木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

仕事場の二階

2011-09-30 23:44:48 | タイムマシン
それは今の仕事場じゃなくて自宅兼賃貸のあるこの場所にそれがあったときのもの
物心ついたときにはそこは平屋だったはずだけど
いつの間にかそこは二階建てになっていた
当時うちの作業場には2・3人の若い衆と呼ばれる職人さんがいて
その二階はその人たちの寝泊りする場所になっていた
母屋二階とそこは直接行き来はできなかったが
僕が小学生になった頃、両方の棟をつなぐ形で4・5畳の広さの洋間ができた
ただの板張りで学習机2つと二段ベッドが置いてあった
つまり僕と妹の部屋になったわけだ

その仕事場の二階
一番覚えているのは今いる職人さんがある夜真っ青な顔をして僕らのいる母屋に入ってきて言った言葉
「荷物がない!」
当時はまだ世の中が混とんとしてる時代
働かせてください と言ってやってくる人が時々いた
仕事は忙しかったんで結構得体も知れない人を雇っていたようだ
そしてその人たちが生活するところは仕事場の二階
今の職人さんはそこでいろんな人との同居を経験している
その時一緒に生活し始めた男が彼の持ち物をかっさらってとんずらをしたときのその光景だ

その日だったのかそれからしばらく経ったある日のことだったのか
持ち逃げした男の在り処がわかって・・
僕は親父と一緒に市内のどこかに行った覚えがある
まだ小学生になるかならんかのそんな小さな身で何をしに行ったのか覚えていないけれど
そこにはパトカーもいてなんか心がわくわくしていた記憶だけが残ってる

時が経って繋ぎの僕らの部屋は妹の部屋になった
僕の部屋は仕事場の二階
そう職人さんたちがたむろ(?)していたその部屋が僕の部屋になったのは中学生になった頃のこと
今の職人さんは近くのアパートで一人暮らしを始めたし
なんだかんだでほかにはもう若い衆はいなくなったから
その部屋は少し手が入って中学生の男の子の部屋となった
そこで僕は大人になってゆく・・・
いろんな意味で(笑)
中3の時にクーラーが入った
別に欲しいと言ったわけでもないのに勉強のためとかなんとか言って入れてもらえた
ベッドもダブルクッションのフランスベッドだった
今より完全にリッチなんじゃね?
ステレオが入ってテレビも買った
20歳ころには部屋で電話ができるようにもなった

そうやって見るとオレって大事に育てられたってわけだ
あんまり気づかなかった
気づかなかったけれど体のどこかでそれは感じ取っていたんだと思う
それに見合うお返しは少しずつだけどしてきたはずだ
まだまだ足んね~~けど


さてさて自分はそうしてもらってたけど
自分の子供たちには何をしてやってるのだろう
それを考えると自分の力不足を感じられずはいられない

娘は来春 東京に出て吉本のビジネス学校へ通うことになった
きのうその合格通知が来た
誰でも受かる通知らしいけど少し心が騒ぐ
好きなことすればいい
そうは言ってきたもののはたしてそれでいいのか
自信を持って止めることはできないから娘を見送ることにする

僕がしてもらってきたこととしてきたこと
その差は多分歴然としてるんだろうから
子供から僕に返すべきものは何もない
ただただ元気で生きていってほしい
頑張ってほしいなぁ



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賞金支払管理局(笑)

2011-09-29 23:57:45 | Weblog
帰ったら 賞金支払管理局ってところから封書が来ていた
支払最終警告 と派手に書かれた封書裏
これだけで怪しさマックス
中を読むと要するに 賞金を獲得できる資格が取り消される前にそのデータを抹消してあげますというもの
2000円だって
ちなみに獲得賞金は \139471200

そのためにか?
クレジット番号を書く欄がある
発送消印は北京
でも本物かねぇ
一応切手を触ってみるけど貼ってない
印刷してあるって感じ

   
  

一説によるとこのクレジットカードから海外くじを買うという名目で
毎月いくらか引き落とされるっていう仕組みがあるとかないとか
誰が引っ掛かるんだっちゅーねん
ちゅーねんはこんなことをしても引っかからんよね
かかるとすればちょっと正確な判断ができなくなってる老年の一部?

