木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

GReeeeN 少年が故の情熱

2012-03-13 23:53:44 | タイムマシン
初めはよくわからなかった
自分は歌がうまいのか下手なのか
小学校の一二年の頃はそんな時間あったのだろうか
つまりその歌のテスト
一人で歌う歌のテスト

3年生になったら確実にあった
その時僕は無類な音痴だったらしい

それはピアノを弾いてる先生の横で先生に歌うのではなくて
全員こっちを見てるクラスメイトに向かって歌ってた

この時の光景は今でも簡単に蘇る
しかもいつもおんなじ奴のいっちばん大きな笑い声とともに

もっちゃんが僕の歌を聞いて誰よりも目立つ笑い声で僕を責めた
3年生の僕は悔し涙を流した。。。
元義は大っ嫌いだったけど
音楽の時間以外の元義は実は好きだった

もっちゃんは同じ野球部でいつも僕の補欠
6年生になってもレギュラーになれなくて
試合前のノックでも僕と同じショートの守備位置について
僕の後にノックのボールを受けてた
一度も試合に出たことがなかった

でも6年生の最後の試合
区の大会で優勝をして名古屋市の大会に出た
場所は熱田球場
名古屋で野球をやってる小学生にとって熱田球場は甲子園と同じだ
球場で野球をやるってこと自体が奇跡のようなもの
みんなガチガチになっていつもやらないようなミスをする
僕もショートに飛んできたボールを取った後一塁へ大暴投をしてしまった
試合が進み点差は開いて最後の攻撃になった
打順が回ってきてバッターボックスに入る時に、監督に呼び止められた
ピンチヒッター元義。。。

僕の歌を笑ったもっちゃんはその時の僕の気持ちをわかるはずがなかっただろうけど
最後の最後にピンチヒッターで引込められた僕は
長い間僕の控えでやってた彼の気持ちを察することはなかった
ただただ悔しくて 最後に替えられたことが悔しくて・・

今なら想像ができるもっちゃんの気持ち
両方ともまっすぐで他の人の心までは想像できなかった
自分のことで精いっぱい
それでも一生懸命生きてたよな

僕はその後バンドなんてやることになったし
もっちゃんは中学高校と剣道部で頑張り、立派な主力になった


GReeeeN 少年が故の情熱



コメント (7)
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