妹の印鑑はもらえました。
それ以外の書類にもそれを約束してくれました。
母の覚書程度の遺言状というタイトルの便箋があり息子に全て任せるということ。
勿論それは全て僕が引き継ぐことではなく私は何もしてこなかったという妹にもその旦那にも二人の息子たちにも微量ながら分け与える意思は明確にしておきました。
やはり振り返ってみると木工所経営だけでは経済的基盤は盤石ではなくマンション経営がどれほどの力を発揮してくれたか40になる手前の決断が多分正解だったのではないかと思えることでした。
それでも道半ばの頃は暗闇の中手探りで進みながらその決断は正しくなかったのでないかと懐疑の中にいたことも確か。近所の酒屋さんが自宅を壊しマンションを建て、結局それを開け渡さねばならなかった事例も身に迫った恐怖でした。
でもこれをやらなければ世間一般で言われる少ない年金、国民年金に頼らねばならない恐ろしい現実しかなかったわけですから。
当時はこれほどの恐怖になる実感はなかったですね。
世間から見たらちっぽけな成功体験を語っているわけではなくこれから襲ってくる困難も想定の隅に置きながら身構えつつ、それと同時に緊張の糸も少し緩めながらこの先を楽しんでいこうと思っています。
仕事も週休2日から3日に変更試行中です。
忙しくない日、火曜から木曜日のうち1日をお休みにして夜行ってたカラオケに昼間行ったり、土日は混雑している場所に混雑していない日に行ける楽しみも予定しています。
でも仕事はします。楽しみとしての仕事です。
なんと贅沢なことかと同級生たちと比較しながら大学受験をしなかった運命に感謝しておるのです。
その原因となった亡き弟、そして父、母。一緒に頑張ってくれた職人さんにも感謝は忘れません。
そしてもう一人にも。。ありがとう。