オレその中に選ばれたってこと?
それが情けないってことだ

でも悲しいさ中、笑わせてくれました
ありがとねぇ
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近くて遠い・・

2011-09-28 22:11:38 | ネコ
家に帰ったら二匹でお出迎えうれしいんだけど寂しい
でも寂しいと思ったことはニャミにもマイケルにも内緒ね
今座椅子に座ってるけどお尻にくっついてるのはマイケルだ
ニャモも時々そこにいた
振り返って確認するの楽しかったなぁ

帰ったらまずスーパーで買ってきたものを冷蔵庫に入れる
そこに立つと二匹ともついてきた
冷蔵庫を開ける
いつも僕を見上げてミルクをせがむのがニャモだったから・・
また涙が溜まる
マイケルもニャミも飲まないことはないんだけど最後の最後まで飲んでるのがニャモだった
試しに少しだけ豆腐パックの再利用の入れ物にミルクを注ぐ
マイケルは興味を示さなかったけどニャミが飲んでくれた
ありがとう・・・
買ったものを全部冷蔵庫と仏様の前に差し出すと段ボール箱が残る
そこに放り出すと一番遊ぶのがニャモだったな とまた思ってしまう
なんて女々しいオヤジなんだと自分で自分に辟易とする
こんなことブログに書かなきゃ誰にもわからんのに性懲りもなく書くやつも書くやつだ
しょうがないよ 昨日の今日だもの
誰かにそう言ってもらえるんじゃないかと甘い考えの僕がいる


いつも寝る時
3匹を僕の部屋に入れずロックまでして寝てた
何故かというとただ閉めるだけだとニャミが飛びついてハンドルを回して入ってくるからだ
そうすると朝方僕の部屋は運動会場になる
ダダダダ~~~カサカサコソ ダダダダ~~~
もう寝るどころの騒ぎじゃない
そういう経験をしたので長年一緒に寝てたニャミまで締め出すはめになった
ニャミだけ部屋に入れてあげたら? という意見もあるだろうけど
そうするとドア以外に猫が出ることだけできる小さなドアがあってそこから出ていって同じ結果になってしまうから
ニャミには涙をのんでもらってた

でも昨夜は開けてやった
ニャミが元のように僕の寝床にやってきてゴロゴロと喉を鳴らす
顔を見てたら こいつが死んだらもっと寂しかったろうな と思った
だって僕が一人の時いつもそばにいてくれた唯一の奴だったから
どんなに慰められたかわからない
そういう意味では誰よりも大切なやつだ

一夜を過ごした
別に起こされなかった
ということはやっぱりあの運動会の元凶はニャモだったわけだ(笑)
もっと運動会させてやりたかったなぁ
マイケルが手持無沙汰な様子

少しずつ慣れていくよ


一昨日の夜こんな写真撮ったんだよ

   

真ん中で誇らしげでしょ?
アズが重い重いって・・・

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白い花の束

2011-09-27 18:44:42 | ネコ
楽しい記事書いたばっかりなのにごめんね

いつものように今朝も起きた
ドアを開けるとネコが3匹そろってお出迎え餌場へ導かれる
今日はニャモがいなかった
「最近ニャモだけ俺んとこで寝てくれるんだよね」
先週息子からそう聞いたことを思い出した
朝まで一緒に寝てたんだ・・

自分の朝食を済ませて寝起きのカリカリの後のメインディッシュ
缶詰餌の時間になった
ニャミとマイケルはいつものように僕の足元にへばりつく
あれ? まだ来ないの?

いつものようにニャミに一段上で特別に先にあげた
その間に洗いものをするのもいつものこと
終わるころにニャミが食べ終わる

・・まだ来ない
「アズ、ニャモおらんぞ 有祐んとこじゃない?」
マイケルにだけ与えた
来たらもう一回あげなきゃと思ってると
「兄ちゃんとこにいないよ」
その一言で急に胸騒ぎがした
二人で探しまわったが何処にもいない
9時半出勤の有祐が起きてきた
三人で探してもいない

ニャミは3回7階から落ちてる
2回はガレージの波板ぶち抜いて無傷だったが3回目はコンクリート激突で腰の骨を折って入院した
だから基本的に窓は開けてない
開けてないけど一か所台所の風入れのための小さな窓
内側にちょっと倒れるだけだからその隙間からネコが出れるはずがない
はずがないと思うけどそういえばむこう側に貼ってあったはずの網戸は2・3年前から朽ち落ちていたかも

