてしまったかのような生活をしている
今一度自らを戒めなければならんなと
お気に入りを振り返って感じたことだ
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする