木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

元妻5

2013-06-04 23:14:01 | 家族
ネットから足を洗う代わりに一つだけ、僕の望みを示した
それは散らかり放題の家の中を綺麗にすること
昔はそれほど汚れていなかったのに、このころには家の中の整理整頓は全くされてなかった
例えば、風呂の前の洗濯機の前は床の存在はたくさんの衣類の下で確認できない
しばらく床を見ることがなかった
「もうちょっときれいにしろよ」というと必ず
「じゃ一緒にやろ」
それはいいが、実際たまに僕がやることがあっても彼女は他のことをしていて手伝おうとしたことはなかった
娘が生まれる以前はそれほど極端ではなかったのにだ

結局僕の望みは受け入れられることはなかった
ネットから二年離れた後、前にいた、そして家内もプロフィールを持ってるそこで自分のプロフィールをもう一度作った
ただ、隠れてってわけじゃなくてニャミの写真をメインにして
家内が見たらそれはすぐわかる状態にしてた
今度は、一歩引いて、でも誰かとのコミュニケーションくらいはいいだろうと

2・3か月過ぎた後、彼女は僕のそのページを見つけた
「またやってる」と言って・・・
その後、僕への言葉を拒否してしまった

一年半、口を利くことなく・・
多分彼女にとって狂おしい時間だったのだろう
僕にとっても地獄だった
仕事で疲れて玄関に入る
娘と僕の夕飯は作るけど、それを食卓まで運ぶと自分は台所に戻って一人で何かを食べてる
「俺はお前に対してそれほどひどいことをしたのか?」
そんなことを口にしたこともあったが、相変わらず返事は返ってこない
当時の僕は、何にも悪いことなんかしていない
そのことに凝り固まっていた
だから謝ることはなかった
2,3度爆発した
いいかげんにしろ と
娘とはうまくいってて、勿論彼女も娘とは普通に話す
娘は僕が怒ると、恐ろしいらしいことが分かったので
ある日、
「父さんはかあさんに話してもらいたいから、今日は言いたいことを言うよ
 もし声がおっきくなっても、アズを怒ってるんじゃない
 怖がらなくていいからね
 今日はかあさんに話しかけてみるよ」
と言って.バトルを開始したことがあった

「かあさん、話してよ」
僕の気持ちを知ってる彼女もそう言い添えてくれたけど
その日も、進展はなかった
いや、僕の言葉にそっぽを向いたから、両肩を掴んで
「こっち見ろ」と言った
興奮してたから少し力が入ったのだろう
「痛い」といったまま、また沈黙

その後、そのことを息子にメールで報告
「首絞められた」と写メ付きで。。

あきれてものが言えなかった


勿論息子はそれを本気にはしなかったが・・

ただ、彼にとっても僕らの諍いの本当の意味は分かっていなかったから
当時は五分五分で見てたのかもしれない

一年半の沈黙の後、娘を連れて家を出た
娘が行ってしまう事は、僕にとっては身をそがれる思いだった
でも、母と娘の関係まで引き裂くことは出来ない
その娘を得るためにどれだけの苦労をしたのかはわかってたから

でも、壊れた女だと思っても、休日には当時小4の娘を僕のところ来させてた
ただ一方的に僕から娘を奪い取ったのではない
日曜日の夜に、迎えに来る
7階の窓から娘が母親の車に乗る直前、見上げて手を振る
テールランプが見えなくなるまで追い続けた
また次があると思ってるから泣きはしないけど、その儀式はいつもため息で終わる
ただ、二人でいる寂しさよりも一人でいる寂しさは心が落ち着く
僕の周りは平和になっていった


コメント (16)
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