「見てくる」
とだけ言い残して1階へ急いだ
万が一落ちてもあいつなら大丈夫 その辺を歩き回ってるはず そう思いながら


表道路から隣のビルとの隙間を覗いてみた
その小さな窓の真下のあたり
障害物があって見えない
裏に回ったら見通しがきく


見えた・・・・
倒れてる・・・

涙が出てきた

生きていてくれ そう思って、祈って、祈って、祈って 近づいた



もう息がなかった
口から血を吐いて
目は開いたまま
硬直していた

浮かんでいた涙が零れ落ちた
「だめだった ゴメンニャモ 父さんが窓締めてかなかったから・・ ごめんなぁ 痛かったろう・・」
このまま抱いて帰ってもいいけど誰かに会うといかんし娘の目に入るかもしれない

部屋に帰って声が出てしまった「駄目だった 倒れてた もう駄目だ」
娘は茫然としてたけど
息子が大きな声で泣き出した
段ボールを持って息子と二人でもう一度現場へ行く
息子の泣き声がもっと大きくなった
「なんで?なんで? ニャモかわいそうに・・」

かわいそうだったけど段ボールの中に納めた
昨夜あんなに元気だったのにこんな姿になってしまった
親父と息子が泣きながら部屋へ帰る
父親と兄の姿を見たはずの娘はニャモの姿は見れずに屋上へ上がったらしい



本当はお通夜をしてから送ってあげなければいけないかもしれないけど
みんな耐えきれなかった


僕が仕事場へ行ってから霊園に電話して受け付けてもらえるか聞いた
ニャモとマイケルを世話してくれたIさんに電話して詫びた
僕の注意不足でかわいそうなことをしてしまったと

それから花屋さんで 白い花束を買ってニャモに抱かせてあげたよ
  かなしい・・・
ごめんなニャモ とうさんのせいでこんなに早く逝かせてしまった
まだこれからなのに


娘のショックは譬えようのないものに違いない
午後メールした
「学校行けたか? 心配してる とうさんの不注意でわるかった」
「ごめんなさい どうにも落ち着かなくてまた休んじゃった。明日は行くよ。
 あの窓は私も気にかけないといかんとこだった。
 けど学校から帰ってからいつも遊んでたから悔いはない 大丈夫
 ニャミとマイケルを今まで以上に大切にするよ。」
確かにそうだ
残った子たちを大事にします

読んでくださってありがとうございました
また泣けてきたけど落ちつけたような気がします


車で仕事場へ移動中に母親に連絡した
こういうことがあったと
もうすべて終わったから事後報告だけど
「動物飼うとこういうことがある 悲しい目に会うんだから」とまた非難めいたコメントを頂戴した

でも悲しいけどもっとたくさんの楽しさ喜びを僕たちはもらいました
比較してもきっと楽しいことの方が多かったと思うし一緒にいれてよかったと今でも思っています
ニャモにとってはもしかしたら僕の家に来るより幸せがあったのかもしれない
と思う反面 きっと楽しかったと思ってるんです
楽しかったよな ニャモ
大好きだよ
ここで紹介出来てよかった

今頃は今日の風になってるんだろう・・・
また うちへおいで
もっふもふのシッポ撫でであげたいよ





風は知らない/ ザ・タイガース


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仕事してきた 2011

2011-09-26 23:44:22 | Weblog
今日はなんか書こうと思ったけど諦めた?

今年の仕事を振り返ってみた
仕事してきて毎年毎年前年の売り上げを下回ってきていた
2008年に一つのボーダーラインを下回り
翌年さらに下回った
下回ったけどいろんな節約とあきらめの気持ちがあったのだろうか
なんとなく「楽」になった
「楽」になった翌年・・というのは昨年のことだが少し売り上げが上向いた
2008年に下回ったボーダーラインを下から上に突き抜けた
株で言うとゴールデンクロスか(笑)
今年は昨年よりほんの少し上にいる
その分だけ義援金が出せてるって感じ

思えば毎年毎年僕らはジェットコースターに乗ってるようなもの
何か一つ狂うと真っ逆さまに地上に落ちる
そしてそこで息絶えるかも
今回の水害もその一つの要素に違いない

一度だけ富士急ハイランドのジェットコースターに乗ったのが20歳くらいだった
確か親友の敬ちゃんと結婚前の奥さんとその妹エミちゃんの4人で乗った
僕は怖くて・・・一番初めに頂上に着いた時から目を瞑ったまま最後まで目を開けられなかった
エミちゃんには気付かれてたみたい  はずかしいことだ

今ならもっといろんな景色は見えるんだろうか
いろいろ経験してきたからな
それとも目を開けたらショックで一発で死んでしまったりして・・
や、や、やっぱり今でも怖いに違いない
あれから一度も乗ったことがないジェットコースター

そのコースターに乗ったままでもあるような木工挽物の仕事
よくやってきたとも言えるしやってこなかったとも言える
でもこれがあったからここまでこれた
正解だったのか不正解だったのか
まだまだ結論は先送りです
よかったらもう少し付き合ってくださいな

松山千春 / 大空と大地の中で「歌詞付」





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アイアム ニャモ

2011-09-24 23:32:20 | ネコ
はぇどぅどぅ 初めまして
かっつんちのイケメンボゥイ えっなんだっけ?
僕は何て名前?
今かっつんに聞いてみたらニャモとかいうらしい

   

だいたい意味ない名前なんでわかりにくいったらありゃしない
えっ「にゃも」って名古屋弁「なも」をもじった? 知るかそんなもん
だから呼ばれても自分かどうかわかりゃしない
ポタばーちゃんだって何回教えてもわからんって言っとるだろー
もっともあのしとはニャミおばさんの名前もまだ覚えられんのだけんど・・


マイケルのヤローはわかりやすいんで自分のことをすぐわかるらしい
オレッチは自分のことかどーか よーわからん
呼ばれてもシカトじょーたいなんでアホだと思われとんの
あはは ははは・・・


ニャミおばさんには特技がある
トイレの手洗いにヒョイと乗って頭をちょいと出すと水が勝手に出てくるのを利用してのどを潤す ってやつ
あれちょっと憧れててマイケルといっつもやりたいなぁ って言ってたわけ
このごろやっとそこまで飛び乗ることができるようになったんだわ
マイケルのやろーが先にできてこの前飲むのに成功してやがったんで
必死に飛び乗ったわさ
できた!!
できたけど頭ちょっと出したら頭に水がかかりやがってさ
水でシャンプーしちゃった
初めの失敗はかっつんにばれなかったけど
二回目にやった時にはさすがに馬鹿飼い主でも気づいたみたい
あはは ははは・・・
笑われちまったよ

またアホと思われたかなぁ。。。
でもかわいいと思ったんじゃない?
ボクの毛は「もふもふ」じゃなくて「もっふもふ」だからね
  
ニャミおばさんもボク大好きみたい
あはは ははは・・・


こいつだってアホだよね
  
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ボウズ

2011-09-23 23:55:35 | Weblog
息子がさっき帰ってきた

唖然

坊主で帰ってきた


ちょっと反応のしようがなくって
「どうしたんだ」くらいしか言えなかった
アズに見せてやれ ってことで部屋に入ったけど
格別の反応がなかったってしょんぼり気味で戻ってきた

本音はみんながびっくりして突っ込んでほしかった らしい
でも娘は寝入ったとこだったらしく
もう一度起きてきてそれからは散々な言葉をもらってちょっとホッとしたとこ

マイケルを抱っこして坊主頭にこすり付けたり
写メを撮ったり
いじられて一安心

娘はそれを母親に送ったらしく
ショックな反応もまた届いた
それで一件落着

あ~~目がさめちゃった
でももう寝よ

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永遠の

2011-09-22 23:30:58 | Weblog
もしかして前記事は僕のことだと思った?
いやいやお友達のためにその心を想像して書いたものです
だから正解かどうかわかりません


だんだんと歳を重ねてくると永遠の別れが多くなります
二人だけで喫茶店でお話ししたあの人
親しいという仲でなくてもその人と共有した時間がある
二人だけのその時があったその人がたくさんの人に見送られてお葬式の主役になってる
そんなこともたくさん経験してきました

その程度の仲でも感慨深いのにましてや大切に思う人の旅立ちは心締めつけられるに違いありません
どんなに泣いても、叫んでも、もう戻ってきてはくれない
あんなに二人だけの時間を一緒に過ごしたのに
手を出せばすぐその体温が感じられた人なのに
呼びかけても何も返事が聞こえない
ここにいたら必ず答えてくれてたあなたの声が聞こえない
その理不尽さに精根尽き果てた思い出があります


でもそれは自分だけじゃない
世の中の多くの人がそういう経験をして大人になってきたのでしょう
いくら大人になってもまたその辛さに次々と遭遇する
その都度その都度悲しみと向き合わなくてはならない

それでもその人は二度とない人
そういう時は、   つらい
どうやって乗り越えていけるのか そこがその人の真価となる


自分が終わるとき
誰かの真価を導けるか
そういう風に終わりたいものです





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May Not Come True  叶わないかもしれないけれど

2011-09-21 23:56:25 | Weblog
ああ あのときのさよならが永久のさよなら

そう思ってあなたをもう一度呼んでみる

もう返事はできないのですね  でも

私にだけはもう一度だけでいいから応えてほしい



最後のお別れにも行けませんから

ここで私の中のすべての涙をあなたに捧げます

それはあなたに届くのでしょうか?

受けとめてくれるのでしょうか


今までたくさんありがとうを言ったけれど

どんなにそれを繰り返しても心のすべてを言いきれてはいない気がします

 もっともっと言いたかった
  もっともっと言わせてほしかった

でもやはり・・

もう一度だけ言わせてください


   ありがとう



いつかまた あなたの隣に行けたなら

私の肩を 少しでいいから 引き寄せて くださいますか?

   少しだけでいいですから



 みるここさんのこころへ

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避難勧告

2011-09-20 15:39:17 | Weblog
もうすぐ午後3時
こんな時間に更新するってのは初めてじゃないだろうか
実は午前11時頃に仕事場のある天白区に避難勧告が出て昼ご飯を終えてから仕事をたたみました
勧告くらいなら大丈夫だとは思うけど一応大事を取って避難してきました
いつも真ん中をチョロチョロと流れてる天白川が堤防の一番上から2・3mのところまで濁流になって流れてゆくのを見て
ま、命あっての物種ってものだねと思ったんで職人さんに命令の形で終わってきました
高を括って痛い目にあった人をこの震災で目の当たりにしてることも有る
それとこれからもっと時間当たりの雨量が増えてゆくとも聞いてるからね
勿論そうなって仕事場が流れちゃったらもう再興はする気力がなくなるかも
それが本当に怖いけど・・あとは成行きに任せるしかなさそう
でも、パソコンと重要書類だけは積んできました
車の中にある
新しいパソコンはデスクトップでもディスプレイ一体型なんで簡単に車に乗せられた
機械も大切だけどデータがあるからね
全部なくしたら経理はもうできない
あはは 流れたらおしまいなんだけどさ

名古屋のもう一つの川、庄内川では避難勧告から避難指示に変わったみたいだ・・・
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休日中日

2011-09-18 23:34:19 | Weblog
娘が東京へ行った
ある専門学校へ入るための面接だそうだ
前から聞いてたような聞いてないような・・父親としては失格状態

昨日栄でやってる職人展へちょっとだけ顔を出したあと
自宅に帰ってきたら玄関の前がやけに汚れていたんで掃除機を持ち出した
ホントは部屋の中で使ってるやつなんだけど、まいっかと思って縦型掃除機を外へ持ち出して
スイッチオンした時に腰に痛みが走った
うわっやっちまった 

そんなに強烈じゃなかったけど
普段は見向きもしない
 マッサージ器
 お風呂
 タイガーバーム
 低周波治療器
 コルセット
これらが燦然と輝くことになる
みんなに大活躍させて床に就いたのが11:30
寝返り打つのもしんどい
熟睡できん
こんな時に誰かに睡眠妨害されたら首絞めたくなるかもしれん(笑)

そんなこんなで夜が明けた
7時に新聞を取りに玄関に行く
また床に就く 腰は痛いけどできないことは何もない
8時半に娘が起きてきた音がした
そうだ東京行くんだ
少しくらいは金やらにゃいかんのじゃない? とその時思った
交通費とか宿泊費とかくれと言わんのだもん
多分それはそのあと勝手に楽しむつもりのお笑いがあるからかも・・

また起きだして財布から10000円札を一枚抜き出して娘に渡した
送ってもらいたかったらまた起こせよとひとこと残して

30分後にうとうとしかけていた僕を起こす娘の声
歩いて6分の駅まで車で送った


今日はそれでも腰は痛いから職人展の後片付けパスしようかな と思ってたけど
夕方また少し楽になったんでコルセットをしっかり巻いて自転車に乗って行ってきた
終了予定時間前だったのにもう8分くらい片付いててほんの少し手伝いの格好をして帰ってきた

腰痛治療自己流コースを終えてパソコンに向かう
新しいお友達15歳のPiNO君からメッセがあって僕のブログを紹介してくれるとのこと
うれしいやら恥ずかしいやら(笑)
お返しにここへリンクしておくでね
http://blog.goo.ne.jp/pino_1996/e/f7ad674cf6cc4a0c1f8a4e5ae277e121
しっかりした15歳 
多分僕のブログに来て下さる人にとって知る人ぞ知る彼だと思うけど
コメントに自分のブログをリンクしてなかったからね
一度訪問してあげてください

ブックマークにも入れとくからね
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忘れたらいかん

2011-09-15 23:48:02 | Weblog
震災に遭われたお友達はいますか?
こうやってネットでいろんなところのいろんな人に接していると
現実の生活と比べてその可能性も大きく心配する機会も多いのではないでしょうか
親しくしていたお友達は皆さんお元気でしたか?
あれから連絡が取れないんですよ なんていうことはないですよね

最近僕はこのブログ友達に対して出不精になってしまっています
別に飽きたとかいやになったとかじゃなくて
ただ単にそんなサイクルの一部分に当たっているだけだと思っていますが
そんな状態の中でときどき覗いていたヨッシーのブログ
まさか被災されてたなんてちっとも知らなかった
身体こそ大丈夫だったけど津波の被害をまともに受けて自宅での生活がままならない
今もその中でのご苦労を少しずつ綴っておられます
言葉がかけられません

毎日の生活に追われてわかってはいるけど被災された方のことをつい忘れがちになる
まだ半年前のこと 
自分の辛さ 自分の不運 そんな狭い目に振り回されがちな生活
でも現実に同じ日本のなかで同じ日本人が自然の理不尽さに押し流されて困っている・・・
やっぱりそれは忘れちゃいかん

今日軽トラで檜の材料を調達してきました
その前に町の小さな郵便局へ行った
駐車場が二台分しかなくて
着いたときちょうど一台が出た
すっと入ったら駐車場の向こう側に車停めてた人に注意されてしまった
「僕待ってたのに」
素直にごめんね って言って車を出した
そのまま材木屋へ行ってバチ300本分くらいの材料を積んでもう一度郵便局へ
まだ満車だったんで道路において
用を一つ足してきました



   2  22.1
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仕事終わった

2011-09-14 17:56:25 | Weblog
もともとお風呂嫌いだったんだろうか
子供の頃は裸になって風呂へ入るって行為が面倒でどうしても好きになれなかった
それでもほとんどその意志のままの行動を起こしたことはない
簡単に言うといつも風呂には入っていた

前にも書いたことあるけど子供のころに使っていた木の風呂
これに勝るものはない
その感触もそうだけど出た後のいつまでも体の芯から暖かいあの感触は
その後のホーローやステンレスやジンコー大理石、どんな素材も敵わない
と僕の評価はこれである


今仕事場でこれを書いてる
この後帰って帰宅後はすぐ飯を作って食べて のんびりした後10時くらいにお風呂
ってパターンが多かったのだけど
最近は僕の根底に流れている風呂嫌いの精神を反映して先にやなことはやってしまおうってことで
帰ったらすぐに風呂に入るパターンにしてる

それを言いたかっただけなのにこの回りくどい言い方

でもさっぱりするんでやっぱり風呂は欠かせないな
はよ帰って風呂入ろっ
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2011-09-13 23:39:55 | タイムマシン
古い日記を読んでみた
いろんなことがあったなぁ・・
それは2003年の9月にスタートして
翌年の9月に家内が家を出た その実況中継もあった
あのころは苦しくてもがいて日記を書くことが僕が生きてゆくための酸素吸入みたいなものだったのかもしれない
でも文面はそれほど苦しそうではないんだ
読んでくれる人を意識して気丈に振舞ってた
でもなんとなくその時の心情が蘇ってきてその時の僕にうなずく今の僕がいた
ちょっと目頭が熱くなるのもあった

親父とお袋の仲が冷えて風前のともしび
そんなときの息子の日記

当時、息子も僕と同じ「さるさる日記」を書いていた
それを僕の日記にコピーしたのがあった
普段の日記はわけのわからないような文章を書いてたのに
この時だけは僕にしっかりと伝わるもの
また目にしてしまった

2004・8・26
息子の日記


■2004/08/26 (木) すげーダサいけど、書く。

当たり前なんだけど時間はすんごい有限で、俺が思った以上のスピードでどんどんどんどん突っ走るもんだから、たまについていけなくなります。







息苦しさを感じて目が覚めた。

たいていAM7時半、ドア隔ててテレビが騒ぎ出すと、慌ただしい朝が始まる。
ぼんやりした頭を掻き回すMISIAの歌声を怨みながら重いカラダを起こしてシャワーを浴びに向かう。
親父は新聞を眺めお袋は台所に居て、妹は目が半分閉じたようなカオして家中ウロウロしている。

めちゃくちゃ当たり前で、無限かのような幻想のループ。
そんな当たり前は、きっともうすぐ変わってしまう。
消えてしまう緩やかな日常は、思ったよりも僕を締め付けてしまうのだ。

…でも、それはどうにもならないし、僕の問題でもない。ただ「終わる」事から目を背けたいだけ。

ほんと、こんな日常はもう長くないんだな。

言われえぬ寂しさがどんどんどんどん面積を広めて、僕の当たり前になろうとしている。

僕はそれを受け容れる。

たぶん。



はっと気付いたらもぉひとりになっちゃってて、思い出して泣いたりする前に書いときました。

…ゲーセンでもいってきます



息子の日記をコピーしました
僕は悪いことしてないと言いながら
またひとつ 罪を犯そうとしているのだろうか
悪いことをしてなくても 罪を犯すことがある・・

      すまん


この一週間後に家内は娘を連れて家を出た
今の僕が始まった

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廃材処理

2011-09-12 23:15:31 | 仕事
生活してるといろんな廃棄物が出る
人間だって生きてりゃそれなりの廃棄物が出るんでそれはしょうがない
果たしてどんな処理をしてうまくリサイクルしてゆくのか
今日は深い話はない
(深イイ話は紳助が抜けて締まりがない(笑))

仕事の廃材の話
これはこの仕事をしてゆくためにどうしても付き合ってゆかなくてはいけない
僕らの仕事には大まかに言って2種類のそれが出る
やわらかい鉋屑と端切れの堅い木のままの物
やわらかいのの処理はいろんな物語があった
ということはわかりやすく一言で言うと苦労したわけだ
そのために自宅を賃貸にしてやや外れた今の仕事場を借りて仕事しているんだともいえる
でも堅い方は物語になり難かった
ずっと薪として引き取り手があったからだ
昔は自分とこで風呂の燃料となってた
それは人様のところでも同じ役割をし続けた

先月の末日その長い役割に終わりを告げられてしまった
お客さんであり同業者であるAさんは同じ木工所でありながら廃材が出にくくて
うちの廃材がお風呂の燃料だったが煙のせいで近所からのクレームに耐えきれず
ついにガス風呂に転身
初めて堅い廃材処理に困った次第

やわらかい方の時もそうだったけど窮地に追い込まれると結構僕は力を発揮するみたいだ(笑)
今度は「そうだ、地元誌を使おう」と閃いた
名古屋の天白区には「ポトス」という情報誌がある
お店の宣伝は勿論求人とかネコもらってくださいなどの情報も載る
絶対欲しがる人がいると思ったから
そこに出してみた
本当の宣伝だったら一行1050円とかかかるけど非営利の個人メッセなら210円
それでいこうとネット経由で二行 420円で済まそうと画策した
ところが「薪差し上げます」という文章
これは無料で上げます情報で会社名も出さないなら掲載料も無料だということ

それで先週の水曜日配達されて
4件電話をもらった
そのうち3件が薪ストーブ
1件が子供会の餅つき用とかの需要
薪ストーブの燃料としては役不足かな
一個ずつの端材が小さすぎるかもしれないから
とにかく今回の窮地もなんとなく脱せそう

世の中に人たちにお世話になります
ありがとうございます
ポトスにも
コメント (2)
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